イエシュアが生まれた時期 神のモアデイムと一致している | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ミカ 4:1 末の日になって、主の家の山はもろもろの山のかしらとして堅く立てられ、もろもろの峰よりも高くあげられ、もろもろの民

これに流れくる。

4:2 多くの国民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、

ヤコブの神の家に行こう。彼はその道をわれわれに教え、われわれはその道に歩もう」と。

トラーはシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。

4:8 羊の群れのやぐら、シオンの娘の山よ、以前の主権はあなたに帰ってくる。すなわちエルサレムの娘の国はあなたに帰ってくる。

 

<堅く立てられという言葉は、イエシュアが言われた「成就」と言われた言葉と同じです。クムという言葉には、成就〜終了などという意味はないのに、クリスチャンの世界では、言語の意味も知らないまま、ダービー思想の代弁をして、神の言葉の意味をなし崩しにしていても、気がつけないままいるのです。このような無法〜トラー無し思想の教えは、パン種であり、一掃すれば、神の伝えている意図通りを

理解する門から=イエシュアの教えている道に入れます。

 

ここに記されているのは、イエシュアが教えられる道とは、トラー=神の教え=モーセの五書の父の教え、婚姻契約に根付いた生き方であり、その道=トラーに根付いて生きる事が道=イエシュアそのものである、人の生きる道であると書いてあるのです。神の教え=トラーは、西洋、ローマからではなく、シオンから出て、エルサレムから出る。イエシュアから出て神の言葉を堅くガードする人々により世界へ伝えられるのです。>

 

ミカ4:8にある、「羊の群れのやぐら」と訳されている言葉は、

「ミグダル エデル」です。

 

ミグダル エデルは、古代からレビ族の祭司兼羊飼いが、羊や子羊を

敵や野獣から守るために使用していた塔です。

1 階には、これらの特別な子羊の出産と保護のための部屋が設けられていました。羊は子羊を産むためにそこに連れてこられました。

ここでは、羊が子羊を産むための儀式的に清潔な場所が確保されていました。「神の子羊、イエシュア」が生まれるのにふさわしい場所でした。

「羊の塔」は、石で建てられ、現在は存在せず、考古学ではその遺跡はまだ発見されていません。しかし、聖書の記録 (ミカ 4:8) やその他の証拠に基づいて、イエシュアは、ロバや他の動物が飼われていた

汚い宿屋の馬小屋で生まれたのではないと結論付けなければなりません。

しかし、ユダヤの伝統は、ここで例証的かつ有益であることが

分かるかもしれないのです。メシアがベツレヘムで生まれることは

神の言葉、預言〜タナックの神の言葉、預言から、特に祭司であるような人々には、確固たる確信であったからです。

 

同様に、メシアはミグダル エデル、つまり「羊の塔」から現れるという預言に基づく信念もそうであったのですが、この「ミグダル エデル」は、ベツレヘムの向こうの、不毛の羊の土地で放牧されていた

普通の羊の群れの監視塔ではなく、町の近くであり、エルサレムへの道に在った監視塔〜ヤグラなのです。

ミシュナの一節は、そこで放牧されていた羊の群れは、神殿の祭壇にコルバンとして捧げられる役割の羊であり、したがって、羊の世話をする羊飼いは、普通の羊飼いではなかったという結論に至っているのです。

後者は、宗教的な規定から、隔離を余儀なくされたことや、生活様式が厳格な法的遵守を不可能ではないにせよ、困難にしていたことから、ラビ主義の禁制下に置かれていました。

同じミシュナの文章から、これらの羊の群れは、一年中野原にいると推測できますが、大雨の時期など羊の囲いの中に入るでしょう。

なぜなら、過ぎ越しの祭りの30日前、つまりイスラエルの平均降雨量がほぼ最大となる2月に野原にいると述べられているからです。

天候の良い春の日に、出産する羊の様子を夜通し、やぐらから見守るのです。天候を見守るのも、羊飼いの役割でしょう。

このように、ユダヤの伝統は、羊飼い達が、一年中神殿の羊の群れを見守っていた「ミグダル・エデル」から、メシアが誕生した、最初の啓示を漠然と理解していました。このような偶然の深い象徴的意味については、言うまでもありません。

