よくよく、聖書と照らし合わせて、自分が信じて唱えている教えは、聖書に記述されている、神の言葉=神の教えなのか、それとも伝統で2000年近く継承、伝承されている、人間異邦人西洋教父達が作った、ただの宗教思想、人間の教えなのか?聖書に
照らし合わせて、一人一人が真剣に考える必要があるのです。
分かりにくいのは、姦淫の罪と呼ばれる、人の教え=異教の神々の思想が神の言葉に混ざる、混入、混在している教えです。
半分本当、半分嘘、だから嘘だと見分けにくい。エデンの園の蛇の嘘と同じ!アダムとハヴァは、神の言葉だけに照らし合わせて考えれば、その蛇の嘘を見抜けたはずです。でも、それらしく
聞こえる、耳に心地よい、目にもその知識の木の実はアピールするものであった!だから、その蛇の声=嘘の方に惹かれたのでしょう?神の言葉の方を退けて!
ユダヤ人とて、変な思想を持つ人は大勢いますし、巷には、聖書ではない、非聖書的な教えが氾濫しています。それを聖書が教えられていると信じて、実践している人もいるのです。
ズレたことを解説する神秘主義などもあるのです。しかも、海外アメリカで育ったユダヤ人が、デイスペンセーション人造神学を学び、人の思想が頭脳に根付いて、人の思想から聖書を考えることをしていれば、それも聖書ではない、ズレたおかしな思想を
生み出しているのです。でも、聖書を知らない人には、それが本当に聞こえてしまうのです。どうしたら、そんな非聖書的思考回路になるのだろう?その元は、全部嘘=混ぜ物の教えのせい。
イスラエルの神の花嫁は、イスラエルだけです!それなのに、
イスラエルの神の花嫁は2つある、などと教えています!嘘!
こういう思想が、神の言葉とは異なる、まやかし、嘘、聖書ではないのに、聖書のように自分の思想、持論を解説し、人に誤りの教えを教えて続けて、人を神の真実から引き剥がし続けてしまっているのです。
イスラエルの神の花嫁は一人だけです!イスラエルだけ!
神はイスラエルとしか、契約を結んでいませんし、他の民族に
特定の国を与えて、そこに神が住まうことなどしていません!
ローマにイエシュアは戻って来ませんが、カトリックの人は
ローマにジーザスが帰ってくるかもと信じている。
そんなこと、一体聖書のどこに書いてあるのでしょうか?
イスラエルの神が、イスラエルを選んだ理由は、イスラエルと
言う代表を通して、全民族の父であるアヴラハムを通して、
全世界の人が同じ福音、贖い、救い、同じ祝福、イスラエルの神の元に修復されるためです。
イスラエルの神=エハッド、一つ以上で全く1つ、分裂した神ではありません!神の花嫁は、イスラエルだけです!異邦人も、
イエシュア=ユダヤ人メシアを通して、同じ代価、同じ1つの方法で贖われ、救われたら、誰でも同じイスラエルの神の花嫁と
される!イスラエルの神の大家族の一員として加えられる、
同じ婚姻契約を神から与えられて、祝福、保証、保護、守りを
与えられ、天の共同相続人になる!同じなのです。
1970年〜キリスト教の活動は全盛期でした。色々なスローガンやムーブメントが次々に出現し、クリスチャングループは何万という宗派が出現し、それぞれが強調する思想で、そのグループに名前が付けられています。
そして、次々に起きるムーブメントは、ある教えが得に強調され唱えられたり、ある言葉や祈りを唱えたりするのが流行る。
「ヤベツの祈り」なんていうものが流行った時がある。
あるグループでは、ある言葉をギリシャ語で唱える祈りというのを、牧師が流行らせていたことがある、色々なものがあります。
癒しの現象、奇跡の現象、それらは、やらせがほとんどでしたが、ステージで、ショーを見るように、さくらを雇って、そんなパフォーマンスをする、今もやっているでしょう。
でも、神の言葉や神の教えはある部分だけが、取り出されて強調されるものではありません。
神の言葉=教えは全部が揃って、完全=シャローム=欠けのないものであり、それら全てが人の生きる本質であること、神の似姿に創造された人の性質の生き方であることを、神が教えているからです。
巷には、聖書かそうではないのか見分けられないほど、人の思想と混ざった聖書解説、教えが氾濫していますが、聖書に書かれていることを正しく知れば、それらの嘘を、神の言葉に基づき、
識別、判定、見分けられることができます。
その基本は、聖書に書かれていること、例えば上記のように、
神を二つに分ける、人を二つに分ける、神の教えは時代ごとに分ける、救いの方法を2つに分ける、神の言葉を分断し、終了、無効という、それら全ては人の編み出した思想、考え、宗教哲学であることを、はっきり聖書から認識すれば良いのです。
どの神の教えをも、否定、終了、無効、関係ない、時代遅れなどと解説するものは、聖書ではない、人間が勝手に言っているだけです。言葉=聖霊=イエシュアのどの部分でも否定する思想は、聖書=神の教えなどではない!
