人が一般に見聞きして来た事とは違う歴史の史実が世界には存在しています。ユダヤ人が西洋宗教に改宗しないので、彼らに対する制裁的決断を自分が書き記す事への正当化をルターは彼の著書
”ユダヤ人と彼らの嘘”の中で書いています。
”ユダヤ人のそのような有毒な活動に反対し、キリスト教徒に
彼らに対して警戒する様に警告するため。”
ルターは人が超えてはならない境界線を越えて、彼の反ユダヤ
思想路線、ルターの明らかな反ユダヤ主義の執筆が始まりました。
1543年、ルターは悪名高い『ユダヤ人と彼らの嘘について』を出版しました。 ルターの書いた内容は大きく4 つの部分に分けることができます。
最初の部分で、ルターはユダヤ人の何を攻撃したのでしょうか?
最初にユダヤ人の「偽りの自慢」主に彼らの血統と割礼の契約に
付いて。
2番目に、ルターは重要な聖書の鍵となる箇所について議論しました。
3番目にルターは、最も気持ち悪い中世のユダヤ人に関して信じられていた迷信に付いて焦点を当てました。
4番目と最後の部分は、ユダヤ人に対して取るべき推奨する行為に付いて書き記しています。
この最後の部分では、ルターが反ユダヤ主義である事が明らかに
記されています。そしてナチスはルターのこの書の箇所を取り出して、実際にユダヤ人に対して様々な迫害を行なったのです。
ルターの論文全体を通して、ルターはユダヤ人を非難し、彼ら
ユダヤ人は「怠惰で怠け者である」と主張しました。
"役に立たない、邪悪な、有害な人々、冒涜的な神の敵である。"
この時代にユダヤ人に関して広く信じられていた信念を特にルターは強調して書いています。ユダヤ人は高利貸しによって彼らの生計を立て、他人から盗んだり奪ったりすると言いました。
汗と血で金持ちになる一方で、私たちは貧しいままで、彼らユダヤ人は私達の骨の髄まで吸い取る。”
( マルティン・ルター、ユダヤ人と彼らの嘘について、編。
ヘルムート・T・レーマン、トランス。 マーティン・H・バートラム巻。 47, (フィラデルフィア: Fortress Press, 1971), 137. 7同上、276。)
ユダヤ人についてこの様な暴言を吐いた後、ルターは仲間のクリスチャン達に次の様にアドバイスをしました。
このルターの発想=アドバイスは、ユダヤ人に対処するための
8 項目の計画の形を取っています。
この計画は、学者がルターとヒトラーを関連付けようとする時に最もよく言及されるものです。
まず、ルターはキリスト教徒に「ユダヤ人の会堂や学校に火を放ち、埋葬しろ」と言いました。そして燃えないものは何でも土で覆え。」と記しています。
このルターのアドバイスは、"水晶の夜”として知られる、ユダヤ人集団計画的殺人に於いて実際にナチスによって実行されてしました。
水晶の夜クリスタルナハトとして知られています。ウキペデイア参照。
クリスタル・ナハトとして知られる反ユダヤ主義のポグロムの間これが行われてしまいました。これについては後で詳しく説明します。
ルターの論文の第2番目に、ルターは「彼らのユダヤ人の家も
取り壊して破壊する」事を勧めました。
第3に、彼は次のようにアドバイスしました。
偶像礼拝、嘘、のろい、冒涜が教えられているなら、彼らから
それらを取り去りなさい」
「ラビは今後、ユダヤ人の生命の喪失と、四肢の痛みについて
人に伝えることを禁じる」と宣言しました。
5番目に、彼は「ユダヤ人達には高速道路での安全通行を完全に
廃止するよう促し、6番目には、ルターは次のように書いています。
”全ての現金、銀と金の宝物はユダヤ人から奪い取り、安全な場所に保管せよ。”
この勧告は、ユダヤ人を擁護するルターの以前の声明の1つと
完全に矛盾しています。内なる聖霊=イエシュア=ユダヤ人で
あるお方の直接の子孫に対してこの様に行動する、そしてメシアを通して新しく創造された人としての発言、行動では無い事をしてしまったのです。
ルターは、"イエス・キリストはユダヤ人として生まれた”と言う論文を最初に書いたのに、後には彼の思想は翻り、ルターの反ユダヤ思想は後にナチスにより受け取られるものとなったのです。
ナチスは、第三帝国時代にこのルターのアドバイスに従って行動し、しばしばユダヤ人から平気で、現金、貴重品を盗みました。
特にユダヤ人が強制収容所に送られた後、彼らの所持品を強奪したのです。
7番目に、ルターは「炎、斧、鍬、鋤、糸巻き棒、またはスピンドルを手に持たせ、額に汗を流してパンを稼がせるようにする」ことを推奨しました。詰まりユダヤ人に過酷な労働をさせ苦しめる事をルターは推奨したのです。
このルターのアドバイスは、後にユダヤ人が強制収容所に入れられた強制収容所を実施した時のアドバイスです。
強制収容所での、過酷な労働は、全てルターの発案に基づき、
ナチスが実行したものなのです。
最後に、ルターは次のように書いています。
