神の言葉に付け足し差し引きするなかれ 申命記4章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

日本の社会には今まであまり養子を家庭に迎えると言う事は

一般的なことではありませんでした。でも欧米では養子を迎える事は普通の事であり、養子に来た子供も小さい時からどう言う

経緯で養子に迎えられたのか親になった人達が子供の年齢に合ったレベルの理解に沿って教え続けます。

 

養子に迎えられた子供は、正式に子として受け入れられた事を

裁判所を通して認定されるのです。

 

そうすると肉的に血の繋がりのある実子と、養子の間には何も

差別はないのです。相続権も同じ。正式にその家族に加わった

子供は家族の苗字をもらい、その家族の仕来り、慣わし

家訓を生きるのです。養子だけ別の部屋で食事をするとか、

家族の記念日を一緒に祝わないなんて事ないのです。

それが神の家族でも同じなのです。

肉的生まれがイスラエルではなくても、同じイスラエルの神の

大家族に加えられた人達、誰でもイスラエルの神を愛し、

神の提示した婚姻契約を生きる事、神の教えを生きる事に同意し実際に生きる人達、それが本物のイスラエルとその事実が

聖書には最初から最後まで同じ意味で貫かれ書かれています。

 

だから、イスラエルとイスラエルの中に住む異邦人も同じ神の

教えを生きると書いてあり、シャバットや祭りで止まる時も、

イスラエルの家族と共に住まう使用人も”動物”も!一緒に止まるとまで書いてあるのです。

 

全ての創造物が神と共に止まり祝う第七日目、そして神の記念日

それが神の創造したデザインだからです。

神の教えや記念日は、人種により違うものが用意されているのではないのです。人間が勝手に分けて、別物の教えや記念日を作り出しただけなのです。同じ家族は同じ家訓を生き、同じ家族の

記念日を共に同じ時に祝う、それが本物のイスラエルの大家族の生きる姿なのです。

 

アヴラハムを通して与えられた契約=神の一方的な恵みで義と

されている事実は、全世界の民族へ渡され、同じ祝福を全世界の

民族が得るため!同じ救いを得るため!と説明しています。

創世記12:1−3、 17:4−5

福音の基本的性質を理解すれば異邦人の世界が語る人種別による

時代別による別の義の基準、別の救いの内容、時代ごとに別の

教え、同じ神=聖霊が別のレベル級で現れる様な教えが聖書ではないと聖書に基づき分かる、聖書だけに戻れば書いてあるから

分かるのです。

 

イスラエルと言う代表を選び出したのは、異教の神々の世界=

この世から神の目的通り、神が造られた本来の生き方をする

世界の中でダントツに際立つ違い、神が分かたれた生き方を

する人達を通して、イスラエルの神の子らの性質、神の似姿を

生きる事で世界へ生きて伝える役割、それが地の塩、世の光の

意味なのです。

イスラエルの神に直接繋がる聖別された生き方を世界へ教えて

生きる1つの民を選び出したと書いてあります。

 

世界は本物の創造主から離れて迷い出ているからです。

まず書いてる通りに聖書を読めば容易に理解出来ます。

そして、古い聖書箇所は終わりと言う異邦人が語る思想で聖書を

読んだら、自分の都合で神のこの教えは却下、これ必要、

これ必須と言う人間の肉で考える勝手な仕分けで神の言葉や教えを偏り仕分ける事をしてしまうのです。

神の教えに対してその様な事はしてはならないと書かれています。付け足し、差し引きするなかれ!とイエシュアも同じ申命記の4章を引用してマタイ5章で語っています。

 

そして、福音書〜黙示録に書かれているのは100%モーセの

五書、預言書、諸書の短い抜粋です。

タナックの引用が福音書以降に6000以上も書かれているのに

その事実に気が付かないまま読んでいるのです。

パウロの1コリント13章もモーセの五書に書かれている契約の愛の姿を短い言葉で語っているのです。愛と言う言葉は、

モーセの五書=婚姻契約に基づく愛に付いて語っているのです。

愛=アハヴァ=シナイ山で与えられたトラー=モーセの五書に

書かれている契約の愛であると言う事実、愛と言う言葉はトラーに記されている愛の姿を聖書のどの箇所でも語っている事をまず知る必要があります。愛の定義=トラー=婚姻契約の愛。

パウロの空想、想像の別の愛、勝手な定義の愛ではないのです。

 

