もっと恐ろしく気色悪いのは、カトリックの教理やテキストを
書いてる人物が卑猥な画像を発表しています。恐ろしい。
教皇も12月に同性婚を祝福します、罪を祝福しますと罪へ堂々と大きく扉を開く事を表明しました!!!
<挑発的で性的なテーマを特集したビクトル・マヌエル・フェルナンデス枢機卿の1998年の本が再浮上し、すでに苦境に立たされているバチカン教義局長官への厳しい監視がさらに強まる可能性がある。>これはカトリックニュースエージェンシーに出ています。
内容が余りにも卑猥で酷すぎるので短い解説だけにします。
雅歌の解説をメシアと女性と考えていますが、雅歌は神が造られた最も親しい間柄、関係、人間の男女の関係を控えめ、露骨ではない表現で書いてあるのを読んでも分かるでしょう。
ユダヤ人のラビもこれを神と人との関係と言う人がいますが、
読んでいて、性的関係を表す言葉が下品で露骨な表現ではなく、オブラートに包んだ言葉で、ずらずらずらずら書かれているのです。
ヘブライ語なら尚更顕著に分かります。日本語でも分かるでしょう。この言葉は何を意味して言っていると日本人なら理屈、説明なしに理解出来るのと同じです。
それからしても、これは神が造られた男女の関係を表している事は明らかなのです。それは汚らわしい〜この意識は、知識の木の実を食べたことによる結果、神が見る通りに見えなくなった結果です。神が創造された麗しいものを、汚いと考える。
肉体は汚れて、劣り、霊は優れていると考える。
神は人を肉体、物理的に造られたでしょう。この世界の全ては
物理的に造られて、神はそれらご自分の造られた創造物を全て
見て、神の意図した通りが現れ出たから、”甚だ良い”トーヴ
メオード”と、歓喜感動の言葉を発したでしょう。
これ、グノーシス主義、禁欲主義と繋がる思想、思考回路です。
人は、神の目から見る事が出来なくなったから、全てが歪んで見える。そして美しいものを醜いものに変形させているのです。
この世の悪魔に賛同する人達がどんなに卑猥、卑劣な事を今堂々と形にして画像にして物理的に目に見えるものとして人の前に
晒しているか気が付いていますか?
何ですかあの大阪万博のテーマやロゴ!?デパートの地下に
臓器の形をしたスイーツが売られている?!なんだと思いますか?悪魔O拝をする人の儀式そのもののシンボルです。モレク神に自分の子供を生贄として捧げるその行為、この世界の闇は私達が想像する以上に地獄、闇です。
そんなものが堂々とお店に並べられている。
記事や動画のネットを開くと広告が色々と出て来ますよね。
子供達がやるゲームだと思いますが、本当に残酷な画像、ひどい
画像のゲーム。人を痛め付け、殺し、人に意地悪をする、困っている人に拍車をかけて、更にひどい状況を与える、こんな残酷なものを純粋な子供が見続ければ、犯罪者になる人がいるのも無理ないでしょう。仮想の世界で殺人や犯罪や人を殴ったり痛め付けたりするのがゲームで面白い?などと日々やっていれば、脳回路は確実に悪に染まるのです。食べ物の教えと同じです。
環境にあるものが五感を通して自分の中に飛び込んできたら、
吟味して異物は吐き出せ!これが反芻する動物で教えられているでしょう。物理的だけでなく霊的意味が食べ物の中に教えられているのです。エデンの園の木を思い出して!!!食べる!
とても大事な事。神の言う事を無視する代償は今も同じなのです。
犯罪を犯す人は常に空想、シュミレーションを頭の中に描いているのです。
だから、神が”悪を思い続けるな”と言うのは、人が誰かを憎んで
自分の頭がおかしくなり行動思想がおかしくならないための
守りである事は明らかです。それは毒を溜め込まない〜貝や汚れた動物の様に毒、菌、ウイルスを体内に溜め込む様にあなたは造られていないから、それらはあなたを破壊すると物理的霊的両面
ピッタリ同一のものとして神は人に教えているのです。
パウロが、”結婚を禁じるもの” ”食べ物を断つことを要求するもの”、偽りの霊、悪霊の教え!偽教師の教えとはっきり警告していますね。1テモテ4:3
結婚を禁じる教え!聞いたことありますよね。結婚は神が創造されたものであり、神のデザインである男女=夫婦、家族と言う
その神の祝福、デザインを人間が禁じる?おかしいでしょうその教え。神がいつそんな事言いましたか?だから聖書だけに戻らないとならないのです。聖書に照らし合わせれば、それは神の教えに反した、偽りの霊、悪霊の教えと教えているのです。
霊は、聖霊か悪霊どちらかしかありません。真ん中のグレーゾーンなんてないのです。だから異教の教えは聖書によれば全部悪霊が出所でありイスラエルの神のものではない。だから異教の教えを神の言葉に混ぜたらダメ=高き所の礼拝を神はものすごく厳しく禁じているのです。悪霊と知らない間に交わるからです。
そう理解出来れば、どんな教えでも、イスラエルの神に属さない
聖書ではない教えを取り込んではならないと分かる。
それが今も変わらない神の警告だからです。何が本当か分からなくなってしまっているでしょう。聖書に書いてあっても正しく
読み取っていない。人の教えで神の言葉の方を平気で曲げて解説してそれが聖書=神の教えだと思い込んでいる。
神の言われた言葉は変わりません!
