人は神が創造された「時の中」を生きるように造られています。人は1週間、7日の中を生きる、神が7日サイクルを造られました。
神の時は、全て7を巡りデザインされています。7日、7日の祭りの祝い、過越からシャヴオートまで、7週、シュミタ年の7年目、6年の間畑で作物を取り、7年目に畑を休ませる、7年を
7回繰り返すヨベルの年。全てが元の所有者の元に戻り、全てが修復され、全ての負債がゼロになる。
全て7を巡り、全て修復、そしてやがて来る次の時代を示唆しています。
だから、ユダヤ人の賢人は、この世界は7000年として、考えています。だから、異邦人が語るように、進化論で、何万光年
この世界は何十億年なんて古さなどではなく、実は新しいもの
数千年の歴史で、今は一番終わりの時代なのです。
神を知らない人の語る科学は、偽物仮説が多いのです。
神はシャバットを中心に全ての行動を計画するように、人に教えています。
なぜなら、神がそう言われたからです。6日の間働いて、第7日目には、止まる、神が全ての業を6日の間で終わらせて、第7日目に止まったからと、シンプルな理由が書いてあります。
神は創造の第一日目に休まれたと、聖書に書かれていますか??
そして、シャバットを中心に、人の神への意識がいつも向いて、そして神の教えを巡らして、神が伝えた事を生きる連続をする、
それは、神が元々デザインした通りを、人が安全に生きるために神が人に教えているものだからです。
WWJD、What Would Jesus Do?ジーザスだったらどうするだろう?という、仮定で表現されている言葉ですが、アメリカで
このフレーズ、スローガンが流行って、ブレスレットが作られて、それを見て、「神の言葉を思い起こさせる印」として、腕に付けたりしています。
神も、人に神の言葉を思い起こさせる印=リマインダーを与えていますけれど、異邦人の間では、それらは知られる事はほとんど
ないのです。ヒゲ、衣のふさ、戸口のメズサ、割礼、髪の毛、
食べ物、そして神の聖別された記念日etc etc etc
シャバットもその一つです。神が人と契約を結び、人との関係にある証拠=永遠の印として与えたと、神が言われました。
WWJD、ジーザスならどうするだろう?と、言いながら、ジーザスが教えた教えを捨ているのは、一体どういうことだろう?
イエシュアの教えは律法、廃れた悪いと言うのはどうしてなんだろう?と、考えないとならないのです。神が人に悪い教えを最初にしたの?神の言葉は変化しないと言いながら、変化した?
イエシュアは、ユダ族のメシアであり、トラー、預言書に書かれているお方であり、ローマ化されたジーザスで、西洋人の書いた神学が語る神像ではないのです。
私が、初めて聖書の言葉を聞いたのは、幼稚園の時代でした。
それは幼稚園がプロスタントで経営される割と大きな幼稚園、
近所にすぐある幼稚園ではなく、ちょっと遠くのその幼稚園に通ったからです。
今でも、覚えていますが、お昼のお弁当の時間にお祈りしたり、クリスマスで劇をやったり、聖書のお話を園長先生や理事長がするのを聞いたりしました。「イエスさま」というのを聞いたのは、その時からの事だったと思います。
その後、日曜学校という所に、近所の友達が皆通っているので、
遊びに行くような気持ちで、一緒にそこに通っていました。
日曜学校には、小学校時代に行っていただけで、その後は行かなくなったのです。
自分の中で、はっきり救い主=イエシュアである事に出会ったのは、10代半ば過ぎのことです。
それは、聖書に書かれているイエシュアが語られた言葉、
「わたしが道であり、真理であり、命である」と、この言葉だけで、神と直接出会うという体験があったので、神の言葉の力、
現実、インパクトがどのようなものか分かったのです。
それ以前に、人は神を求めることに意識が向くように、神があらかじめ人生の中に起きる出来事1つ1つを使って、神に出会う、その時を与えているのです。
細かいこと、聖書に書かれていることは、詳しく何も分からないのに、自分の状態が、イエシュアが道と言われている、その道=イエシュアから外れていた、だから、真理を探し求めても分からないし、命に繋がっていなことを自覚していた、神が語る本物の命から程遠い生き方から外れていたと、はっきり理解できたのです。それは、人は神の性質に造られて、神のトラーが腹に書かれているから気がつけるのです。神の言葉は本当に不思議な力で人を生かすものであると書いてある通りです。
でも、その後の信仰生活は、翻訳聖書だけを読み、そして、アメリカでのクリスチャングループの中での教えや体験であり、そして、アメリカの神学校で教えられた人たちの教えだけを聞いて
信仰生活をして来ました。聖書の解説は、翻訳聖書からのみ!
