聖書に記述されている意味とは異なる創作話を作り出して、別の宗教の名前を付けて、イスラエルの神の性質、イエシュアの実態とは異なる、イエシュアやパウロ達が教えたモーセの五書=トラーとは異なる教えを通して、救い主を日本へ伝えた代表者がいます。日本に仏教のふりをした天竺宗と言う名を付けた宗教、
混ぜ物の教えを作り広めたフランシスコ ザビエル。
日本にパウロの様な生粋のヘブライ思想で書かれたヘブライ聖書トラーを書かれている通りに教える教師が来てくれていたら
良かったのにとつくづくそう思います。
異邦人異教徒脳回路で考える伝道作戦を企てたのです。
異邦人=西洋新興宗教=ローマ教の宗教の土台は、イスラエルの神の教え=トラー=モーセの五書に書かれた神が語られた言葉を変形、削除し、人が作った教えの付け足したをして創作した宗教
なのです。パウロもその様な別の福音に警告を発していました。
彼が生きてた1世紀当初からその様なトラーとは違う思想、
グノーシス主義=禁欲主義、肉体は悪で霊は優れているなどと
言うローマ教の思想の土台となっている教えが蔓延していたからです。私達は他の思想に影響されていないと考えるかもしれませんが、そんな事は無いのです。それが聖書にも書かれています。
エジプト=異教の神々の世界で培った人生観、思想、価値観
自己像etc etc に影響されている事が聖書には書かれているのです。
1テモテ4:3 これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を
断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
4:4 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
4:5 それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。
グノーシス主義とは中世にも蔓延し、世俗から離れて洞窟などに
僧侶が住んでいた時代がありました。世の楽しみは悪、肉体は悪世俗の人から離れて生活する。クリスチャンも物理的な事悪く、
楽しみは悪く、苦しみこそがより霊的、肉体は汚れている、霊は清くより崇高と考えていませんか?その思想はどこから来たか
分かりますか?人の思想です。神はこの世界を全て物理的に造られ、そして人間も肉体を持っている存在として造られているのです。ここで、書かれているパウロの言葉を誤解してはならないのです。
神の言葉と祈りによりなんでも清められると言う意味を正しく
理解しないとなりません。
神は最初から聖別を教えているのです。きよくないものときよいもの区別、普通と聖別された違いを教えています。聖別は神の
記念日、食べ物、飲み物、神の子らの日々の生き方の全域を通して教えている事が聖書には書かれているのです。
神の言葉=モーセの五書に書かれた人間の生き方、その中には
人の食生活に対する永遠不変のインストラクションがはっきり
記されていてそれは時代ごとに変化しません。もしパウロが神の
言葉=トラーを否定するならパウロは神から出た使徒ではなく、パウロの書簡は聖書とはみなされなくなります。
神が造られたもの=人に与えられて生きるために取り入れるもの
の中での全てです。全て=神が許可した人の生きる全ての中での
全てです。もしなんでもありなら、何でもかんでも良い、罪を
犯しても祈れば清められると言う事になってしまいます。
その様な思想が異邦人の世界には蔓延しているのです。
聖書に書かれた意味を正しく捉えて理解しない勘違いした聖書の読み方をやめないと、神が伝えている真相は見えなくなります。人が禁じている=神が与えている祝福や生き方に対して、それは神の言葉により教えられれば、神から出た教えでは無いことを
理解出来る、祈り=神の言葉に照らし合わせて神の意図する事を理解すれば、人が禁じているそれらはきよいものであると知るから、それらはトヴ=良い事であると書かれているのです。
異邦人クリスチャンの世界では、カトリックの思想を継承し、
反モーセの五書思想が語られ教えられてしまい、聖書には2つ
別の教えが存在するなどと言う聖書に書かれていない創作話が
伝統で異邦人の世界に1900年近くも伝えられ続けてしまっているのです。
ザビエルが日本に来たのは1594年ですから、16世紀です。
パウロが伝えた純粋な神の言葉=モーセの五書とは違う教えを
日本へ運ばれ日本人が聞いて学んでしまった歴史があるのです。
その後も西洋から来た宣教師に、聖書とは違う教えを教えられてしまったのです。西洋宗教と言うのはイスラエルの神の教えではなく、西洋人が作った宗教だから西洋宗教と言う名前が付いているのです。だから西洋=ヨーロッパの宗教であり、イスラエルの神のオリジナルの言葉、教えではないのです。
イスラエルの神のオリジナル、純粋な教え、神の言葉を変形した教え、イスラエルの神の記念日を異教の神々の祭りに便乗し変形した記念日を通して救い主を伝える方法、作戦は、日本に最初に公式に伝道に来た人を通して最初から行われてしまったのです。
イスラエルの神の教え、言葉、記念日を変えても良いのさ、
救い主が伝わりさえすれば良いのさ、この思考回路は完全に
異教徒、異邦人思想です。神は混ぜ物の教えを創作する事を
厳重に警告し禁止しているのです。しかもザビエルはローマ
カトリック=パウロや使徒達、イエシュアが教えたモーセの五書を変えた教えを信仰の土台としている宗教を教えられた異邦人です。
よく考えれば、日本人もローマ教の手法と同じく、神の言葉を
変形し、曲げた教えを最初から伝えられてしまった事実があるのです。プロテスタントはカトリック=ユニヴァーサルの教えとは違うのだと思うかもしれませんが、信仰の土台、根の多くを今も共有しているのです。
パウロの様な教師が教えたヘブライのトラーが日本に伝えられたのではないのです。パウロが新しい宗教を作ったのであると勘違い、誤解されていますが、パウロが教えていたのは100%
モーセの五書のみ!である事は聖書に記載されています。
神は厳重に神の言葉の一点一画にも手を付けるなかれ!と何度も何度も警告しているのに、古い教えは終わったと言う異邦人の
頭脳には神の言葉、教え、警告など届かない、頭上を通り過ぎているからです。
使徒2章で起きたことは100%純粋なみ言葉=トラー=モーセの五書に書かれた教え=人の教えと混ざった教えではない本物の教えが世界へ伝えられる!幕開けであったのです。
み言葉=トラーはシオンから出て世界へ伝えられる!と書いて
ある事が歴史の中で現実に起きたのです。
でも混ざった教えは早くも1世紀後半から、使徒達が亡くなった後、既に異邦人の世界え伝えられて起きてしまって今に至るのです。
日本に最初に宣教に来たフランシスコザビエルの伝道方法でも
分かります。異邦人の思想の根底=神の言葉や教えとは違う別の教えを混ぜることに対する罪悪感、警戒心が全く無い、神から
警告されている事さえ理解していない分からない状態である事が見えます。
ザビエルはどんな教えを創作して日本に純粋ではない、
創作話の救い主像を伝えたのでしょうか?
