聖書の書を読むには、それぞれの時代背景や出来事、そして著者の特徴を知る必要があります。どんなものでもそうですが、
例えば作曲家のある曲を理解するには、作曲家の生い立ちの背景、作品が書かれた時代背景、作曲家がその曲の中で何を表現し伝えようとしているのかと言う考えを知ると、より一層その曲に対する理解が深まる事と同じです。又は一般的な文学作品でも
同じです。
ヨハネの書の特徴とは何でしょう?ヨハネとは誰でしょう?
ヨハネはユダヤ人の著者です。古代のユダヤ人と今現代のユダヤとでは大分違います。
ヨハネは何を生きていたのでしょう?ヨハネの書にヨハネは何を記していますか?
シャバット、ペサフ<過越> そして他の書の何処にも書かれていないハヌカをイエシュアもエルサレムで祝った事も記しています。ヨハネ7章。ユダヤ人が普通に祝った祝い、ハヌカです。
聖書の中でヨハネの7章にのみ1度だけその祭りが記載されて
います。
ヨハネは、きよめの儀式、きよめの洗いに付いて書いています。
2章。神の記念日、祭りを実践している内容。7章
ユダヤ人の慣わし、実践。19章=ユダヤ人が祝った記念日
そして当時のユダヤ人の中にあった教理に付いて書いています。
タナックに書かれている罪に付いて、当時の女性の立場に付いて
もヨハネは書いています。
ユダヤ人の歴史と、当時の時代の政治に付いて、ユダとサマリア
に付いても書いています。
ヘロデ王がエルサレムの神殿をリフォームした事も書いています。イスラエル以外に住む、ユダヤ人の争いに付いて、
ユダに居るユダヤ人とガリラヤ地方に居るユダヤ人に付いても
書いています。
イスラエルの地理に付いてもヨハネは書いています。
ベタニアと言う場所にツアーガイドの方が連れて行く場所でもありますが、それはエルサレム郊外のマリアとマルタの家がある
場所です。
でもヨハネはもう一つのベタニアを知っていました。
ヨルダン川の向こう側のベタニアです。
洗礼者ヨハネがそこでトラーに書かれた生き方に戻れ!
悔い改めよ!と言うメッセージを語っていた場所です。
その場所は、ヨハネの福音書でのみ記されている場所です。
ガリラヤ湖近くヨルダン川で説教した場所。
そしてアイナムと言う場所。3:3
エフライムと言う市、場所もエフライム部族の場所ではない
場所のエフライムが書かれています。11:54
ヨハネの特徴はまとめると以下の様になります。
1 ユダヤ人の著者である。
2 ユダヤ人でガリラヤに住んでいた
3 神殿崩壊以前のエルサレムを知っていた
4 羊の門5:2 シロアムの池 9:7
エルサレムの神殿に付いて詳しく知っていた。
ユダヤ人でありタナック=トラー、預言書、諸書に精通し、
ヨハネはタナックに書かれた特徴的な言葉を使っています。
ヴォキャブラリーがヘブライ的であり、ヘブライ思想で、
ギリシャ語にて書いている特徴があります。
タナック〜13:18 預言書15章
ヨハネの書を読むとヘブライ的言語が際立っています。
ヨハネは何を考えてヨハネの書を書いているのか、
ヨハネが使っている言葉、言語の意味を知らずにヨハネの書を
読み理解するのは不可能です。タナックに記されている概念や
専門用語で書かれているからです。
”信じる” ”証” ”愛” "とどまる” ”住む” ”書く” ”いのち” ”闇” ”光”
”栄光” ”真理”などの言葉はタナックに記されている言葉であり、
福音を表す隠喩なのです。タナックの中に書かれた福音を表している言葉なのです。
ヨハネの福音書の1章には、ヘブライ的思想のハイライトが
書かれています。ユダヤ人の著書であるヨハネが書いている
ヘブライ的思索、タナックに書かれている内容が冒頭から
記されています。
ヨハネ1:1”はじめに”とある言葉は、創世記の最初の”はじめに”とあるその言葉と同じです。
ヘブライ語では”ベルシート”最初に、はじめに、ヨハネのその
言葉は創世記1章の最初の言葉をヨハネは考えて書いているのです。
神がこの世界の礎を創造する前の”はじめ”から、永遠の中からの
始まりを書いているのです。
ケダム=永遠の中です。創世記2:8
言葉は神と共にあり言葉は神であったと記しています。
永遠の中から神が存在している事を書いています。
ここで”言葉”とは何?と言う質問が起きるのです。
ヨハネは言葉とはどう言う意味で書いているのか?と言う質問で
す。ギリシャ語ではロゴスですが、ヘブライ人のヨハネはこの
言葉をどう言う意味で何を根拠に考えているのか?と言う事を
知らないとならないのです。
ギリシャ語のロゴスは英語ではWORD=ワード、日本語では言葉と翻訳されています。
ではこの”言葉”とは何?誰?何の実態を意味するのでしょう。
創世記もヨハネの冒頭も、この”言葉”と言うものが何なのかを
読者に伝えているのです。
この言葉と言う言葉は、”メムラ”と言う言葉で表されているもの
です。
メムラとは何?これはギリシャ語でもなければヘブライ語でも
ない、アラム語の言葉、メムラです。
なぜ、アラム語なのでしょうか?
