アヴラハムは、元々異邦人でした。父親は異教の神々を信じる異教徒でした。メソポタミアの都市育ちの異邦人。
そのような家庭、生まれ育ちの人が突然神に呼び出された事が
かいてあるのです。
イスラエルという民族が、国として正式に形成されたのは、シナイ山のシャヴオートです。そして、そのイスラエルの中に異邦人も同様に混合で混じって出エジプトし、1つのイスラエルという神の大家族、聖なる民にされていた記述を、読み逃してはなりません!
それ以前から、アヴラハムを通して、神に選び出された人の群れ〜
大家族〜残りの民は形成され1つの群れ=カハール=エクレシアに
加え続けられ同じ神の教え=トラーを口頭で教えられ続けたのです。
エデンの園から、人は一人の人=アダム、土=アダマから造られた人から全ての人が出てきたからです。人は一体で繋がっているのです。
アヴラハムが生まれる前から、永遠からイエシュアは存在し、
アヴラハムは、未来にイエシュアが来られる日を知り、信じて
同じ救い贖いを内側に得て、喜び楽しんだと書いてあるでしょう。
時系列上に物事を考えないで、永遠から、神は残りの民〜神が選び出した人を確保している、永遠から贖い、救いは存在しているその事実を聖書から把握してください。
同じ福音が、聖書から最後まで語られているのです。歴史の途中で
神の救いの方法は変わりません!イエシュアは永遠に同じだからです。
福音とは、神の中=エデン=喜び、本来人が存在する場所=神の中、
ハマコム=場所、本来の性質=ヌアフ=安息に存在し、そして
エデン=喜びだけを体験して、神と人と顔を合わせて一体として生きる、神の性質通りを生きる!そこから飛び出して、神の内側の外側に閉じ込められてしまった。
それぞれが、神から切り離されて神の中から飛び出し、内側の外側に閉じ込められた場所=別の教えの奴隷になり、本来の自分の自己像が分からず、神との関係から切り離された人が、元の状態に戻る修復〜それが福音なのです。
最初から最後まで、1つの同じ福音がずっと語られているのです。
子羊の血の代価は、永遠の中に屠られている事実を知れば見えます。イエシュアは永遠から存在する。始まりも終わりもない、誰にも何にも支えられる必要がない、唯一の存在である神だからです。
ガラテヤ3:1 ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。
当時1世紀のユダヤ人宗教エリートの教えの思想に影響されていた、ガラテヤの人たち。
これは、宗教の教えに染まった異邦人も同じです。
群れのトップやリーダーの教え、思想に洗脳されるでしょう。
そして、その洗脳された思考回路に対して、いくら、聖書の真実を
言われても、頭脳に刷り込まれた偽、嘘の教えが、神の教えだと思い込んでいれば、聖書に記された神の言葉が、理解できないままになるのです。
人は、神の言葉、教えではない事に、実は多大に影響されたまま
気が付かないのです。自分の周りで、聖書とは違う教えをされているから、神の言葉が永遠普遍!と言いながら、途中で変わったという
大矛盾を平気で言い、信じているのも、全く同じ事です。
日曜日は、安息日と本気で信じているでしょう?それって聖書とは
異なる、人間の作った記念日であり、異邦人が勝手に主日、主の日
聖日、安息日と呼んでいるだけ。
他社の商品ロゴをそっくりコピーして、無断で違法で勝手に使用しているのと同じ事をしていることにも、気がついていないのです。
パウロのようなユダヤ人トラー教師は、そのような神の言葉に対する冒涜、不真実は決して教える事などあり得ませんまが、そのような
教えを異邦人教師にされてきた異邦人は、非聖書的教えなのに、
その嘘矛盾にをなかなか気がつけないのです。人の教えが頭脳に染みつき、占拠されたまま、その慣れ親しんだ人の伝統の教えからだけ
考えて、今は恵みの時代だ〜律法は廃れた〜と、神の言葉に対して、不敬、反逆、聖書とは異なる意味不明な矛盾を言い続けている事にも気がつけず、理解しないままです。人の教えのスローガンを日々絶えず聞かされ、唱え続ける事をする環境にあっては、その偽情報の脳回路の根は、がっちり固く頭脳に植え続けてしまって、神の目から神の言葉通りを正しく見る事ができなくなっているのです。
ここでは、改宗儀式、彼らが示す彼らの編み出したルール、掟を生きる、又はイエシュアの救いを体験しない人は、神の前に行いにより
神に義とされると信じていれば、それをやってしまう人に教えられてしまったのです。
でも、イエシュアを信じた人は、どうですか?何が聖書に書いてあるのでしょうか?聖書=タナック〜モーセの五書、預言書、諸書だけを
パウロは考えて話している事を忘れないでください。
タナックの中には、神の教えの完全版、イエシュアが至る所に記されて、教えられているのです。
3:2 わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。
あなたがたが御霊を受けたのは、トラーを行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
御霊を受けた人は、信じたから、生まれ変わり、聖霊を内側に受け取った体験をしています。生まれ変わる、聖霊が内側に入って住まうようになった事が何か、体験的に知っているのです。
洗礼を受けたから、イエシュアと出会う体験をしたのではない、
洗礼する事により、聖霊を受けたのではないことは、本当にイエシュアに出会い深い納得を得た人なら、誰でも分かるでしょう?
それです。それを、忘れないで!神の言葉を聞いて、信じて受けとったから、それが起きたのです。
アダム、ハヴァ、ノア、アヴラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、古代の残りの民!今も未来も、みんな同じなのです。
出エジプトの時の人々、イスラエルと異邦人も同じです!
子羊の血の贖い〜イエシュアの実態の影、子羊の血を鴨居に塗り、
それにより、実際にその人の家は守られ、初子は死を免れた実体験をした。エデンの園から、永遠から、同じ福音を教えられたのです。
永遠の中に屠られたイエシュア、子羊の血の代価が、実際の子羊の血で表されて、そして、2000年前の過越の時、同じように、過越の子羊のコルバンとして、イエシュアが地上で、あの日あの時、神の
モアデイム=定めの時=ハグ=祭りの時、屠られた、全部同じ福音、実態を教えているのです。
それを信じて受け取った人、イエシュアが来られる以前の人は未来へ
当時の人、今の人はそれを過去に見て、永遠の中に屠られて完了している、イエシュアの業を信仰により受け取り、新しくされ、御霊を
受けた、全部どの時代も、どの人種も同じです!
続く