彼は、最初インドに行き6年間布教しましたが、インド人には
結局何も根付くものが無く失望していた所、日本人のヤジロウ=<アンジロウ>と言う人物に出会い日本に行く事を勧められます。
ヤジロウもザビエルの弟子になったそうです。そして2年かけて日本に到着します。日本に入り気が付いたのは日本の地場宗教は仏教であり、仏教思想では、カトリックの教えは通じないから、彼らの宗教にちなんだ混ぜ物をしよう!と思いついたのです。
神の言葉を変形してはならないと言う神の言葉をまるで無視したローマ教=異教徒の思考回路が働いているのです。
この発想、思考回路は4世紀のローマ皇帝と同じです。ローマ
帝国を広く拡大、支配するために、民衆の地場宗教=太陽神の教えを、イスラエルの神の教えに混ぜ、太陽神の教えに沿った記念日などにイスラエルの神の記念日も作り変えた宗教を作り民衆の心を1つに掴みローマ帝国を、広く統治する目的で作られた宗教それがローマ教です。同じ思想、思考回路が日本にも伝えられてしまったのです。教えられる教師により、教えられる人々は影響を受け同じ思想を受け継いでしまうのです。
そしてザビエルがインドに居たので、インドから来た宣教師、
天竺=当時日本や中国でインドをそう呼んで居た名前を付けて、
天竺宗=天台宗や曹洞宗と同じ仏教の宗派の1つである教えを広めに来たと日本人に伝えたのです。すごい詐欺行為です。偽物の商品を売る商人と同じ。偽称するなかれ!と言うトラーの教えを全く無視した行為です。この様な思考回路はずっと異邦人の中に今も根付いています。
イエシュア=ヘブライ聖書に書かれたイエシュアを別物の姿に
して分かりやすく伝えれば良いのだ!と言う思考回路です。
神の言葉がどうして異邦人の世界で歪められ変えられてしまったのか、反モーセの五書思想、詰まり自分には馴染みの無いイスラエルの神の教えを排除して、自分たちの地場宗教風に変形して
伝えよう!と言う思考回路が根底にあるからなのです。
これが、クリスマスの発祥、異教の神々=太陽神の記念日、冬至の時期の異教神の祭りに便乗し、キリストの誕生日と言う設定にして祝おう、異教の神々の祭りに便乗して同じ時期に自分達の祭りを作りキリストを伝えよう!ハロウイン=万聖節=ケルト人の悪霊祭りを利用してカトリックの聖人を崇める日として作り変えたハロウインが作られ、イギリス伝道に利用しようと思いついたカトリック僧侶の発想と全く同じです。
救い主を伝えたい願望は純粋でも、神の性質、神の実態や聖書の記述とは異なる教えを創作して人に伝えては絶対に駄目なのです。神の教えではなく、不真実な生ぬるい=不純物=混ぜ物の
教えだからです。
当時仏教が日本人の地場宗教でしたから、ローマ帝国と同じ
太陽神にちなんでトラーの教えを変えよう!と同じ事をザビエルもしたのです。第一彼には、ヘブライ聖書=モーセの五書を否定した思想が最初から土台にあるのですから、神の言葉を変形することなど朝飯前の事なのです。信者が増えるその数字が宣教報告の手柄でありそれが一番大事!天竺宗の伝道師と名乗りイスラエルの神を、大日=ダイニチと呼び、ザビエルの伝える教え、仏教の一部であると見せかけ、大衆の興味を引いたのです。
日本へ伝えられたのは仏教=異教の神々の教えと、そしてローマ新興宗教の教えと混ざった混ざり物の教えであると言う事です。
神の前に不真実な教え、人に対する詐欺まがいの教えをしたのです。曹洞宗、天台宗、仏教の一部の様に見せかけて、イスラエルの神の教えを変形して教えるその様な事をしてしまったのです。
そして、当時の仏教徒からはまがい物の仏教の教えなので大反対され追い出される、同性愛の大名からは聖書に書かれた真実=同性愛を禁じる事を伝えたので、追い出されたのです。天竺教は
キリシタン大名の土台を作るものとなったのです。よくよく考えたら、キリストが伝わりさえすれば、神の教えを変形した教えでもなんでも良い!と考える思考回路は異教徒上がりの思考回路である事は明らかです。
何と言う事をするのか。神の言葉を世界へ伝えるのに、神の言葉に混ぜ物をして歪めたイスラエルの神像、イエシュア像を
伝えてしまったのです。
続く