神の名をみだりに唱えてはならないとは シャバットの回想 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

詩篇89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。

主よ、彼らはみ顔(神と顔と顔を合わせて)の光のなかを歩み、
 
祭りの日とは、ヘブライ語では「テルア」תְרוּעָ֑הと書かれています。詩篇89は、神の秋の聖日=ヨムテルアの日のことを語って喜び感謝賛美しているのです。叫ぶ日、世界の真ん中で告げ知らせる!声とは直接書かれていませんが、初めて天の警報=角笛の音を聞いたのは、シナイ山での「シャヴオート」の出来事です!天の声〜神の声、目覚ましコール!
神に贖い出された人達〜イスラエルと少数の異邦人達が、過越から7週後に、正式に花嫁とされた印の婚姻契約=トラーを受け
取った、それがシャヴオートの祭りです。
神との関係にある印は、「シャバット」であると神が人に伝えています。契約を結んだら、神は印を与えているのです。
①ノア=虹、②アヴラハム=割礼、③モーセ=シャバット、
そして同じ婚姻契約が再更新される、④イエシュアの新しく再更新される同じ契約=過越の祭りの種無しパンと、3杯目のワイン=贖いの杯、それが契約の印!これらは全ての契約は、モーセの五書=シナイ山の婚姻契約の中に網羅されて包括され、記されているのです。
 
角笛の音は、色々な意味がありますが、神の声=コルになぞらえているものです。目覚まし、警報!秋の祭りは、王の到来を準備せよ!王の王が来られる、その角笛=神の声=目覚ましコールなのです。
だから、この日の聖会は、מקרא קודש、ミクラコデシュ、聖なる集まり、ミクラ〜「呼び出す」いる、クラとは、呼び出し、
その元は、声=コルです。そして、神の声を聞いたら皆応答し
神の子らはこぞって出てきて集まる、コデシュとは聖なるという意味です。
その記念日を、知る人、יוֹדְעֵ֣י 「知る」というヘブライ語は、
婚姻関係の夫婦の間の「知る」これ以上ない親しい究極の親密さの知る!という意味なのです。神の呼び出している日、
モアデイムを理解し、それを神の伝えている通りに深く知っている人!角笛の音を知る人は幸い!と神が教えているのです。
クリスチャンもこの日を、神との究極の親しさ〜神との親密な関係の中にいるなら、神に呼び出されています。人ではなく、神が呼び出している特別な日の意味を理解して、祝うならば、その人は幸い!と神が教えているのです!
ユダヤ人だけの教え、ユダヤ人だけの祭りなんて、神は1つも
紹介していません!
神の子らにされた人には、イスラエルも
異邦人も差別、区別はありません!同じイスラエルの神の家の子供は、同じ親の元で、同じ親が教える家訓を生きて、神が
創造された代々永遠に祝うと神が教えた記念日を生きる!

イスラエルと異邦人は、別々の教えを生きて、別々の記念日をそれぞれが考える通りに自由にやる、それは分裂家族、機能不全家族、神のデザインした、意図した家族の姿ではないということを、神の言葉=聖書から捉えて、理解すれば良いのです。
聖書には、神の聖日、記念日、祭りを巡り、その喜びを祝い、感謝する表現がたくさん記されています。聖書では、祭り、
祝い、と書かれていたら、それらは全て100%レビ記23章に記された、神が創造された記念日のことなのです。
詩篇118〜この日は主が造られた!クリスチャンもこの歌を歌うでしょう。これは、過越の祭りを喜び歌っているものなのです。以前、詩篇118の意味を知らないまま、過越の祭りの意味を知らないまま、ただ普通の日〜主が造られたと私は歌っていました。
これらの特別なアポイントメントの日=モアデイム、神のアポイントメントの日〜神が神の子ら全員を呼び出している日は、
全てモアデイム=定めの日=アポイントメントの日であり、
「季節」と訳されていますが、ヘブライ語ではモアデイムです。
定めの日〜神が決めた日〜主の日=聖日に、神が神の子らを呼び出していると、神が教えています。
異邦人西洋宗教教父が勝手に作って決めた日を、主日、聖日と
クリスチャンの教えでは、そう呼んでしまっていますが、聖書に書かれている主の日=聖日は、レビ記23章だけであり、又は
神が特別な業をされる日を主の日と聖書では伝えています。
人間が作った宗教の記念日〜日曜、クリスマス、イースターは
宗教の記念日であり、主の日、神の聖日、呼び出し日ではありません!
聖書=神の言葉の事実に完全に戻らない限り、人の教えの添加物で、神の言葉の真実が覆い隠され、別の顔〜偶像にすり替わっていることに、イエシュアを信じて、聖書を読みながら、神が伝える事実に全く気が付かない盲目状態に留まってしまうのです。
今日、今、聖書を読み、書いてある通りに読めば良いのです。
神は揺るがない証拠、永遠普遍の神の言葉を文字として残して
与えて下さったのです。嘘と本当を見分けられるために!
そして注目すべきは、神が特別な業を地上でされる時は、神の
モアデイムとぴったりと重なっていることに意識を向けて下さい。過越の祭りで、イエシュアが処刑され、初穂=ビクリムの
祝い日で、復活したのです。そして、その時から、7週後に、
シャヴオート(ペンテコステ)、シナイ山で神が自ら刻まれた
婚姻契約を、神の子らとされた花嫁に渡された、これら全て神のモアデイムであり、ハギム=過越と、シャヴオートは都上りの祭りであることを知って下さい。福音=イエシュアの業、神が地上でされる特別な業は、神の定めの日=モアデイムに行われているからです。
そして、秋のモアデイム=定めの日、祭りの一連も、未来にこれから起こる、再臨とイエシュアの統治を表し、教えているものです。春の祭りと、秋の祭りは鏡同士のように、お互い映し出しているものなのです。贖われた人達、そして贖われた人達が、この時代が過ぎたら、永遠にイエシュアの花嫁として、王の王である花婿が統治される世界=誰も主を知ろう!と言わない、皆の頭脳に、トラー=神の言葉が刻まれ、神が創造された人間本来の姿=イエシュアの生き方通りを生きる世界が訪れるからです。