するなかれ〜〜〜永遠に同じ。しなさい〜永遠に同じ。
これクリスチャンは曲げているのです。だから神に何を禁じられて、人がすべき事ではないことしてても気が付かないし、しなさいと言われていても今も神に言われている事に気が付かないまま素通りしているのです。
個人が結婚するか否かは別の問題、個人の選択です。
でも誰かが誰かに神の教えに反する事を強要している事自体、
悪霊の教え!と認識しないとならないのです。神からでた教えではないと分かればそれらの教えに人が束縛されなくて済むのです。
結婚したら神に仕えられない?地上の祭司レビ族は結婚していました。それは聖書に規定が書いてあります。バプテスマのヨハネの父、ザカリヤはレビ族アロンの家系の大祭司でありエリザベトが妻であり、ヨハネが生まれたのです。
そしてトラーには、祭司が結婚してはならない女性がどんな人達であるのかも記されています。
それは地上でイエシュア=神の家の住人、聖なる民を教える
代表者として選ばれたからです
偽の教え、悪霊出所の教えは人を縛るものです。神の教えは人を縛るものではなく、人の命を肉体的にも霊的にも精神的にも
全部を守るために与えられたものです。
人間が食べて良いものを食べてはだめ、又は断食を強いるなどは偽教師、偽の教えです。偽教師は食べてはダメなもの、やってはダメなことを禁じません!!!
食べてはダメなものはだめ!と神はレビ記11章にある様に
人に伝えていますから、それは偽教師の教えではなく、神の教えです。食べてはダメなもの〜エデンの園から同じ、神が禁じたらそれは神の教えであると理解すれば真実が見えます。
こうしてパウロの書簡をいかに読み違えているか分かるのです。食べ物を禁じる〜汚れた動物を食べるのを禁じる=律法主義=古い教えに戻るのか〜などと読み違えているでしょう。。
それらの食べ物がどんなに人には合わない、汚い、ゴミで体に毒、環境にウイルスを撒き散らす疫病の原因になっている事を
理解していない、プラス、神の民の聖別を最も汚す忌まわしい行為であると書かれている神の言葉の真意を理解しないから、神の伝えている聖別の意味が見えてないだけなのです。
貝が動物が体内に溜め込んだゴミ、ウイルス、菌を人間が食べて
周りにウイルス撒き散らしていると気が付いていないのです。
掃除機のごみフィルターを開けて、せっかく集めたゴミを又環境に撒き散らすのと同じ行為。それでは掃除機、掃除機動物の意味
役割がなくなります。
偽教師は、イスラエルの神の様に食べてはダメなものをだめとは
言いません。それは神の教えであり、偽教師の教えではない。
偽教師は食べて良いものを食べてはだめ!と教えているとパウロが言っている通りに理解しないと真実は捉えらません。
偽教師の教え〜神が許可している事を禁じ、神が禁じている事を今は許可されたと教える、それをパウロが説明しているのです。
この卑猥な本を書いた人は、カトリック教理や教皇の言葉を書く役割をしていますが、本当に罪、性的腐敗、神の言葉を曲げる様な恐ろしいことを発表しています。この様に、神の言葉の一点一画でも削除、捨て去る〜鎧兜に穴を開ける行為がどれほど危険に繋がるのか、エデンの園の最初の警告、神の言葉を聞いて、神の言う事を理解して、別の教えに聞き入り、死が入り込んだ原理は今も同じ!である事を理解する人は守られるのです。
罪に扉を開く人!秘密裏に闇の行為がグループの中で行われていたりする。神の言葉教えを永遠と理解していない、あなたの
グループの牧師や長老、リーダー、人々がどんな罪にもゆるく許可している事を教え、やっている事をもし知っているならば、
祈って下さい。そして聖書から疑問を投げかけてみて下さい。
滅びに向かう行為に気がつけない無感覚は、その原因は、神の
言葉は破棄された〜無効だ〜今は関係ない〜人が思いついた
聖書ではない思想を語る事が原因である!!!と聖書からぜひ
聖霊により教えられ気が付いて下さい。