ウルトラマンはウルトラの父と一体、同じ意識で生きて行動し
ウルトラマンはウルトラの父を、仲間を身内を裏切り撃退などしない!
聖書を知らないまま、人の思想が聖書だと考えている思想であるということが、神の永遠普遍の言葉から分かっていれば、神の
言葉を曲げる思想は聖書ではない!聖書に照らし合わせてそれらの教えが、聖書かどうか、確認できます。聖書に書かれていないことは、人の空想、人の発想、人が編み出した教えや記念日、
ましてや神の言葉を否定、終了、無効とする教えなどは永遠に
1000%神の言葉とは異なる、イスラエルの神に属さない別物の教えです。
今の秋のこの時期、一年の最後の収穫が全部集められる時期は、神が神の子らを呼び出して、全員が神の言葉に基づいて、皆が
軌道修正して、神の言葉に根付き生きることに戻る事をすると、創造主である神が、神の子ら全員に対して漏れなく促しているのです。
クリスチャンのグループで、再臨の出来事を網羅する、創造主が呼び出している記念日を知らないまま、大事な神の教えに意識を向けることを教えられていませんが、ぜひ、考えてみてください。聖書とは異なる、人の教えを聞いても、神が伝えている永遠の真実が見えない、分からないままになります。
でも生ける神は、神の生ける言葉から、今あなたに直接語りかけています!
聖書=神の言葉=聖霊が語りかけているから、聖書を読めば良いのです。書いてある通りに、正しく理解して、把握し、生きる。
それが、あなたです!と神が言われることを、今生きる。
神の再臨を目覚めて待っていて!10人の花嫁の5人が、不意打ちにあったのは、神の言葉=トラー=油を持って、それに根付いて生きていない人たちの事が書かれています。
5とは、モーセの五書=神の教え=契約に記された人の生き方を表しているのです。その人達は、花婿を迎える準備ができていなかったと、いつ花婿が来られるのかも、リハーサルして準備も
していなかったと、イエシュアが、たとえ話を通して、ここで教えているでしょう!一年の間、神が呼び出している日、命のサイクル、イエシュアの業、福音の中核を、実体験で学ぶ、神に教えあれて、特別な出会いをする、シャバット、新月、春と秋の祭りを忘れて生きている。
この秋の祭り、記念日も、イスラエルの神が神の子ら全員を呼び出して準備し、リハーサルをするように教えていることを知らないなら、5人〜モーセの五書!トラー、神の教え=イエシュアの教えを忘れて生きている花嫁と同じになっているのです!と
イエシュアが教えている、そのたとえ話の本当の意味を、今ぜひ知って、神の招きに応答し、神の言葉だけに戻り、神の前に、本当の修復〜悔い改めを促されている事実に気がついてください。
この油=神の言葉に根付き生きる事は、人からもらえるものではない!と教えている事に気が付きますか?
その油を分けて下さい!と、神の教えを忘れて生きている人たちは、神の教えを生きて準備している人に、頼みましたよね。
でもそれは不可能!ケチだから、分けないのではないのです。
それは、できないから人にお裾分けなどできないのです。
神の言葉を知り、探究し、そして神の言葉に根付いて、本物の命を生きるのは、その本人しかできないことだから!と教えているものだからです。そうでしょう。人の人生を借りて生きられない。人が生きてきたものを、もらって生きられない。一人一人が神の前に神の言葉の真実に根付いて生きる事は、その人しかできないからです。
神の言葉を捨てることは、神が人に与えている知恵を捨て、神が教えている教えを捨て、愚かな生き方をすることに繋がります。神の言葉を捨てる人には、神に自分は何を教えられているのかも、分からないままになるのは、当然なのです。あなたが教科書を捨てたら、それを読まない、学ばなければ、中身を理解していないので、テストで赤点取る=教えられている内容を理解していないと言うことが起きるのです。それと同じです。
神の言葉を捨てよ!と言う教えのどれもが、エデンの園の蛇の声とはっきり、神の言葉から理解したら、サタンの誘いなどに乗るのは、やめるはずです。
愚かな教えが、正義に聞こえるのは、思考回路が、神の言葉からずれた場所で考えて生きているからです。神の言葉を捨てよ、
廃れた、無用だ〜!イエシュアは神の言葉から、教えから、解放するために来られた〜!聖霊時代は神の言葉(律法)は無用だ〜!聖霊時代て何ですか?聖霊に導かれる人は何を生きるのですか?聖霊=言葉=トラー=イエシュアなのです。神の言葉は聖霊により書かれているのに、聖霊が聖霊を否定する教えをする!変なこと言っている、
「ウルトラマン、ウルトラの父を撃沈するの巻」を、語っていることに気がついて下さい。
自分の体の臓器は自分の体の他の臓器を追い出したりしません!
