1世紀にキリスト教が出現したのか? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1世紀当時福音書〜黙示録は存在していない、一般の人にも

読まれていない、流通していないものであり、聖書として認識もされていない、聖書として存在したのはずっと後、何百年も後であると言う事実を知って下さい。

 

聖書のどの箇所にも”聖書は”と書かれている箇所、

聖書は全て霊感により書かれたとある箇所も100%全て

モーセの五書、預言書、諸書のみを指して語っている事実だけに立って聖書を読んで下さい。

 

イエシュア昇天後、異邦人クリスチャン教会と言う今まで存在していないグループが出現したと言う誤解をまず解いて下さい。

その思想は、異邦人=人間が編み出した"置換神学”である事実をはっきりと知って下さい。聖書ではない教えを聖書が語る真実と誤解したまま信じていては聖書に記載されれている真実が見えなくなります。

 

聖書に書かれている内容、1世紀当時は100%異邦人クリスチャン教会と言うグループは存在などしてしない、1世紀当時聖書に書かれている信者で、現代の様なモーセの五書を否定し、破棄し、拒絶し、新しい教えをイエシュアが伝えに来た、パウロが

モーセの五書を否定した教えをしているなどと言う思想や、

そんな教えを考える人、信じる人は、ゼロ!誰も居ない。

もしそんな考えや教えをしていたら、それは異端=偽教師、

偽預言者と見なされて追放されたのです。

2世紀のマルキオンも異端とされていたのに、彼の思想、

旧約新約と言う概念、異邦人はユダヤ人と決別しルカと1、2のパウロの書簡だけ読めば異邦人クリスチャンは事足りると言う

思想だけが残り異邦人のクリスチャンの思想の中に取り入れられてしまったのです。

 

置換神学や、デイスペンセーション神学、西洋教父達が1世紀以降から編み出した様な教えなど1世紀には存在さえもしない、

考える人もいない。モーセの五書とは違う別の福音を語るなら

パウロが指摘した通りそれは、神から出た教えではない。

それが聖書に書かれた教えなのです。

 

100%モーセの五書しか教えていない、書かれていない、

生きていない。そして1世紀当時はユダヤ人イエシュア信者が

殆どであり、異邦人信者は極少数だけ、異邦人信者が大衆の

ユダヤ人に交わりモーセの五書をシャバットごとにシナゴグで

一緒に聞き、教えられていたその事実しかないのです。

しかも、イエシュア信者もそうでない人も同じシナゴグに集って

いたのです。信じられませんか?でもそれが事実です。

想像していた事実と全く違うと思います。

 

だから、諸外国に居る人達は当時最高峰のトラー学者であり

イエシュア信者であったパウロにそれぞれのグループ内の生活の上で起きていた様々な問題に対する対処をモーセの五書から様々な知恵、対応を伺い請うて、エルサレム拠点のパウロのシナゴグ宛に書簡で質問状を送ったのです。

その回答がパウロの書簡として残り、後に聖書として認められた

のです。

1世紀当時、ローマ・カトリックや、プロテスタント教会、

キリスト教と言う教えなどは一切存在していない!と言う事実だけに立って考えて下さい。

 

ではどうして違う教え=モーセの五書が終わり!と言う教えが

編み出され、異邦人信者の間で伝達される様になったのか?

それが70ADの神殿崩壊後なのです。

 

前回の記事に書いた通り、異邦人が1世紀後半からユダヤ人と

決裂し、独自の教えに走って行った最大の理由は、異邦人でありながら、ユダヤ人と同様にユダヤ人のシナゴグにシャバットに

集い、モーセの五書に書いてある教え、ローマ市民=異教徒=

異邦人とはダントツに異なる独特の生き方、割礼、食物、

シャバットや祭りなど、イスラエルの神を信じる人以外は生きない生き方をしていたから、異邦人でも同様にユダヤ人とみなされて、課税、投獄、処刑される。イエシュアを信じるけど、

ローマ帝国からの迫害はごめんだ!

ユダヤ人とみなされて課税、投獄、処刑されるのは何としても

避けたいと考えたのが異邦人信者なのです。

ユダヤ人は神のトラーをガードするために命がけ。

だから神殿を守るために立ち上がったユダヤ人は、神殿崩壊時

110万もユダヤ人は殺されたのです。

 

異邦人がなぜモーセの五書を否定し始めたのか?

それはペテロがやった裏切りと同じ=あの人=イエシュアなど

知りません!関わり合いなどありません。

モーセの五書生きてません!私達異邦人はユダヤ人とは違います!それには、神の教えを生きない=表向きに際立つことは

全部やめる、シャバットも祝わない、割礼も施さない、

コーシェル食も守ってません、なんでも食べます、祭りも当然

祝いませんなどなどを行動でローマ帝国に示し、ユダヤ人では

ない!と言う意思表示をしたのです。

 

ローマ帝国による重税、それを支払えなければ投獄、処刑、その迫害から逃れるためです。この事実に目を開いて考えて下さい。

 

そして2〜3世紀には異邦人信者は完全にユダヤ人のグループと

決裂したのです。それはどう言う事を意味するのか?

