神を知る=最も親しい間柄に使われる”知る”と言うヘブライ語は夫婦間に使われる=知ると言う言葉で表されています。
裏も表も知り尽くす最も親しい関係、人が知る上でのこれ以上
近い性質の関係はないと言う意味の知ると言う言葉です。
民数記24:16、ヨブ18:21 箴言2:5
ホセア4:1 6:6
そして、同時に神を知る=関係の世界に入ると言うことは、
イスラエルに与えられたものと同じ特権を与えられている事
です。申命記4:39、43:10神が、神ご自身を表し
そして神の教え=トラーを人々に表している。
詩篇147:19ー20
そして同時にイスラエル<同じイスラエルの神の子ら、
異邦人も同等に同じ家族になった暁に負わされている責任とは、
神の教えを受け取り生きる事なのです。
それを失敗するとは、神の叱責を受けることになるのです。
世界を迷わす行動をしたら、神の性質を表す生き方から外れたら
それは長子=イエシュアに繋がる神の大家族、神の栄光の姿を
地上で表さない生き方をすることになってしまうからです。
士師記2:10、イザヤ1:3、エレミヤ22:16
ホセア4:6、5:6、6:6
これと対照的に、この世はイスラエルの神を知らないのです。
詩篇79:6 エレミヤ10:25 そして神と契約の中に
保証された関係の中にこの世は繋がれてはいないのです。
アモス3:2 この世が神と信じて礼拝しているものは、
実は神々ではなく実はその実態は”悪魔”なのです。
2歴代誌13:9 イザヤ37:19 エレミヤ2:72ー11
16:20
その様に彼らが拝んでいるものは、実は病的で不健全な
悪霊、悪魔の力であり、それらは実は人を奴隷にし破壊する事を望む霊なのです。パウロがヘレニズム思想の世界の現生離れした領域の世界に入って、パウロはそれらの”神々は”実は神では無い
悪霊と話しています。
"日本語で本来”と訳されている、自然の、by nature φύσει
フィセイと言う言葉は、ギリシャ語で訳された70人訳の
タナックの中には無い言葉です。
外典の中だけで使われている言葉です。
3Mac. 3:29; 4Mac. 1:20; 5:8-9,25; 13:27; 15:13,25; 16:3; Wis. 7:20; 13:1; 19:20
しかし、ヘレニズム思想=ヒューマニズム思想を背景とする
ガラテヤの異邦人であると言うことに気がついて、
拝まれているこの世の神々は、本来神では無い存在である。
偶像礼拝のコア=中核=真髄は実は”悪魔崇拝”である!と
パウロは言っています。
現実に神はただ一人、他に神は存在しないのです。
イザヤ45:14 主はこう言われる、「エジプトの富と、エチオピヤの商品と、たけの高いセバびととはあなたに来て、あなたのものとなり、あなたに従い、彼らは鎖につながれて来て、あなたの前にひれ伏し、あなたに願って言う、『神はただあなたと共にいまし、このほかに神はなく、ひとりもない』」。
ガラテヤ 4:9 しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。
4:10 あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。
9節、10節などクリスチャンの世界では誤解されて解説されている箇所の1つでもあります。
パウロが語っている事、別の福音=神のトラー=教え、
インストラクションとは違う考えをする人達が編み出した異邦人に対して、ユダヤ人になる改宗儀式を強いる教え=別の福音、
そして、イスラエルの神以外に神は居ないことをこの前の箇所でパウロは話していますね。
他の神々は実は悪霊、悪魔、イスラエルの神以外は、どんなに
美しく飾った神々の神殿や宗教もその根本にあるものすべて
”悪魔”Demon=悪霊とパウロは事実をはっきり指摘しています。
それらを念頭に置いて9節、10節、当時のガラテヤの人々の
環境の中にあったものが何の宗教であったのかを調べれば良いのです。そしてパウロが語っている意味を知ること。
その前にガラテヤのグループに立ちはだかっていた問題の中身を
もっと深掘りすると更に、ガラテヤ人の置かれていた状況が
の背景が見えてくるのです。
パウロが諭している通り、ガラテヤ人はパウロ達の様に
トラー=神の教え=モーセの五書の中に書かれた内容を
理解していなかったことは一目瞭然です。
