神の言葉の重さを知らない世代  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

誰かが伝える言葉、教え、思想で、人を神の真実から引き離してしまう事が起きる事が、エデンの最初の最初の警告でした。

 

神の言葉や教えとは違う思想を聞かされて、その思想が神の言葉の真実、聖書に書いてある事だと、聖書に書いてもいない事を

信じ込んでいたら、その不真実な思想は自分の頭に染み付いて、頭の中で硬い硬い脳回路となり、正しい情報に入れ替えるのは

邪魔なモノであり、容易な事ではありません。

 

人間の思想と言う偽物の分厚い色眼鏡から聖書を読むので、

聖書に書いてある神の言葉の方を平気で曲げていてもその背信行為に全く聖書が伝える罪に気が付けないのです。

永遠と書いてあるのに、暫定的、一時的、変化する!

7と書いてあっても1と読み替える。神の記念日はそれぞれが

確信持つ日で今は良い人間至上主義!神より人間に権威が与えられていると言う非聖書的教え!全ての日は聖日=この様な事を

言う場合、聖書に記されている聖別の意味を正しく理解していない証拠です。

どの日もきよい、きよくない、全部何も区別がなければ、聖別の意味は消えます!比べるものが無くなるからです!

と言うことは、”聖徒たちへ”とパウロが言った、神が出エジプトやレビ記、民数記、その他で語られた聖なる民、聖なる国民

聖なる祭司の国の民、神の目的意図通りに、異教神を信じる人々から分たれた生き方をする人=聖別された人と書いているのに、

その”聖別”の意味は吹き飛びます。

パウロはモーセの五書に記された”聖別” 聖徒と言う意味で語っているのです。

〜するなかれ!と書いてあっても、今はなんでも許されている

祈ればなんでもきよくなる、自分の確信することが大事で、神の言葉と自分の確信が異なれば、神の言葉より自分の確信を優先する!などと何も疑問に思わずに人に教えている。

それら全て神の言葉ではなく、人間=異邦人が考えた思想であることにも全く気が付かないまま、今日も今も聖書を曲げて読んでいるのです。神の言葉は永遠に廃らない!と書いてあるのに全く理解しないまま、神の言葉、教え、救いの方法は2000年前から変わった!などと信じているのです。

それは聖書に記された事実では無いのに。不思議に思わないと。

 

神の言葉の真実=神の言葉が異邦人が解説する様に変化などしない、永遠不変!と言う事実に聖書の記述から気が付く事が出来れば、1つ1つ偽情報を聖書に照らし合わせて、神の言葉が伝える真実にリセットする作業をすれば、嘘の教えから聖書=神の言葉の事実に切り替えられます。

 

でもその様な事をする人は、継続的に神の言葉を探求する以外にはしないのです。

全部慣れ親しんだ思想からだけ聖書を読むだけです。

そして一番大事なのは、正しく導く教師が必要です!

聖霊が一番の導き手です。でも偽の教えを前提にしていたら、

神の言葉の真実に目隠しがされたままでは、聖書に書かれた事を

正しく読み取れないのです。

正しい導き手がなくては、どうして神の言葉を理解する事が出来ますか?特に異邦人は。どの分野の世界にも優れた教師がいます。

正しく導く教師は、生徒が真実に繋がる発見を手助けして下さいますが、不真実、適当な教え、自分の考えを述べる人に学んでも正しい理解発見には至る事は出来ないのは、誰でも知る所です。

こう言う事が言えます。ある人はある真実を知っている。

ある科学者は神が造られた世界のある真実を知っている。

でも、進化論を信じて、ビッグバンを信じていたら、その部分と

それに繋がる仮説は真実ではありませから、その教えから何も

学ぶ事などないのと同じです。

 

聖書に書かれている事実を正しく理解し把握しなければ、既存で聞く巷の教えに引っ張られて、元に人の思想で語られた教えに戻ります。しかも周りは、神の言葉終わりありき!で全て語る、神が怒りの神から恵みの神に変身する!その様な思想で語り続ける環境ですから、それに影響されないためには、はっきり神の言葉の真実に目覚める以外に方法はないのです。