歴史を紐解くと見えて来ます。イエシュアが来られる586年
前にエルサレムの人々、ユダがバビロン捕囚に連れて行かれました。ユダ、ベニヤミン、北から逃れて来た他の部族の人達などがバビロンに連れて行かれました。それらの人達がイスラエルに
戻って来た記録が、エズラ、ネヘミヤに記されています。
彼らが再びイスラエルの王国を再建した記されています。
しかし全ての人が戻って来たわけではなく、ほとんどの人は
イスラエルに戻りませんでした。
捕囚からイスラエルの国に戻った人達も一度に全ての人が帰還したのではなく、少しずつ徐々に戻って行ったのです。
イエシュアの時代に居たユダヤ人達は捕囚から帰った人達であり彼らがバビロンの捕囚の地で学んだ言語はアラム語です。
アラビア語ではなく、アラム語であり、ヘブライ語と同じ言語
グループの言語です。ドイツのドイツ語と、スイスのドイツ語が似ている様に、ヘブライ語とアラム語はその様に似ていて、
少々違いがあると言う言語なのです。
1世紀当時シナゴーグに於いてトラー=モーセの五書が毎週の
シャバットの時に朗読されていました。現在でも同じです。
モーセの五書はヘブライ語で書かれていて、アラム語で書かれてはいませんでした。発音的にはヘブライ語を聞く事が出来ても
ある言葉の意味を知らない捕囚からの帰還した人達がいました。
イエシュアの居られた時代に、シナゴーグでヘブライ語のトラー
が読み上げられ、通訳者がアラム語でその内容を翻訳しました。
そして、通訳された内容が直接コメンタリーになり、当時通訳
した人達がヘブライ語のトラーをアラム語でどう理解、解説して
いたのかの手がかりになるのです。
ヨハネが生きていた時代の世界で、アラム語はどの様に理解され
教えられ伝達されていたのでしょうか?
英語でメムラをWord=ワードと訳され、日本語では”言葉”と訳されている裏にあるアラム語は”メムラ”です。
メムラとは聖書の中でどの箇所でどの様に使われていたのでしょうか?
創世記1:27
神=メムラは自分のかたちに人を創造された。すなわち、
神=メムラのかたちに創造し、男と女とに創造された。
出エジプト3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って
有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
メムラが、世界を創造された。
創世記28:20 ヤコブは誓いを立てて言った、「神=メムラが
わたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、
食べるパンと着る着物を賜い、
28:21 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。
15:6 アブラムは主=メムラを信じた。主はこれを彼の義と認められた。
メムラが礼拝されたと書かれています。
イザヤ62:11、53:13 6:1-7
メムラがイザヤに話したと書いてあります。
”言葉” ワードとは、話し言葉そのものと言う意味ではなく
言葉が人格化されたものと言う意味です。
メムラ=言葉が、礼拝され、話し、世界を創造したと書かれているのです。
”言葉”ワード=メムラは神とは別個の存在ではなく、神と同等であると言う実態が書いてあるのです。
この事実を土台にヨハネの福音書の冒頭に書いてある、ヨハネが
全く同じ事を表現している意味が見えます。
ヨハネ1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神で
あった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
メムラ=言葉は神であるとヨハネは書いているのです。
メムラ=神の言葉=実態。神の言葉が現実として物理的に現れた=創造物。言葉が人格化され現れた=イエシュア。
タナックに書かれた言葉が現実に人格化され地上に現れた。
神の実態の現実、臨在はミシュカン=移動式神殿=エルサレムの神殿=神の家=宮でも表されているのです。
ギリシャ語でヨハネの福音書は書かれていますが、ヨハネの思索はヘブライ思索です。ヨハネの福音書のギリシャ語は、ヘブライ語を思索としている人が翻訳で書いてある文体、内容で書かれているのです。詰まり、日本人が日本語を第一言語としている人で
日本語を外国語にする文体と同じです。どこか不自然でその国の
言葉ではない表現をしているからです。
ギリシャ語のロゴスと言う表現で表される言葉は、ギリシャ哲学思想の中にあるものと、ヨハネが表現しているものとでは
異なるものなのです。
続く