神の教えを正しく理解している人達に対して、パウロは4章まで
書き綴った内容など決して諭し書く理由が無いからです。
二番目に以前に書いた通りに、パウロ達が居た時代、ユダヤ人は
何が何でも神の教え=トラーを死守して生きる、ローマ帝国が
もし圧力をかけてモーセの五書を生きること、シャバットや新月
祭りを祝うことを阻止するならば、ユダヤ人は命がけてローマと戦い反乱を起こしたのです。ギリシャ帝国に対しても同じ事を
しました。それがマカバイ戦争の背景です。だから、70年の
神殿崩壊迄は、ローマ帝国はユダヤ人が暴動を起こさない様に
特別待遇を与えていました。
ローマ帝国の神々、ローマ皇帝を拝むことを強制しない。
そしてイスラエルの神に仕え、神の教え=モーセの五書を生き
イスラエルの神の祭り、シャバット、新月、過越、仮庵の祭りを
祝っても重税を課せられない、処刑されない。
でも異邦人に対しては違う措置が行われていたのです。
異邦人がもしユダヤ人同様に神のトラーを生きて、神の記念日を
生きるなら、重税が課せられ、処刑までされてしまう。
自分がその場所にいたらならどうするのでしょう?て事です。
今の世界を考えても重ねて理解する事が出来ます。
言論の自由を奪われ、危険なものを取り込むように強要される。
その場合にどうするのか?個人の選択なのです。
神の前に汚れを取り込む事でローマ帝国と迎合しようか、
それともどんな事があっても、神の前に正しいことを生きようと
するのか?これから世界はもっと試される時に入るのです。
ガラテヤの群れに起きていた問題は、ユダヤ人に改宗しなくてはならないと言う別の福音=神の義を得るため、神の国の住民票を
得るために改宗儀式をしなくてはならないと言う教え。
それは神の教えでは無いのです。
義とされる事は信仰により受け取るしか手段はないのです。
そしてこの点をもう一度確認してください。
アヴラハムを通して与えられた約束=契約=義とされる事は
無償で与えられた。そして義とされた人達は、神の家族の一員に
なった。その人達は神の婚姻契約の中に加えられ、義とされている事実を得たので、神の似姿に造られたその性質通りを生きる=
神の性質=あなたは誰かと言う事、あなたの性質、神が造られた本来の人間の性質、生き方が書かれているものがモーセの五書
なのです。神から一時的に掟リストを与えられたと言う人間の
教えは神の言葉とは全く異なります。ユダヤ人にだけ有効、
異邦人には無益な教えと言うなら、神の言葉が無益と言う意味になるので、そんな無益な教えはどの国籍、人種だろうが平等に
無益、意味無いものなのです。
人の教えは本当に矛盾しているのに、その矛盾に無感覚なのは
科学者が進化論を信じる思考回路と全く同じです。
不真実を真実であると信じれば嘘でもなんでも真実であるかのごとくに聞こえてしまうのです。先入観が真実を見ることを妨害しているからです。
モーセを通して与えられた契約の内容を実際に生きる人達が
イスラエルの神の本物の家族であると福音書以降もずっと
話しているのです。
マルコ 3:35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、
また母なのだ。」
マタイ4:4『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
イエシュアが荒野でサタンに試みられた時に、申命記8:3を
引用して悪魔に対抗したのです。
イエシュアは100%父の言葉=モーセの五書から語っている
事実を見ないとならないのです。
神の口から出た1つ1つの言葉とは、父の言葉=モーセを通して
与えた神の教え=トラーの事なのです。
クリスチャンの世界で語られる教えは、アヴラハムを通して与えられた契約、約束と、モーセを通して与えられた契約=神の教え、契約の性質、意味、内容を全く取り違え混同して、
信仰だけで行い不要!救われた人は信じるだけでOK、
神の教えを生きるのは律法主義であると
聖書とは全く関係のない教えを唱えているのです。
聖書の事実を捉えて考えないとならないのです。
義とされる事は無償=信仰により受け取る事しか出来ない!
神の言葉を行ったから受け取れるものではない!
でも信仰により義とされている事実を受け取った人は
神の口から出た一つ一つの言葉=モーセの五書に書かれた詳細を生きる!と聖書には書いてあるのです。
続く