イエシュア メシアを示唆する記述が満載 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

創世記37:13 イスラエルはヨセフに言った、「あなたの兄弟たちはシケムで羊を飼っているではないか。さあ、あなたを彼らの所へつかわそう」。ヨセフは父に言った、「はい、行きます」。

37:14 父は彼に言った、「どうか、行って、あなたの兄弟たちは無事であるか、また群れは無事であるか見てきて、わたしに

知らせてください」。父が彼をヘブロンの谷からつかわしたので、彼はシケムに行った。

 

この箇所では、ヤコブの名が、ヤコブからイスラエルに変わっています。名前が変わる事が、聖書には書かれています。

この理由は、後ほど書いてみます。そして、ヤコブの生涯から、

ヨセフに繋がる一連の事は、全てメシアを指しているものです。

これも、ヤコブが辿った道のりの後に、書いてみます。

 

ヨセフの前に、父ヤコブがどんな人生を辿ってきたのか、ヤコブの生きた道のりを通して、イスラエルとそして私達信じるもの

一人一人の人生を重ね合わせる事ができます。

最初のエデンの園からの、人類の一番の問題は、神の言う事を

その通りにガードし生きないで、神の言葉を疑い、挙句のはてには無視し、神が禁じている行為=神がしてはならない!と伝えた事を、してしまった事。これが人類全ての問題の根!シンプルな原因でも、結果、罪が全人類に入り込み、神との隔たりができて、そして、神の似姿である自己像を失い、人間関係も亀裂し、複雑な問題を数々生み出し続けています。

 

これは、誰一人もれなく、エデンの園での神の言葉を無視した

行動をした、アダムとハヴァの影響を、直に受けています。

なぜでしょう?

それは、人は一体としてアダムとハヴァと繋がっているからです。同じ土=アダマから造られて、アダム=人からハヴァは造られて、それが今に至るまでずっと続いているからです。

DNAで伝承されている。

一人の人の行動が、全人類に罪をもたらし、第二のアダム、完全なる人であり罪を犯した事がないイエシュアにより、全人類に

神の贖いの業が完了されている!これは、永遠の中に既に完結しているものです。イエシュアには全く罪がなかった、罪ではない人が罪となったと書かれています。それは私たちの罪、意図的に犯した罪と、自分の意識に上らない事で、やっているズレた罪、全てを包括しているのです。

イエシュアには罪がないと、クリスチャンなら、聖書に書かれた事実を知っています。イエシュアがもしも、神の言葉を破るよう

人に教えたと言うならば、神の言葉を破る=罪を犯すように人に教えたとするならば、その時点で、イエシュアは救い主としての資格を失う事に気がつく事ができたら、聖書の永遠の真実が見えてきます。

ヤコブは、ヨセフと同じく、長子ではありませんでした。

エサウが長男であり、ヤコブは次男でした。でも、母のリベカは、ヤコブが神に選ばれた器である事を見抜いていたのです。

創世記25:29-34で、兄エサウは、空腹なので、「長子の権利」を「豆の煮物」如きで、ヤコブに与えてしまったのです。

ここで、分かる事は、エサウの思慮のなさ、長男として、家族全ての状態を見守り、ガードする役割をする器ではない事が、はっきりしています。エサウは長子の権利を軽んじたとあります。

 

その通り、エサウは無責任でした。そして、イサクやリベカが

禁じた他国の女性=異教徒を娶ってはならない!と警告しているのに、わざとそのような人を娶り、そしてエサウの妻が、イサクとリベカの悩みの種となってしまったとあります。とある国のとある王と同じく、そのような立場になる器ではない人は、その人の生き様を通して、 その立場になるのに相応しくないことを、世間に知らしめられるものなのです。

 

その事件があった後、母リベカはイサクがエサウに語る事を聞いて、先回りし、ヤコブが、父の好きな動物を取ってきて、リベカが料理し、兄エサウになる服を着て父イサクを騙して、長子の

祝福を奪い取るように、リベカに言われるのです。

イサクによる、一連の祝福儀式の祈りが終わったあと、エサウが後から入ってきて、ヤコブに、自分の祝福が、全て奪われた事を知ります。

エサウは殺意に燃えました。その為、その後ヤコブは、家族から離れて、母リベカが言う通りに、エサウの怒りから逃れるために、ハランの地に逃れるのです。

 