[アルフレッド・エダースハイム – イエス・メシアの生涯と時代(1899)]

ベツレヘムの町のすぐ外、ベツレヘムとして一般に知られている地域内に、特別な訓練を受け、聖別されたレビ族の祭司兼羊飼いによって過越しの子羊が飼われていた場所がありました。

子羊は「ミグダル エデル」として知られるこの「羊の塔」で羊飼いの祭司たちの監視下で生まれ、祭司たちは子羊を検査し、神殿での供物としての使用を認可するか、または一般の使用のために解放するよう指定します。いくつかの情報源によると、認可された新しい子羊は、特別な産着で包まれたと記されています。

 

ルカ 2:12 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。

それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

 

御使は、レビ族の祭司の羊飼いに2つの部分から成るしるしを与えました。

1) 産着にくるまれている

2) 飼い葉桶に横たわっている

 

1世紀のイスラエルでは、木よりも石の方が豊富だったため、飼い葉桶は石で作られていました。

大きさはさまざまで、深さは約6~8インチでした。

1世紀のイスラエルでは、赤ちゃんが<産着にくるまれている>ことは珍しくありませんでした。赤ちゃんが生まれると、へその緒が切られて結ばれ、その後赤ちゃんは洗われ、塩と油でこすられ、布切れで包まれました。これらの布切れは、赤ちゃんが暖かく、手足がまっすぐに成長することを保証しました。このしるしの部分だけでは十分ではありませんでした。なぜなら、生まれたばかりの赤ちゃんは誰でも産着にくるまれていたからです。

 

<飼い葉桶に横たわっている>はしるしの2番目の部分であり、新生児は通常石で作られた飼い葉桶には入れられなかったため、この赤ちゃんは特別な存在でした。生まれたばかりの子羊は、踏みつけられないように、また落ち着かせる為に、布で包まれてから飼い葉桶に入れられていました。神の子である生まれたばかりの子羊イエシュアも、

同様に布で包まれて飼い葉桶に入れられました。

 

メシアが生まれた場所を正確に指し示しています。羊飼いたちはベツレヘムのすべての場所を捜す必要はありませんでした。彼らはどこへ行けばよいか知っていました。神殿の子羊が生まれた場所、聖書が

メシアが生まれると言っている場所、ミカ4:8「羊の群れのヤグラ」

ミグダルエダル。

典型的には、ベツレヘムの「ミグダル・エデル」は、救世主イェシュアが生まれるのに完璧な場所です。イェシュアは、永遠の子羊であるイェシュアを予表するために犠牲にされた何万もの子羊の誕生の地で生まれました。

ルカ2:12

救世主イエシュアはいつ生まれたのでしょうか?

聖書には羊飼いたちが夜、外で羊の番をしていたと記されている

以下は、イエシュアがいつ生まれたのかを特定するのに役立つ手がかりです

 

季節の手がかり:

人間とは異なり、羊には出産の季節があります。1 世紀のイスラエルでは、当時すでに存在していた羊の品種のため、出産の季節は 3 月下旬から 4 月中旬でした。羊飼いは出産の季節には通常、夜間に野外で羊の群れを監視するだけでした。12 月は羊飼いが夜間に羊の群れを

野外に野ばなしにして、監視するには寒すぎ、しかも雨季で、

雨が多すぎたでしょう。

イエシュアは「神の子羊」なので、レビ族の祭司兼羊飼い以上に

イエシュアの誕生を歓迎する人はいません。

人口調査では、家族が父親の出身地に戻る必要がありました。

ヨセフはダビデの家族、ユダ族に属していたため、その夜ベツレヘムにいました。ローマ帝国は冬に人口調査を要求しなかったでしょう。

一年で一番寒い12月25日など、その寒さと雨の中、大勢の人々が長距離を移動するのは非常に困難だったからです。そんな時期に人口調査の為、大群を徒歩で移動させるのは、非常識、あり得ない事です。

