純粋な神の言葉の種だけを植え続ける | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヘブライ語のシェマとは、何度も書いていますが、単純に聞くと言う言葉です。なぜ従うと訳されているのか、それは神の性質

通りに生きる場合は、神が伝える言葉、教え通りを聞いて、

そしてそれを理解して、神が言われた通りを行動するから従うと言う翻訳用語を当てているからです。従うと訳されている翻訳の裏にあるヘブライ語は、全てシェマ=聞くと言う言葉で書かれているのです。

 

シンプルで分かりやすいです。子供を育てる親なら誰でも経験する、親が良しとして子供に伝えることを子供はその通りにしない

聞いているけど、聞かない=言う通りにしなければ、従わないと言う事になるのです。神に言われている事を生きない!と言う

行動はまさに不従順=神の言われる言葉、教えを大部分聞いて

などいないと言う状態なのです。

 

神の言葉は全部繋がっています。1つ体と同じ、全てを以って

正常に機能するのです。神の言葉はどの箇所も100%イエシュアを指して語っている事に気が付いたら、最初の箇所の70%は

異邦人には現代無効とか、ある教え、道徳的な教えだけが未だに有効とか、神が言っても無い事、人の教えを神の教えであるが

如くに異邦人は勝手に神が神の言葉を破棄した、終わらせた、

古い教え=呪いの律法から解放するためにイエシュアが来られたなどと代弁していますが、それらの教え、神の言葉を捨てる行為はとても危険です。神の言葉を聞いていても聞いていない!と

言う神の警告そのものを実際に行っているからです。体の臓器をもぎ取り正常な機能を果たす事を出来なくしてしまうからです。イエシュアの体をもぎ取る行為です。して神の言葉をその様にないがしろにし、踏みつけ、聞かないと言う行為はどう言うことをしているのでしょうか?

それは、自分に対して神が教えている事にものすごく制御、

制限、リミットをかけていると言うことです。

 

詰まり、神が教えている事を大部分聞いていない!シェマしていない!と言う行為なのです。詰まり宝をドブに捨てる行為。

もしくは、自分の所有の土地の中に宝、祝福が埋蔵されているのにそれに気が付かない、祝福を逃して生きている!神の教えに気がついていないまま生きる!と言う事になるのです。

そして人にも神の教えではない毒麦のタネをまき続ける事を

してしまうのです。

サタンは人が神の似姿に造られた事をとても妬んでいます。

どうして?それが人の性質が余りにも素晴らしいからです。

だから、人が誰であるのか?の本当の実態を人には絶対に知らせたくない!それにはどうするか?偽の自己像とこの世の価値基準を人に刷り込み、人は価値のない存在である!と思い込ませ続けることをしているのです。

だから多くの人は、自分が神の似姿に造られた素晴らしい存在であるなどと微塵にも考えなどしないのです。クリスチャンの間でもあたなはどんなに罪人かと常に強調する教えまであります。

罪人=偽の自己像を刷り込まれズレを生きている人、それは

イエシュアと共に死んだ以前の人です。その自己像を信じていれば、主と共に復活した事実の新しい人の生き方は出来ません。

何がズレなのかを、神の言葉に基づいて気が付いてズレを矯正して生きる!新しい人の生き方=神の似姿の生き方=トラーの生き方に移行しなさい!と神は教えています。それが悔い改めの本当の意味なのです。ズレる失敗もあるけど、すぐに軌道修正する!それを繰り返して生きる=それが実践=ラカです。

そうすると、ずれる事が少なくなる=それが成人=成熟=御霊の実が内側に定着する事!聖書はそれを話しているのです。

 