今日は第7日目の軌道修正、神の言葉に戻り生きる悔い改めを
する日です。悔い改めと言う言葉は、悔いる〜神の言葉、教えから離れて、ズレて生きていたことを悔いるのでしょう!そうしたら、改める、何を改める??本来の生き方=神の言葉、教えに根付いて生きること、生き方を改める。神の言葉に戻らない限り
本当の悔い改め、軌道修正はできないこと、まず知っておく必要があります。
さて、第7番目は、あなたは、しない、あなたではない!
新しく創造されて、メシア、イエシュアの中に秘蔵されている
新しくされた本物のあなたは、〜しない、あなたではない!
姦淫しない。
それは、新しくされたあなたが、契約の命の実態に生きているなら、あなたは、姦淫することなど、できない、しないからです!
と教えているのです。
そして、契約の命の中に、神の言葉に根付いて新しい人として
生きていなならば、契約の命に違反して生きているあなたなら、
あなたの肉は、行動、思想は、神の教えのどの部分でも破ることができてしまいます!と教えているのです。
姦淫とは、別の夫と繋がることです。
神は、結婚している人が、重婚することなど、認めていません。
聖書には、それが書かれていますが、みんなズレて生きていた
でも、それをすぐには、神は裁かないままでした。
神の元々のデザインは、夫婦は二人で向き合い、一体として生きる、これが神の創造のデザイン、性質、本質です。
でも、エデン=喜び=神の中から飛び出した人は、さまざまな
ズレ=罪を学習し、そのズレを生きた、それがそのまま聖書に
書かれています。聖書に書かれているから、それが良いこと!神が認めていることだなどと、読み違えては、ならないのです。
姦淫の罪とは、別物と交わることです。高きところの礼拝も
同じです。イスラエルが神の契約を破り、裏切り、姦淫の罪に走ったとは、実際に異教の神々の礼拝場所で、偶像を通して神を
礼拝し、異教の神殿の高きところで、神殿娼婦と交わったことでもあります。
別の教え=異教の神々=人間の宗教の教えに交わり生きることを言っているのです。
そして、黙示録14:4で、女に触れたことのない人が、子羊について行くと言う箇所を、イコール教父は結婚しないと誤解していますが、異教の神々、偶像礼拝、姦淫の罪=イエシュア=イスラエルの神以外の教えに交わったことのない人という意味です。
姦淫の罪とは、ずっと聖書に記されています。聖書ではない教えは、全て人間の考え、人間の手で作り出した偶像であり、イスラエルの神、イスラエルの神に属する教えなどではないのです。
聖書にはない人間が考えた教えの数々が、クリスチャンの教えの中に、浸透していることに、気がついていないと思います。
イエス、キリストの名を唱えていれば、それら全部がイスラエルの神のもの、神の教えではないからのです。姦淫の罪は、混ぜ物の教え!異教の神々、人の思想、異教の神々の習わし、儀式、
シンボル、異教の神々の礼拝日は、イスラエルの神に属するものではないからです。たとえ、キリストの名を使っても、神に属さない、神に聖別されているものではないものは、全部姦淫の罪!
あなたは、神に創造されている、イエシュアにより新しい創造物とされて、イエシュアの中に秘められているから、イエシュアが
提示する婚姻契約の生き方に留まり生きる、それがあなたです。
婚姻契約を破る生き方、イコール罪の路線に足を踏み入れている
だから、契約の命を生きていないあなたであれば、神のどんな
教えでも、どんな言葉でも、どんな呼び出し日でも、破ることが
できてしまいます。
神の言葉の中に人が作った宗教の教えを混ぜて添加物を生きること、そのものを「姦淫の罪」と警告されていることに、注目して、考えれば良いのです。
実際に、姦淫の罪〜婚姻関係にありながら、婚姻関係の中に契約を交わしてはない相手と、交わることは、「姦淫の罪」と書いてあるのです。
イエシュアが夫であるならば、イエシュアではない、偶像、異教の神々、人の思想と交わり生きること〜これこそが目に見えない
気が付かない、偶像礼拝であり、姦淫の罪!と警告されていることに気が付けば、安全に守られます。
別物=別の夫=別の思想、宗教の教えで、聖別された体、頭脳を
汚されてはならない!婚姻契約の中に留まり生きる本物のあなたは、姦淫〜別物の教えに同時に交わり生きることができない!
婚姻契約=神の伝える実態に留まらず生きるなら、あなたは神の
どの言葉にも違反できてしまい、姦淫の罪=別物を生きる罪を
犯すことができます!と、神が教えているのです。