ハランの地の名前は、「怒る、燃え盛る、乾く、火をつける」

など、その地名で、ヤコブの辿った様子がうかがえるものです。

ハランのパダンアラムとは、パダン「(奴隷を解放するための)贖い、贖いの代価」を意味し、ラムとは、「高められる」という意味がある土地です。

 

ヤコブは、兄の服を着て、父イサクを騙したのです。服や名前とは、ヘブライでは、その人の実態、評判、性質を表すものです。

日本語でも、「名は体を表す」と言いますよね。それです。

兄エサウの服を、ヤコブが着たとは、自分の本来の服ではない、自分の性質とは異なるものを、しかも母親の助言で着せられたのです。これ、一人一人の人生にも繋がる事でもあります。

 

ヤコブという名前の意味は、「かかと」エケブから来ていて、

ヤコブとは、「かかとを掴むもの」という意味です。

その通りに、エサウのかかとを掴んで生まれてきたと書かれています。

そのヤコブが自分の内側で、変化をもたらした事件がありました。それは、ヤボクで、神の使い〜イエシュアに直接対面し、

格闘した事で起きた事が書かれています。それ以前に、天の御使が天と地が繋がる場所で、ハシゴを上り下りしていた夢を見ます。人に人生には、何度も神と出会う特別な体験の時が与えられているのです。創世記28章。そこの場所は、ベトエル「神の家」と呼ばれる場所になりました。

 

ヤコブのその後辿った人生は、創世記の中に書かれています。

ヤコブの人生は、「騙し」の中に生きた人生です。

エデンの園のテーマ、警告と同じ!騙されたまま生きる!

それは、神に創造された本来の自分を生きる事ができない人生、生き方を示唆しています。自分探しをして、一生を終わってしまい、自分を生きれない事に苦しむ事、それを多くの人は経験上

体験上、分かると思います。

ハランの地の叔父、ラバンの家に辿り着き、叔父のラバンに合計20年仕えます。

最初7年、ラケルを娶る為に仕え、その後、ラバンに騙されて

ラケルではない、姉のレアをあてがわれてしまいます。

そして、更に7年仕え、その後6年、合計20年ラバンに仕えるのですが、ラバンに騙し続けられたのです。ほぼ、無報酬状態で、何も与えられないままであったのです。

ヤコブの騙しを上回る、叔父ラバンの騙しを体験してしまうのです。

聖書に書いてある事を読み、これが神が許された事なのだと

誤解してはならない事がたくさんあります。

神の教えではない事を、聖書に登場する人達が生きた事が、たくさん書かれているからです。

側女を作って、その人たちに子供を産ませる事は、神が許可している事ではない、重婚や、近親相関は、神が許可していることではない、それなのに、太古の文化でそのような事が行われてしまっている事が赤裸々にそのまま、記されています。

そして、ノアの生きた世界や、ソドムとゴモラのように、神は

神の創造された人の生き方、デザインとは異なるLGBTQを忌み嫌い、そのおかげで、世界丸ごと洪水で滅ぼさなければならないほど、LGBTQ、神のデザインを破壊する生き方で覆われてしまったから、それ以外の方法がなかったのです。

もし、自分の生活している近所が、無法地帯のようならば、そこではもう、安全には生きられない、世界にはそんな場所があるのですが、それは人間が住むにふさわしくない、場所なのです。

 

そして、それは神が認めているから、それらの事件や記述が、

聖書に書かれているのではないのです。

タマルが、義父のユダに売春婦として買われた結果、救い主に

繋がる子孫が誕生するなんて?と考えますよね。

ダビデ王が、ヘテ人ウリヤの妻、バテシバを、ウリヤが戦争に

出ている間に、妊娠させてしまい、ウリヤを戦争の前線に出して殺しました。

そのダビデの系図から、救い主が生まれたのです。

でも、神はこの壊れた世界に、救い=イエシュアをもたらす為

様々な人の様々な失敗や人生を通しても、神のプランを成し遂げていることを、まず理解する、人間の目から見たら不思議な事だらけが書かれているからです。

 