したがって、メシアの12 月の誕生日は、少なくとも疑わしいものです。

出エジプト 12:5 小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。

<羊の年>

過越祭でコルバンとして捧げられる時点で、子羊が 1 歳だった場合、子羊は 1 年前の同じ時期、つまり春の過越の時期、羊の産まれる時期に生まれたことになります。

コルバンの子羊の予兆を成就したイェシュアも過越祭で犠牲にされたので、春の同じ時期に生まれたことになります。

イェシュアは過越祭の時期に生まれました。

 

神の祭りのヒント: レビ記23章。

イェシュアの人生におけるすべての重要な出来事は、神が創造された祭り、又はモアデイムの日に対応しています。

その理由は、神の創造された

記念日は、シャバットを中心に、全てがイエシュアの業〜福音を網らする内容のものであり、同時に全て預言的祭りです。

だから、その祭りの意味〜時〜モアデイムを知っている人達は、神が

神のモアデイムに、全てイエシュアに関する特別な業をされている

事実を、はっきりと理解して、聖書から知っているのです。

過越もそうでしょう。イエシュアの最初の到来、過越の子羊として

処刑され、復活=初穂、そして、シャヴオートの祭り、子羊の血の

贖いで新しくされた人が、婚姻契約を受け取った、これらは地上で

既に実際に起きた出来事であり、神の祭りに全て起きているでしょう。事実が繋がり、見えるでしょうか?

そして、秋の祭りは、これから起きるイエシュアの再臨に関しての

1連の預言的祭り、そして永遠にイエシュアが統治する世界が来る事を表している祭りだからです。

クリスチャンの世界では、神の創造された福音を網羅する、預言的祭りの意味を教えられない、実際に祝った事がないので、聖書に書かれている意味が見えてこないのです。

そこから考えて見ても、イエシュアの地上での誕生と同じくらい重要な出来事も祭りと一致している必要があります。永遠の神である

お方は、 יהוה は秩序の神です。すべてが秩序、神のデザイン、性質どおり正しくなければならないので、春の祭りでなければなりません。まずイエシュアの誕生、そして彼の死、復活なども、ぴったり神の

定めの時〜モアデイムと一致しているのです。

神が伝える数字には、意味があります。だから、人間がシャバットが

7なのに、1とすると、神が伝えている実態、意味が変わり、そして

神が呼び出してもいない日に、呼び出された聖日などと言って、

主役なしの会合が行われてしまうのです。

神が呼び出している日、暦を無視し、人間が勝手に創作し直す、

この矛盾を真剣に考えるべき時が来たのです。

 

永遠なる神は、私たちに一年とすべてのことを日月の最初の日に始めるよう命じています。それが新月の日、これも神の定めの日、聖日です。

出エジプト 12:1 主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、

12:2 「この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。

イエシュアは、おそらく聖書の暦、ヘブライ暦の初め、新月の日に生まれたと推測されます。イエシュアは、過越祭の日に亡くなりました。これは、コルバンの子羊が犠牲にされた日です。

その後、種なしパンの祭りの7日間がやってきました

(パン種は罪の象徴です)。

イエシュアは罪のない人生を送った後、墓に横たわりました。

イエシュアは、7日間の種無しパンの真ん中に来る、初穂祭の日に

復活しました。これはイスラエルが永遠の神に地の初穂を捧げた日です。呪われた地から、イエシュアは復活の命として天に昇り、

そして、私達をイエシュアの命=初穂に加えられ、新しい命が与えられている証明をしてくださいました。イエシュアは永遠の神の初穂であり、復活した多くの人々の最初の者、初穂でした。

神は「シャブート」(ペンテコステ)に、婚姻契約〜契り〜トラーを人々に与え、神の国の大家族の正式な一員としてくださり、聖別された花嫁としてくださいました。

続く

 

監視タワー ヤグラ

 

 

飼葉おけ