「彼らユダヤ人の罪を分かち合うのではなく、私たちは彼らと
別れなければならない。 ユダヤ人はこの国から、狂犬の様に、追放されなければならない。」
この発言はルターの以前の発言と真っ向から矛盾しています。
ユダヤ人に対するカトリック教徒の扱いを批判していたにも関わらず、この様な非人道的で凍りつく様な発言、イエシュアが内側に住む人の発言では無い暴言を記し続けたのです。 このアドバイスは、ナチスによって次のように全て受け入れられました。
この様なルターの思想が「最終的な解決策」をユダヤ人に対してした時、ナチスはさらに拍車のかかる卑劣な迫害へと進めて行ったのです。
ナチスに対するルターの著作の影響は非常に深遠でした。
ルターは、著書からも分かる通り、反ユダヤ思想を前面に主張し
人を誤りに方向へ導くリーダー的役割をしてしまったのです。
反ユダヤ思想と言う言葉が出現したのは、19世紀半ばですが、
ルターのしでかした事は、反ユダヤ思想の特徴をよく表している
ものです。反ユダヤ思想と言うと、民族に対しての偏見、迫害ですが、ルターの場合は、民族に対するヘート=嫌悪と言う以上、
彼らの宗教観に対しての嫌悪であったのです。
その嫌悪とは、モーセの五書を生きている、そして西洋宗教が
伝える処の救い主を信じない事への嫌悪です。
救い主を伝える人の根底にこの様な思想、反ユダヤ、そして反
モーセの五書=反トラーー反神の言葉思想があるなら、ユダヤ人の誰が(異邦人でも)その様な思想を真実な神から出た救い主の教えだと信じるのでしょうか?そして、タナックに記されている
救い主=神の教えを捨てよ!と主張する救い主などどうして
ユダヤ人が信じるともで思うのでしょう?救い主を信じたユダヤ人は、トラー預言書諸書に記された永遠不変で神の契約=約束を変えない神であり人であるイエシュアと知っている事を、異邦人クリスチャンは知らないとからです。
ルターは”ユダヤ人と彼らの嘘”と言う書だけではなく、数多くの
反ユダヤ思想、反モーセの五書思想を記しているのです。
そして、ルターの反ユダヤ思想がどれほどナチス、ヒットラーに
深い影響を与えてしまったのか、その罪の深さを考えないとならないのです。人は人に真実を伝え、神の前に正しい道を歩む事に導く事が出来る一方、リーダーと言う影響力ある立場の人がこの様な発言、書物を書いてしまった事で、歴史上最も悲惨な出来事を起こす手助けをしてしまったのです。
ヒトラー自身だけでなく、ヒトラーの最高顧問は、ルターの言葉も引用しました。
ヒトラーの悪名高い著書『我が闘争』ではヒットラーはルターの考えを讃えています。
ヒットラーは、彼のスピーチの中で”我々がいずれ力を得たら、
ドイツの教会は、ローマ教皇抜きに、聖書抜きに確立され、
そしてルターが我々の側にいればルターは我々を祝福してくれるだろう。”と書いています。
ヒトラーの上級軍人達もヒトラーの例に倣い、ヒトラーの教育係であるベンハード ラストは、”マルチン ルターが眠った後、彼の様な子孫は我々の間に再び現れる事がなくても、ルターの再来を目の前に今見ているのだ。ヒトラーやルターの名を同時期に
言う人達がいない時になっても、彼らは共に属す同志である。”
ラストの発言は、ルターとヒットラーの教えは同じ類であると
言っているのです。ヒットラーの行動は、ルターの思想から生まれたものであると、この書の中で論じているのです。
ナチス時代のジャーナリストであり、内閣大臣職であったハンス ヒンケルは、ナチスと同じくルターの思想に大きく影響された人
です。彼はゲッペルスの受賞スピーチで、”ヒットラーの精神的祖先、精神的態度で戦いを始めたのは、ルターのユダヤ人の異物要素に対するドイツ人の血と感情が始まりである。”
この様な引用は、ルターの書物に記されたものであり、ナチスの
ユダヤ人迫害を正当化する要因、根拠となっているのです。
ルターが革命を始め、そしてナチスがそれを引き継いだのだと
ヒンケルは述べているのです。
この時期の反ユダヤ思想の中でも最も強烈なものは、ユリウス
シュトライヒャー、ナチス新聞のダー ストーマーの編集者です。
第二次世界大戦後、彼は戦犯として逮捕されています。戦争裁判で彼は、”もしルターの書”ユダヤ人とその嘘”が起訴に考慮されるならば、マルルチンルター博士が被告人の場所に今日座っているだろう。”と法廷で言いました。
シュトライヒャーの声明は、ルターは彼同様有罪であり、彼は
自分自身にかけられた告訴を、ルターに対してされているものであると言ったのです。
シュトライヒャーは、1946年 10月1日、人類に対しての罪を犯したと判決が下され、その年の10月16日に死刑執行がされています。
彼らナチスの犯した罪は、ルターが提示したことに基づき行われてしまった、最大級の罪である事は歴史の中に明らかにされて
いるものなのです。
続く