ヨムキプルの回想 詩篇51 レビ記16 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

詩篇51:13そうすればわたしは、とが〜ハタイム(複数形)を犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。

 

あなたの道=デレハ あなたの道〜「神の道」とは、神が人に

教えている、人の生き方、それらは神の言葉=モーセの五書に

書かれている内容です。

帰る〜シュヴ〜戻る。神の元に戻る。

 

詩篇51:18あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください。

<シオンがあなたの受け入れられること、あなたの考え通りにすること、あなたの御旨により、エルサレムの壁が築かれる。>

 

詩篇51:19 その時あなたは義のいけにえと燔祭と、全き

燔祭とを喜ばれるでしょう。その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。

<全焼のコルバンが、あなたを喜ばせる>

 

レビ記16章 23章は、ハタ罪と、全焼のコルバンに付いて

書かれています。

ハタ(罪のためのコルバン) オラ(燔祭=全焼のコルバン)

 

レビ記16:5

またイスラエルの人々の会衆から雄やぎ二頭を罪祭=ハタのために取り、雄羊一頭を燔祭=オラーのために取らなければならない。

 

罪の供え物の手順は、常に祭壇に「オラー」として置き、その上に「ハタ」の供物を置き、そして、その「ハタ」の供物の上にまたオラーを置くのです。メシアの完成された業に照らして、

これについて考える、話し合ってみます。

そしてヨハネの11:9 に照らし合わせて考える。「ハタ」のコルバンを捧げる際は、内臓が開かれて、中身が全て見えるように捧げられることを考えます。

隠れたところにあるものが、明らかにされる。神の前に、神が見られて明らかにされている事を、自分も認識することを表しています。

自分の中に秘められているハタ=ズレ=罪が、内臓〜自分自身を痛める。

その秘められているズレ=ハタは何なのか?を、神が見ている通りに、自分が見て、ズレに気が付いて認識するためです。

 

創造主、父なる神、アバが私達子らに教えていることは、
あなたはそれを、外した、失った、ミスした!本来のあなたで

本来の体験をする、その「時、瞬間」失った、ミスした、逃した!その「時、瞬間」に、本当のあなたであるあなたそのものの生き方を失った、ズレた、逃したのです。

その「時間、瞬間、時」に、あなたは他の人と体験すべきもの、時間を逃し、失ったのです。

 

あなたは、逃してしまった、失ってしまった。本来の体験を、

本来体験するその「時」を、失った、逃したのです。

本物のあなたで、他者との関係を体験する時間、チャンスを

失ってしまったのです。

何を、自分が失ったのか、ズレたのか、逃したのか、本物の自分で、本物の体験をする逃した結果が、自分に何をもたらすのでしょうか?と考える。ズレ=ハタに気が付いたら、それを神に告白する〜ホモレゲオ。神が見たことを自分に伝えられた通りに、

神に対して復唱して返す行為が、ホモレゲオ〜告白すると書いてあるギリシャ語の意味です。

神に対して、神が私達に示して見せてくださる通りを、復唱して

言い返すのです。そして、自分自身に伝える、言うのです。

そして、そのズレた状態を、オラー=全焼の供物の上に置く。
ホモレゲオを神の前にする過程は、私達の本来の現実で始める

のです。なぜならば、私達はメシアにより完成された業を与えられている、新しく創造された人を与えられた!と、神が私達の本当の性質、アイデンティティを教えているからです。

 

だから、オラー〜立ち上る全焼のコルバンの上にハタのコルバンを乗せ、その上にオラー全焼のコルバンを乗せる。
メシアの業で、私達のズレは、完全に焼き尽くされて、煙は

芳しい香りとして、天に昇る、神に完全に受け取られて喜ばれている事実を、創造主、アバが私達に教えているからです。

 

レビ記16:16イスラエルの人々の汚れと、そのとが(ペシャ)、すなわち、彼らのもろもろの罪(ハタ)のゆえに、(大祭司は)聖所のためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない。

 

レビ記16:21そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、これを荒野に送らなければならない。