ペテロはヘブライ人であり、異邦人達が考える様な、カトリックの最初の教皇などではありません!大きな誤解はイエシュアが
古い呪いの律法〜(神の言葉に対してなんて言う冒涜を言い続けているのか!)を終わらせて、西洋宗教と言う新しい宗教の教えを伝えに来たと考えているからです。
イエシュアは父の教え=モーセの五書=トラー=純粋な神の言葉以外語らない教えない、生きないと言っているでしょう。
イエシュアはトラーに書かれた父の教え以外、新しい教えなど何一つとして教えていません。
人間の教え=教理が混じった宗教の教えなどイエシュアは教えていません!純粋に100%モーセの五書だけ!これが神の言葉であり、聖書のどの箇所も100%モーセの五書を解説していると言う理解が無い場合には、聖書を正しく読み取れません。
唯一、”初めて体験する”事とは、歴史上誰一人イエシュアの様に
神が伝える神の性質通りを地上で生きた人間がいないから、
それが人に取って新しい初めての体験であるのです。
意味が通じますか?新しい教えが出てきたのではなく、神が伝える通りの人間の性質=神の性質に似せられた人が生きたらこう言う生き方になる〜それがトラーに記された通りの生き方で、その
様な生き方に誰一人として今まで見たことがない、これだけが
大きな違いなのです。だからキリストはトラーの目標とあるでしょう。その箇所、クリスチャンは、キリストが律法を終わらせたと言う不適切な誤訳を信じて、神の古い律法が終わったなどと信じ込んでますが、それパウロの言う事と10000%真逆の思想です。ローマ10:4
そして、ダービー思想は、イエシュアがトラーを生きたからもう
生きる必要はない、神の言葉が悪い=厳しすぎ、生きるのに不可能、そんな人間が思い付いた非聖書的思想で神の教えを曲げて考えているから、神の言葉から周波数ずれた人間の教えを通して聖書を語る様な事になってしまっているのです。
大体どうして、神の言葉がこれ程までに悪者にされているの?
悪いのは神の言葉ではなく、罪にずれた人間でしょう?神の言葉をこうして否定し反抗続けるその背信行為なのではないですか?
人間が罪犯すから、罪の定義の方を神が破壊しに来た?
それイスラエルの神の教えではありません!
しかも、福音書以降に記された教えは10000%モーセの五書
以外書いてない、モーセの五書に記された神の言葉は削除して良いよ〜なんて神は教えていない、神の言葉を理解するヘブライ人も神の言葉を削除する様な死に匹敵すると神が言われた罪を敢えてする馬鹿なことをやる訳ない!し、そんな事など聖書の書かれていないのです。
人は神の口か出る1つ1つの言葉で生きる!とイエシュアがトラーを引用して言っている、その意味はイエシュアは父の言葉=トラーに10000%同意して話しているとも全く気が付いていないまま、イエシュアは古い律法に縛られた可哀想な人間を、神の言葉の呪縛から救い出した〜などと考えているのです。全く奇妙おかしな人間思想だと聖書から気が付かないのは、旧約聖書新約聖書と言う人の考えついた思想とその思想を、聖書を開くたびに刷り込むタイトルページ、そしてその思想=古い、新しい別の
2つの教えがあると言う思想=異邦人が考えついた教えを、頭脳に日々洗脳、刷り込まれ続けて、聖書を正しく読めないまま、
聖書に書いてある事=神の言葉の方を曲げて人間の間違った理解を正していないのです。そして、ダービー思想を聖書に記した
スコッフィールドの様に、非聖書的な解説、註解のおかげで人々に正しく神の言葉、聖書に書いてある正しいイエシュア像、
イスラエルの神像が伝わっていないのです。
もし、イエシュアが罪をも何をも許容するなどと考えていれば
本当に危険です!神は軌道修正=悔い改め〜神の言葉に戻って
根付いて生きる事を教えているのに、神の言葉、基準を捨てているなら、何をどう生きていいのか本当は分かってないと言うことになります。人間の基準〜人の確信の方が神の言葉に勝るなどと教え続けているのですから。
続く
もし英文で読みたい方は以下のリンクからアクセス出来ます。
続く