 

今日は、10の言葉の3番目を考える日の3日目です。

 

出エジプト20:7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに

唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、

罰しないでは置かないであろう。

 

ここに書かれている言葉は何でしょう?

主である神の名を、神の性質ではない空虚なものとして、提示し

掲げてはならない。神の名=実態、神ご自身である方の内容、

実態、性質を、神の実態ではないもの〜空虚なもの、神の性質とは異なることとして掲げて、宣言、提示する場合に、その人は、罪がない状態ではなくなる〜それが、罰せずにはおかないと訳されているものなのです。

この神の言葉が何を人に伝えているのか、十分注意して考えてみるのです。

ヘブライ語で「名」という意味は、実態、評判、性質を表しています。日本語でも、「名は体を表す」というそれと全く同じ意味です。

ここで、神が人に「あなたはそうしない」と言われている理由は2つあります。
1つは、メシアの中に秘められた、保存されている、新しい創造物であるあなたは、そうしないという意味です。

2つ目は、契約の命を生きているあなたは、そうしない。
— 契約の命を生きているあなたの肉体は、10の言葉のどれをも破ることはできない、契約の命を生きていないあなたは、神の言葉を自由に勝手に破るという意味だからです。

さて、これをよく考えてみます。

「みだりに神の名を唱える」と翻訳では書いてあり、神の言葉をずらずら発すること、発音することと考えますよね。

そういうことではなくて、神の名=実態通りではない、イスラエルの神像を語ること、生きること、これが神の実態が、シャヴ=空虚、空、無価値、虚無、空洞、意味なし、虚飾、空として、

周りへ伝え、教え、生きるということなのです。

それが宗教=人間の教えであるのです!神の教えは、終了、破棄無用、呪いの律法、ユダヤ人だけ生きればよい教え、無効、自分=現代、異邦人には関係ない教え、これらが、神が伝える

虚無〜空虚、シャヴの思想、行動なのです。

神の実態を、無、空、意味なし、虚飾として、自分に、そして

周りに宣言している、そのズレ=罪は、言及されないまま、あなたはクリーンな状態であることはありません!と神が警告されているのです!

宗教の教えは、神の言葉、教えらしく聞こえてもそれは、神が伝える事実ではないなら嘘!偽物!混ぜ物添加物で神の言葉のDNA

遺伝子を破壊する有害なものです。

歪んで、ゆるゆるの砂の土台=それがイスラエルの神の言葉を

空虚にする思想!その警告が、この20:7なのです。

神の教えは、古い、悪い、廃れたという、神と神の言葉の実態、空虚、無、虚飾する教えを聞き続けたら、神の言葉を正しく聞ける良い地=神の言葉を理解する頭脳ではない脳回路を頭脳の中に蔓延らせてしまいます。

だから、神の言葉が永遠普遍!とあるのに、書いてある通りに読めない危険に既に陥っているのでしょう?

気がついていないだけで。

人間が神の言葉を否定する行為は、人間が神になり変わる傲慢、罪、不遜、不敬な行為であり、人間が中心、人間至上主義!