ヘブライの書=モーセの五書、預言書、諸書に根付き、神の教えを生きて、教えていた人達、パウロの様な教師達から決別し

ヘブライの書に書かれた内容を知らない異邦人西洋教父=

彼らの思想=ヘレニズム思想、グノーシス思想などを土台とし

翻訳聖書から彼らの思想で解説する曲げられた教えを聞く

それが異邦人の世界の教えの柱、土台になってしまったのです。

 

現代も同じです。異邦人の中にはオリジナル聖書=ヘブライ聖書を丹念に学ぶ教師を見つけることが難しいでしょう。

クリスチャン教会はほぼ十中八九、モーセの五書終わりありきで

全てを語り、1世紀当時のイエシュアが生きていた、使徒達

信者たちの様な事を生きてはいない。

安息日は日曜日に変更されたと聖書に書いても無い事を信じて

実践している。どの日も現在は安息日などと唱えている。

神の教えは終わり、イエシュアやパウロが生きていたことは

実践しない現代。神の言葉とは違う事を教えています。

 

今ではいつでも安息日であるなどと言う事を言う人もいます。

神はシャバットを聖別し、他の6日間と区別しているのです。

安息日=シャバット=止まる=それでは1週間いつでも丸ごと

休日、人は神が語る第一日目から六日目が労働日という教えを

勝手に塗り替えているのです。

そう言う基本的な矛盾にまるで気がついていないのです。

昇天とシャバットの曜日は全く無関係であることにも気がついて

いない。神が神の教えや記念日を変更すると言う思想が本当に

非聖書的であり、聖書に書かれてもないと言う明らかな事実に

対しても全く盲目状態なのです。聖書に書いてある通りに読まない様に教えられ、人の解説で書いてある事を塗り替え変換して

読むように教えられてしまっているのです。

 

そして、モーセの五書に書かれている教えは道徳的なこと以外

皆終了、もしくはデイスペンセーション神学の教えの通り

ユダヤ人だけやってれば良いと教えますが、それ聖書では無い。

ユダヤ人の教え、異邦人の教えなど2つ区分された教えは聖書には書かれてなどいません。

私は13年前まで神のオリジナルの記念日が何か?さえ知りませんでした。知らないし、祝わないから実際に神の記念日から福音の意味を体験的には学ばない。人の手により変えられた教えと

帰られた記念日が聖書だと思っていた。

それがキリスト教では普通の事なのです。

 

それ以前にヘブライの聖書を原典で読む様な訓練や教育を受けている教師は少なくとも英語圏には存在しますが、日本語圏では

極少、皆無状態だと思います。

ヘブライ語原典聖書を、ヘブライ思想で学びたいと考えても

ユダヤ人の世界の様に教えられる機会がないのです。

その大元の理由は、1世紀後半からユダヤ人グループ、

教師と決裂したから、原因はそこまで遡っているのです。

 

右も左も置換神学や、デイスペンセーション神学と言う人造思想から翻訳聖書を語る教えだけを聞き続ける。

それが日本人、異邦人のノーマル状態。

 

ある牧師さんが”シャバット”て何ですか?と言うのを聞いたこと

があります。それほど1世紀のイエシュアや信徒が生きていた

内容、オリジナルからかけ離れた教えにあると言う状態なのです。

 

そして、その後中世までに神の言葉に手をつけた異邦人思想の

聖書解説はとどまるところを知らず、中世の腐敗した宗教事情を

生み出し、ルターの宗教改革が起こったのです。

このカトリックの中にあった腐敗した非聖書的教えはクリスチャンは知っていると思いますが、どうしてイスラエルの神の教えがローマ西洋カトリック宗教に変身したのかの諸々の事情を知らないのです。

ある人は、ペテロが初代カトリック教皇に任命されたと教えます。それ聖書ではありません。ピリポ カイザリアでの使徒たちに語ったイエシュアの言葉を完全に誤解して解説しているのです。

イエシュアは新しい宗教=カトリックやキリスト教を作るために地上に来られたのではないのです。父の言葉=純粋な神の教え=トラーを正しく伝え教え生きてみせた、福音の中心、義とされた人=本来の人間の生きる姿=生けるトラーとして肉体を取って

実際に来られてみせられたのです。

 

どうしてヘブライが西洋になったのかは、前に書いた通り、

ユダヤ人=オリジナル聖書を教える教師グループから異邦人が

完全決裂したからです。

だから、2〜3世紀から西洋クリスチャングループと言うものが出現したと言えるのです。

 

そして宗教改革後に何が起きたのか?を知る必要があります。

1世紀後半から既に異邦人の信者の中でモーセの五書に対する

歪んだ考え、終わり、拒絶が始まり根付きました。

 

そして、16世紀の宗教改革は、腐敗した教え=人間が考えた

教え、そして神ではなく人間を権威とするシステム=教皇や、

司教が神=彼らの言うことが神の言葉ではなく聖書だけに戻る。

”ソーラ スクラプタ”= By scripture alone=聖書のみ!と言うスローガンをルターが叩き出したのです。

 

人間の権威が人に物申す、彼らの教えイコール神の言葉ではない

聖書のみが権威である!とルターは言ったのです。

実はそう言っただけで、実際の中身は”聖書だけ!”に戻ると言うものではなかったのです。

 

どう言うことかと言うと、ソーラスクラプタ=聖書だけ!と言う

事に戻れば、それは一体どう言う事を意味するのか?

どう言う事になるのでしょう?

 

続く