20年、ヤコブは、ラケルの父、そして自分の母の兄弟である、

叔父ラバンに仕えてきました。

そして叔父ラバンには10度も報酬を変えたと書かれています。

つまり、ラバンは不当にヤコブを働かせ続けたと言う事です。

創世記31:38-42を読むと、ヤコブの苦労が表されています。

 

創世記31:38 わたしはこの二十年、あなたと一緒にいましたが、その間あなたの雌羊も雌やぎも子を産みそこねたことはなく、

またわたしはあなたの群れの雄羊を食べたこともありませんでした。

31:39 また野獣が、かみ裂いたものは、あなたのもとに持ってこないで、自分でそれを償いました。また昼盗まれたものも、夜盗まれたものも、あなたはわたしにその償いを求められました。

31:40 わたしのことを言えば、昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできませんでした。

31:41 わたしはこの二十年あなたの家族のひとりでありました。わたしはあなたのふたりの娘のために十四年、またあなたの群れのために六年、あなたに仕えましたが、あなたは十度もわたしの報酬を変えられました。

31:42 もし、わたしの父の神、アブラハムの神、イサクのかしこむ者がわたしと共におられなかったなら、あなたはきっとわたしを、から手で去らせたでしょう。神はわたしの悩みと、わたしの労苦とを顧みられて昨夜あなたを戒められたのです」。

 

そして、ヤコブには解決しなくてはならない、「恐怖、恐れ」

がありました。兄を騙して奪った長子の祝福、兄が殺意を持っている、この事を、ヤコブは忘れて生きていたはずはありません。

壊れた家族との関係。殺意とは、アベルとカインの事件にも繋がる、同じ事です。兄弟を妬み、殺した、人類初の殺人事件。

しかも兄弟間の殺人で、人類最初の家族の中で起きた、家族が

皆痛みを負う事になったのです。

私達の日々も、「恐れ、疑い、不信、そして、自分ではないことを生きてしまっている事」を、それに気が付かない間にしています。自分ではないこと〜神の子である事を、忘れて生きている。

何か特別な事を持って、自分は特別な存在だと確かめたくなるでしょう。それが自分の能力や、特殊技能や、財産や、美貌や、

それぞれ自分の価値を支える基準は違いますが、意味は同じ。

今や、整形、ダイエット、脂肪吸引やさまざまな事をして、自分ではない、理想の誰かの姿にようになろうというのが流行っています。神に愛されているのに、それが分からないからです。

又は自分のDNAではない別の性別で生きる、頭の中が混乱している状態、それが普通、その人の好み、選択であるという思想が

浸透しています。

 

そして、ある日夢で、神がヤコブに現れて、告げられます。

イスラエルの神=イエシュアです。同じ1つの神。

創世記31:11 その時、神の使が夢の中でわたしに言った、『ヤコブよ』。わたしは答えた、『ここにおります』。
創世記31:13 わたしはベテルの神です。かつてあなたはあそこで柱に油を注いで、わたしに誓いを立てましたが、いま立ってこの地を出て、あなたの生れた国へ帰りなさい』」。
 
神の使と書いてあるのは、ヘブライ語では、「マラフ」翻訳では
「天使、大使、メッセンジャー、御使い」とあります。神の託宣を運ぶ人が、御使=メッセンジャーです。
ここに書いてあるのは、明らかにイエシュアのことでしょう。
これから、ヤコブが自分を発見するヤボクで出会った御使と同じです。そして、ベテル=ベイト「家」 エル「神」。
 
ラバンが知らない間に、ヤコブは、家族全員引き連れて、パダンアラムのラバンの家を出て、生まれ故郷のカナンへ向かいます。この一連の話は、創世記に書いてあります。
その後32章では、故郷のカナンの地に向かうのですが、その時に、神の使いから告げられるのです。
ヤコブには、エサウという兄を騙したことで、エサウから殺意を
抱かれて逃げた場所で生きていました。エサウとの関係の問題に対する対面と、そしてヤコブ自身の中にあった、「騙しの中」に
生き続けて、兄の服を着せられ、本当の自分が分からないまま、
ヤコブ自身も、自分探しの旅をしていたことが分かるのです。
 
これが、ヤボクでの出来事で、転機が訪れるのです。
 
続く