 

神の言葉が途中で変わる、神が怒りの神から恵の神に変身する、神の言葉が歴史の途中で変わると信じる人に、それらの教えは

聖書ではない!と言っても、すごい勢いで拒絶されるのが普通です。聖書の根幹、土台なる真理に目が閉じているからです。

なぜなら古い教えに生きる=悪い=恵みを捨てていると本気で

命懸けで信じているからです。

神の言葉を生きるイコール、生きる事はキリスト=イエシュア

=トラーと聖書に書いてあるのに理解していないからです。

イエシュア=トラー=神=言葉と書いてあっても理解出来ない。

正しく教えられないからです。当時のヘブライ人なら皆理解して読んでいる内容を異邦人は同じ様に理解して読んでいないからです。言葉=神どう言う意味?と聞かれたらどう答えますか???

言葉=75%廃れたと教える場合には、正しく理解していないから正しく解説出来ないのです。

神が廃れたらどうなるのですか?????神の言葉=神が廃れたら信仰の根拠がなくなります。

そして聖書全体は”契約”と言うテーマで書かれているのです。

contractコントラクトとcovenantカヴァナントとは違います。日本語だとこの違いが明確に表現出来るピッタリの言葉がありません。労働条約契約と、婚姻契約の違いは分かると思います。

英語もヘブライ語のブリットをピッタリ表せないのです。

 

ヘブライ語では ”ブリット”これは切ると言う意味であり、

契約を切る、詰まり契約には血=命の代価が支払われている事を

教えているのです。動物の体を切って血を流す。

ブリットを破る場合には、切り裂かれた動物の様になる。

信仰義人=アヴラハムの契約は100%神の側だけが責任を

負った事が書かれているでしょう。神だけがこの切り裂かれた動物の間を歩いたからです。

だから、異邦人の様に神の言葉を軽く取り扱い、平気で捨てて

廃れた!無用!などと言う意識は、神が伝える真実から遠く離れた場所にあるのです。

聖書に書いてない事を皆が信じて言っている、それは聖書ではないと言っても全然通じないのです。

 

私が15年前に初めて、ヘブライ聖書の土台となるコンセプトや

聖書に記されている言葉の本当の意味、そしてイザヤ書1章から最後まで2年間かけて、学んだ、ヘブライ語からの解説を聞いてその中身が余りにも凄くて、素晴らしくて、麗しくて、感動もので、聖書には何が書いてあるのか私も知りたい!!!!と言う

とてつもない祝福に対して羨ましいと言う感情に似た願望、感情が湧き上がったのを覚えています。

私にもあなたの言葉、何が聖書に書かれているのか知りたいから教えて下さい!とアバに乞い願う。なぜユダヤ人だけがヘブライ聖書が分かり、異邦人の私は何も知らない、分からないのか。

私も彼らが知っている中身を知りたいと、この自分の魂の奥底にある願望〜神を知りたい!と言う人間に与えられた本来の願望に火を付けられたあの日の事そして今も継続して変わらないのです。

神の言葉はその様に出来ているのです。中身を知れば人を惹きつけて離さない。詩篇を読めば、詩篇の記者たちは神の言葉への

渇望、慕い、憧れ、目に見えない麗しい神神の言葉の中に発見して感動しているのが読み取れるでしょう!臍帯の様な安全帯で

あり、命の源と繋がるものだからです。命の源=神の言葉から人を切り離せば、人は神の意識とはズレた場所に飛び出せますから、敵は必死で偽物の教えを放り込み、人が神の言葉に意識を向ける事を妨害し続けているのです。

 

最近トルコの国会で、恐ろしい事が起こったのを知っていますか?ある議員が、イスラエルを呪う宣言をずらずら前に出て

言って、そして実際にアラーの神に天から呪いを下す様に宣言したのです。10月7日から起きている、ハマスのおかげで始まったこの防衛戦争に対して、イスラエルを呪ったのです。