神の言葉に根付く場合に、ズレに敏感に気が付きます。

そして、変な無意味な自己嫌悪をやり続けなくても良いと分かります。だからサタンは人に神の言葉に注意を払う事を最大限に

妨害し続けているのです。そして常に自分はどんなに罪人か、

悪いやつなのか!と嘘を放り込んできます。その状態とは、

神の言う本物の自己像=新しくされた人=イエシュアに贖われ

救い出された人の事実を信じてない、ズレた意識に陥って

嘘=サタンの囁きを食べている事をしていると気が付かないと

危険状態。毒麦のタネはどんどん根を生やし伸びて来るからです。サタンは、人造宗教の教えを放り込み続けて来る。

 

神の言葉を曲げる教えこそが神から出たものではないのです。

神は神のシャバット記念日を通して、新しくされた人の事実を

生きる事、そしてシャバットで修復された人を天と地の聖徒達と祝う中で神が特別な出会いをしてくださる。神は神の伝えた通りの教え、記念日に敬意を払い生きて祝う人達を祝福すると約束

しているのです。異邦人の伝統で継承された教えや記念日は

異邦人創作のもので、神が創作された聖別した日ではない。

神の創作された記念日や日程とは異なるものです。

 

黙示録の中で警告されているグループ=はじめの愛=婚姻契約の生き方=モーセの五書に書かれた生き方を異邦人は2世紀以降

続けて来ました。政治的理由、そして神の言葉に根付かない

モーセの五書に反する思想を持つヘレニズム思想に教育された

異邦人西洋教師達が創作した非聖書的教えを刷り込まれて来た

からです。

 

はじめの愛を離れたら、こんな単純な事実も聖書に書いてあるのに、見えない聞けないその様な状態になっているのです。

見ている人は幸い、聞く耳を持つ人は幸いと言われたイエシュアの言葉の意味を吟味して、聖書に書いてある事だけが純粋な神の真実な教えであり、人が創作した混ぜ物の教えは所詮混ぜ物=毒麦の種、神の真理をかき消す教えであり、どんなに純粋な動機を持っても神の前には全く無意味なものであるのです。

 

Shabbat Shalom

 

ヘブライ語聖書をイスラエルの教師陣に学ぶまで、聖書を全く

違う教え=分断された2種類の教えがあると言う、別物の教えを聞いて来ました。でも聖書=オリジナルに書かれた内容だけに

戻れば、神の言葉は神の言葉に基づき永遠不変であることを神が証明している事が明らかに書かれています。そして聖書のどの

箇所も互いに矛盾しない、敵対し合う教えなどない。

友人にあなたは何を祝うの?と聞かれた事があります。

人が何を祝うか、それは人の選択です。でも自分が信じている

実践している事がイコール聖書=神の真実ではないと言う事が

あると言うことを聖書から発見するのです。

私がどう信じるのか?ではなく、私は神の言葉を神が言う意味通りに理解して、見て、聞いて生きているのか?と言う事が重大な課題なのです。聖書=神の言葉、書いてある意味、内容を曲げる

否定する、破棄する。とんでもなくズレた教えだと分かりませんか?伝統の教え、伝統で継承されている人が創作した記念日は

神の創造したオリジナルの記念日を改ざんして意図的に造られた

ものなのです。それらは神のオリジナルの教え=モーセの五書に敵対する思想が根底にはあるからです。

何を見て、何を聞いて、何を生きるかは個人個人の選択です。

でも神は最後には神に属さない全てのものを下に引きずり下ろしリセットし、一掃し、きよめ神の真実だけが全地を覆う統治の日が来ると預言しています。そして最後は天と地が1つになり

永遠に入ると聖書には書いてあります。

黙示録はエデンを出て、エデンに戻る最終章でもあります。

 

神の子らは永遠にシャバットを祝うと神が言われた通りを

生きるのが神に造られた人間の本当の性質であること、それは

実際に生きてみれば体験出来る、神が教えている事の性質

本質を理解出来る様になる。見る、聞く、そして取る=行動

これは全部ワンセット、実際に神の教えを生きる!それが神の子らの生き方、地の塩、世の光としての役割でもあるからです。

 

 

これは7つ編み。作り方は簡単ですが、6つ編みの方が形が良いと思います。実験を重ねています。