福音書に書かれている短い解説は、その詳細はタナック=トラー預言書、諸書に書かれた神の言葉の最初の冒頭の言葉を語って

いる形で書いているから短いのです。

福音書以降は聖書のたった30%だけを占めているだけです。

最初の70%に書いてあることを復唱し、全部をずらずら書いてないから、最初の箇所を知らない場合には何が福音書以降に

何が書かれているのか全く気が付かない、だからモーセの五書

以外の新しい教えが登場したなどと勘違いした解説がされて

しまっているのです。

 

1つの民、国を神が選んだ理由が書いてあります。

イスラエルと言う国は全ての国に繋がる場所です。

アフリカ、アジア、中東、ヨーロッパ、商業ルート、世界の

真ん中、イスラエルを通り大陸を行き来する。

イスラエルを人々が往来する時にイスラエルの人々の生き方を

見て他の国々の人がイスラエルの神とその知恵に根付いた生き方に気が付くためと書かれています。

いかにイスラエルの神の知恵=トラーに書かれた生き方をする事が大いなる国民、知恵深く、そしてその知恵に根付いた生き方を

教えた神は偉大であるか気が付くためとあります。

 

申命記4:1 イスラエルよ、いま、わたしがあなたがたに教える

定めと、おきてとを聞いて、これを行いなさい。そうすれば、

あなたがたは生きることができ、あなたがたの先祖の神、主が

賜わる地にはいって、それを自分のものとすることができよう。

4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、

主の命令を守ることのできるためである。

 

4:6 あなたがたは、これを守って行わなければならない。

これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。

4:7 われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、

つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、

このように近くおる神があるであろうか。

4:8 また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべてのトラーのような正しい定めと、

おきてとがあるであろうか。

4:9 ただあなたはみずから慎み、またあなた自身をよく守りなさい。そして目に見たことを忘れず、生きながらえている間、

それらの事をあなたの心から離してはならない。

またそれらのことを、あなたの子孫に知らせなければならない。

4:10 あなたがホレブにおいて、あなたの神、主の前に立った日に、主はわたしに言われた、『民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしの言葉を聞かせ、地上に生きながらえる間、彼らにわたしを恐れることを学ばせ、またその子供を教えることのできるようにさせよう』。

 

神ご自身の口から地の塩、世の光である役割の意味をこの様に

教えているのに、異邦人の世界の教えでは、神が付け足し、

差し引きしてはならない、生きながられる間神のトラーから

離れるな、子供達によく教えて聞かせ、神を信じる様に学ばせよ

と伝えているのに、どうしてその神の知恵=教えを捨てよ!

又は分解して、勝手に差し引きし、そして人間の教えで塗り替えたものを語り続けるのでしょう?

 

異邦人の世界では全て集合体で1つである神の言葉、教えを

この様に分解し、道徳的教え以外は今は無効と言う神の口から

出た宣言とは違うことを教え続けています。

 

倫理 道徳

人の倫理、道徳に関しての行動

これらは10の言葉の中に含まれる教えであると考えられている

盗み、性的犯罪、罪、殺人、偽装、権威に対する反抗など

 

儀式

礼拝に関しての基準、方法に関して

神殿や祭壇での生贄システム

儀式に関しての清め、清い 清くない

神の創造された記念日、

衣の房、メズサ、額につける印、割礼、その他のシンボル

食物規定など

 

市民

結婚 裁判 

土地所有権

7年目の安息年

ヨベルの年

使用人について、年季奉公の使用人、負債、土地の所有権

婚姻、離婚の法律

宣誓、契約書に関しての法律

 

モーセの五書に書かれた内容を、この様に仕分ける事をして

勝手に神の教えを異邦人の世界では無効と差し引きしていますが

どの項目も互いにオーバーラップしているのです。

完全な仕分けなど出来ない矛盾だらけであり、神は全ての教えを

1つの神の教えとして与えていることはヘブライ語言語からも

分かる内容です。異邦人の教えの世界では、十戒の第四番目だけを意味変更する様な操作までしているのです。

 

詩篇19:7 主のおきて=トラー<単数であり数々の教えの全てを

包括する>完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかし

確かであって、無学な者を賢くする。

19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばき真実であって、ことごとく正しい。

19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、

また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。

 19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。

これらを守れば、大いなる報いがある。

 

トラー=神の教え、イントラクション。

その大きな集合体の中に、”戒め” ”さとし” ”知恵” ”仰せ” ”指令”

などなどと言う言葉で表されている言葉の全てはトラー=

神の教えの要素の1つ1つなのです。だからどれか一つを取り

除いたりは出来ない、集合体=1つ以上で完全に1つ、一体で

あるのが神の実態であり神の言葉の性質なのです。

これは翻訳では見えないのですが、ヘブライ語ではクリアーに

見えます。

 

続く