エデンの園で、蛇が騙した〜これをしたら神のようになれるよ!と。既に神のに姿そっくりに造られていたのに、騙されて何か

足りないと思わされた、その騙しと同じです。

人間が人間の判断で、この神の言葉は今は無用、生きるか生きないか、自由に選んで良い、いつでも神の記念日=安息日などと

言っている思想が、どれほど、神の伝える実態を無にし、空虚にし、人を誤りの教えに導き続けているのか?神は1つ大家族として、神が提示する神のデザインされた人間の生き方=イエシュア=トラーを生きる実態に人を修復しているのに、その神の計画に反する思想を唱えて、人間の編み出した宗教の教えは、神の言葉をどの箇所でも、自分の判断で無視、無効とし良いとし、神の前に汚れた行為を日々行いながら、神の教えを知らない人は、

罪とは何かに、何も気が付かず異教徒と同じ生活をしているのです。

でも、それは、言及されないまま、罪なしのまま、浄化されないままではおかれない!と7節で警告されているのです。

イエシュアは、「わたしの羊はわたしの声を知って、ついてくる」

と言われました。声を知ってるとは、どういう意味だと思いますか?声=神のトラー=教えを知っているという意味です!モーセの五書に書かれた父の教えを知って生きている人。知っているという言葉も、同様に「ヤダ」という言葉であり、婚姻関係にある夫婦の親密さ、裏も表も体験的に知りつくしている契約の中に関係を結んでいる親しさの知るという意味で書かれているのです。

 

羊飼いの声=神の言葉を知らないから、別の声=別の羊飼い、

宗教の教えを、半分信じているのです。それは神の言葉に照らし合わせれば、神の言葉、声ではないと気がつけるでしょう。

 

神は今日のシャバットに、あなたを呼び出しています。

羊飼い=イエシュアの声は、あなたをシャバットに招待していることを知っていますか?

神と特別な会見をして、喜び楽しみを通して、神がどんなによい

お方か、あなたが知るために、この日を神が設けてくださって

います。人間が作った「主の日、聖日」と勝手に名付けている日は、人間の宗教が作った日で、神が創造された記念日でも、神が人を呼び出している日でもありません。神の伝える主の日、聖日ではない。どの日にどんな目的で誰と集まろうと自由です!

親しい友人、仲間と集まることは、いつでも楽しいことです!

でも神が聖別されて、神が神の子らを呼び出して特別な会見をする日は、神が決められた日であり、人間が決めた日ではありません!

神が創造された代々永遠に祝う私の記念日と、神の言葉が誤りのない完全な言葉であると、あなたが本気で信じているというならば、その信仰を態度で生きて表さないなら、それは虚しい信仰なのです。ヤコブ2:17-20

神の声を本当の意味では聞いていない、人間の声=宗教の声を

聞いて生きているだけ!大事なことは、人間が作った宗教の教えや記念日の伝統を継続して生きることではなく、神が人に伝えた通りを生きる、神が呼び出している日に神が意図した通りに聖別しその日を準備し、神と人との特別な時を祝う!これが、神の創造された本来のあなたであり、あなたが生きる道!イエシュアが教えられたことなのです。

イエシュアが祝われたのは、シャバット、新月、過越、初穂

シャブオート、そして、秋には、ヨムテルア、大贖罪日、そして

仮庵の祭り!!!再臨を待望するならば、あなたも、シャバットの今、イエシュアはあなたを招き、神と特別な出会いをする時を設けてくださっていることに気がついて下さい。

神の言葉を捨てるほど、愚かしく、悲しく、宝、祝福を捨てる

行為はありません。

虚しく神の実態を人に伝え、神の伝えた教えや記念日ではないことの方を尊重して生きる、それが、神の名をみだりにとなえては

ならない!という本当の意味なのです。

 

私達は、神の実態をそっくりそのまま〜神の伝える言葉を生きることで、世界へ地の塩、世の光、ここに戻れ!という灯台の

役割をするように、神に教えられているのです。

イエシュアを信じる人が、神の言葉、教えではなく、人間の作り物の教えや記念日を生きたら、それは曇った鏡、本物ではない別の偽像〜偽の顔、偽の神を人に伝えてしまうことを、知らない間にしてしまっているのです。

得にトラーを知るユダヤ人に、異邦人クリスチャンは偽のイエシュア像=変化する神、変化する言葉、変化する記念日という

イスラエルの神の顔=名=実態を表さない、別の人造宗教の教えを提示して、彼らに誤解を与えていることに、今気がついて下さい!

 

Shabbat Shalom