そしてその言葉が終わるやいないや、バタっ!と倒れて病院に運ばれるも息を引き取った。神の言葉は生きていて〜とある通り、アラーの神に呪いを願い、イスラエルを呪う様にした行為は死である事トルコの議会に居た人は悟ったかも知れません。

画像を載せておきます。英語のサブタイトルがありますが自動翻訳で見てみて下さい。

 

 

神の言葉は神ご自身であり、世界のすべては神の言葉で表れ出て、私達は神の言葉=神の性質通りに造られているのです。

神の言葉は生きていて、今も同じなのです。

創世記12:2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。

神の言葉はただの軽い意味ないものですか?それとも命に直結する実態であると信じていますか?

父と母を敬えと言う裏にある言葉は”量る”と言う言葉です。

これは、カヴォト=”栄光”と同じ言葉です。重さ、重さを量る。

神の言葉をどの点、一点一画でも否定する教えは、神の言葉の

重さ=価値=栄光通りに受け取り量っていない行為なのです。

注意して、本当に神の言葉に対する間違った教え、誤解、取り扱いを真剣に考え直さないとならないのです。

神は忍耐深い神であり、イスラエルに対しての偶像礼拝も

1000年近くも何も行動を持って裁きませんでした。

でも時があり、神が神の真実を明らかにする時がやがて来るのです。

今やクリスチャンのパスターさえ、聖書を教える人達が罪に対する意識がなく、神の教えを誤解し、愛はなんでも受け入れることなどとゆるゆる。愛は人に正しく教え、罪に溺れる人をそこから引き出すことなのに、罪を受け入れる。それが愛などと言う、罪を奨励している、ソドムとゴモラへのドアを開いているではないですか?一体何を考えているのか。神の教えを捨てる代償がまざまざと明らかにされているのです。

そのうち、同性婚の結婚式をやらない教会は活動してはダメ!と言われる様になるでしょう。特に日本はターゲット、実験台にされている事に多くのクリスチャン達は気が付いていないのです。

モルモットと同じ取り扱い。危ないものをドンどんやされて、

これからの大阪万博のテーマは死?きみ悪いと気が付かない

何をされているのか考えない。神の言葉を捨ててなんでも受け入れなんでも取り入れ食べる人には分からない。

 

カトリックの教皇が、同性婚を祝福すると12月17日に宣言しましたね。罪を祝福する!!!!!???????

狂った世の中になりました。

教皇の誕生日12月17日に、アルゼンチン、ブエノスアイレス,教皇の生まれ故郷にある、ペテロの像が稲妻に打たれて壊れました。

天から稲妻が来てこのカトリックの象徴である、教皇の土地で

起きた。周りにたくさん建物があるのに、この像だけが打たれた。

神の言葉の権威をそのまま人に伝える事を任された印の”鍵”も壊れ、頭の上の輪っか、これは太陽神のシンボルですが、カトリックでは”聖なる象徴”とした、それも壊れました。これも動画にあるので見てください。

 

罪による悪影響と背信を促す教師、牧師、教皇!!!!世の末。

そして罪を罪と言う人々を抑え付け攻撃するその裏にいるのは

サタンです。最後の悪あがき。

 

神の表明でしょう。あなたには神の言葉を取り次ぐ権威はない!

天=神へのアクセスはありません!右手〜神の権威、力。

人に神の言葉を取り次ぐ人が神の言葉を曲げて、罪を奨励する

恐ろしい罪。

もがれたのです。。神が。。時が來て、偽物と嘘モノを神が神の

真実、言葉から表明し人に伝えているからです!

動画はYoutubeから拾ったもので、私個人がそのグループの教えに賛同して言ると言う意味ではありませんが、貴重な資料、画像なので、使用させて頂いております。

 

天からの裁きの意思表示?下矢印

 

続く