でした。
基本的なこと、神が一人一人に計画をもって造られたこと、
神の計画は固く立つから、神の計画ならば、必ずそのようになること、そのような、単純な信仰は、最初の頃にはっきり自覚し
与えられたと思っています。
だから、何十時間も神に祈り続けて、断食して、神にゴリ押しすれば、神が願いを叶えてくれるかもという、祈りという意味の間違った捉え方は、偶像礼拝=異教の神々に関わる意識その者であることは、はっきりしています。祈りは、自分が神の御心を知ることに入るためにあるものだからです。神の考えに、ピッタリと周波数合わせること!神の考えを知る事。それが祈りの意味であると、ヘブライ語では分かるのです。
イスラエルの神=イエシュアと名前が変わるだけで、神に対するアプローチの意識は、偶像の神々に向かっている意識とまるで同じ、金の子牛を自分の手で作り、イスラエルの神を拝む偶像礼拝と同じです。
もちろん、海外には、どこの国に行っても日本人クリスチャン
グループもありますから、そのグループとの体験もあります。
そうすると、海外だと、日本や他の国から色々な方が来られて、色々な教えをして行くという、そういう世界も垣間見ました。
でも、一貫して、私が見聞きしたのは、所謂キリスト教という
異邦人の世界の教えのみだけでした。16年前迄は。
だから、一般的に教えられている事が、聖書の記述とは異なる事など、聖書を読んでも、気がつかない、聖書に書いてあるイエシュアが祝ったシャバットが、どうして1日=日曜日に変更になったのか?疑問に思って聞いても、それは復活を祝い、日曜日に
変更されたと、聖書に書いてない解説をされてしまい、「そうなのか〜」と疑いもなく信じたあの日から、本当のことに気が付くまでに、どのくらいの時間が経ってしまっただろうと、今も思っているのです。初めから本当の事を知りたかったです。
何曜日に集まろうと、何を目的で集まろうと、全く良い事であり、悪い事ではありません。
でも、神が聖別された日=主日=聖日と言ってない日を、聖別された日=神が呼び出している日と、発表している事が、神の前に
ズレた行為であり、人に偽情報を流している!それが悪い事である!という、意識、自覚がまるでない事が問題なのです。
神の言葉に対する、偽証をやっているからです。
多分世界では20年前、特に近年、「ヘブライ語聖書」記されている聖書に書かれている内容、異邦人=クリスチャンが、元のオリジナルの神の言葉が永遠である事実を知る事に至り、神の言葉のオリジナル、元に戻るという現象が世界中で起きています。
このような事は以前には、ありませんでした。
終わりの時代に、神が永遠〜太古から語られた同じ言葉が伝えられ、次の世代の人は、神の教え=トラーを忘れないと預言されている通り、終わりの時代にそれが起きている、今が終わりの時代であり、私たちの今日が歴史の最新の日だからです。
詩篇78:1−7
同時に、今イスラエルに住むユダヤ人が1世紀の時代より、多くのイスラエルが、イエシュアがメシアである事を、同胞である
ユダヤ人達の教えや発信により、メシアに出会っている現象が
起きているのです。
そこで語られているメシアは、異邦人が語るローマ化されたメシア、聖書に書かれているのとは違う、ローマ化したイエシュアではない、神の言葉が変化するとか、昇天以降新しい時代の教えが出たなどという聖書とは違う解説などしないからです。
だからイスラエルにいるユダヤ人は、イエシュアがタナックに記されたメシアである事に気が付く事ができるのです。
神の言葉を変えて人に伝える事には、多大な弊害と、損失、
ズレが伴う事を覚えておかなくてはならないのです。
なぜこのようなことが起きているのか、神が預言された通り、
終わりの時代、そしてイエシュアが来られる準備がされていると
いうことに、疑いの余地がないからです。
イエシュアは、やがて近い未来にエルサレムに戻ります。
そして、エルサレムから王の王、主の主として、世界を統治する時代がやってくると預言されています。
その時には、「誰も主を知ろう」ということがない、エレミヤ31で語られた状態が地の面に満ちるからです。
その意味は、このように、神の言葉が永遠である!ということを
誰も疑わない、神がモーセの五書で記された通りの神の教え、
婚姻契約の中に皆が頭脳に割礼がされ、神の伝える意味を理解し
シャローム、欠けのない状態で生きる日が来ると、預言されている通りのことが起きるからです。
だから、世界中が、神の祭りで、エルサレムに上ってくる日が
来る。その中には、イスラエルを攻撃し敵対した全ての国の代表として書かれているエジプトさえも、エルサレムに神の祭りを祝いに来るとあるのです。
パロは、モーセが神の祭りをしに、ネゲブ=荒野=エルサレムに行かせてと言ったリクエストを拒否したでしょう。
そのエジプトさえも、いや全世界が神の祭りのためにエルサレムに来て祝うとあるのです。ゼカリヤ14:16
神の国、イエシュアが統治する国は、神の言葉を否定する人は
一人も存在しなくなる、いや、それが違反であると、誰もが認識する時代が来ると預言されています。
そうすると、人が作った教え=思想、宗教の教えは、消えるのです。神の宮に、商人はいないと書いてある通りです。
偽の教えは消えて、神のシャバットや祭りを汚す人はいなくなると、預言されています。
ゼカリヤ14:21 エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。
神の国は、人種により分かれ、宗派により分かれ、性別や職業、貧富の差で分かれていると書かれていますか?
神の国は、肩書きも、人種も性別も関係なく、一人一人が単純に
イスラエルの神の子ら、神の国、神の家にメンバーの一人であるそれだけがあるだけです!
そして、神の家では、デイスペンセーション神学思想が語るように、異邦人は天で日曜礼拝をし、ユダヤ人は地上で神が創造された記念日を未来は祝うのだと、聖書のどこにそんな事が書いてありますか?
神は全て1つとして、一体に神の大家族を呼び戻しているのに、
同じ家族が、別々の教えを生きて、別々の記念日を生きる、
これこそ、分裂した一致のない機能不全家族の状態そのものです。
聖書には書いてない事を、どうして今の時代は実践すると神が教えているのだと信じているのか?それは、人間が作った宗教の教えを実践して、神の言葉を実践するのを2世紀にやめたから、
それが本当の理由なのです。
未来、イエシュアが戻られたら、神の子らは人種に関わらず、全ての人が、神が創造され聖別されたシャバット、祭りを祝うと預言されているのです。
そして、神の言葉や教え、祭りを拒否する人には、雨が降らないという警告が書かれているのです。
神が造られた記念日を尊重し、それを生きる人に、神は特別な出会いをシャバットの中でしてくださると約束しています。
大事なことは、神が言うことを、人が尊重し受け止め、実際に生きる事、至極シンプルな事実を神が伝えているのです。
WWJD?
Shabbat Shalom