2コリント 3章 誤解された聖書解釈の数々 今は恵の時 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

第二コリント 3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。

 

この様に書かれていると即座に、石の板、墨=モーセの五書

心の板 霊=キリストが教えた新しい教え?もしくは

パウロの新しい教え?と言う解説をされてしまっています。

 

神の霊により書かれたもの=神の言葉です。

神の霊=息吹=神の言葉なのです。神イコール神の言葉、

イエシュアイコール言葉=トラーと聖書には書かれています。

 

ヨハネ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。

言は神であった。

1:2 この言は初めに神と共にあった。

1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

 1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

1:5 光はやみの中に輝いている。

そして、やみはこれに勝たなかった。

1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。

わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
 

字面ではなく、人の頭脳に刻まれた神の言葉、頭脳に刻まれるとは、人が神の言葉を理解して、実際に生きることに根付く事を

話しているのです。

 

2コリント 3:6 神はわたしたちに力を与えて、

新しい契約に仕える者とされたのである。

それは、文字に仕える者ではなく、

霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

この6節も多大に誤解された解説がされている箇所です。

その誤解は、モーセの五書は廃れたと言うマルキオンやダービーが作った聖書では無い教えを聖書であると信じている

その無用、不必要な教えのフィルターのお陰なのです。

文字=モーセの五書と考えるなら誤解です。

 

新しいとは別物契約で新しい契約と言う意味ではなく、

太古から伝えられている同じ婚姻契約=頭脳に割礼を受けた人が

永遠不変の神の婚姻契約の詳細を生きる事に根付くことに

召された人達、再更新されている同じ契約の中に加えられ、

生きると言う意味です。

 

この箇所を読んで、モーセの五書=文字に仕える者ではなく

霊=神の霊に仕えるものであるなどと考えるならば、

それはパウロの書いている内容を意味通りに正しく理解して

いない解説なのです。

文字=人の教えは人を殺し、霊=神の言葉は人を生かすと

書いてあるのです。神=霊=言葉と聖書には書いてあるのです。

ヨハネが言った、言葉が人となって来られたとは、

トラーの実態が肉体を取ったイエシュア=トラーが来られて

実際に地上で生きたと言う意味なのです。

 

 3:14 実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、

彼らが古い契約を朗読する場合、

その同じおおいが取り去られないままで残っている。

それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである。

 

パウロがここで話しているのは誰の事ですか?

荒野で神の言葉、声を聞く訓練をされても学習しなかった

頭脳に割礼の無い最初の世代の人達の事、その状態を話しているのです。

神の言葉を聞いても頭脳に割礼がない場合は、神が話している

意図通りを理解していな人達の事です。

古いとは古い、悪いではなく、太古の時代から伝えられている

同じ婚姻契約=トラー=モーセの五書=父の言葉なのです。

 

3:15 今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、

おおいが彼らの心にかかっている。

 3:16 しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。

 3:17 主は霊である。

そして、主の霊のあるところには、自由がある。

 

これを読んで、文字で書かれた契約=古い、廃れた。

今の時代は、霊などと話している解説を聞きますが、パウロが

語っている内容を全く逸脱して考えています。

イエシュア=言葉=トラーが肉体を取って来られたと聖書に

書いてあるのです。1世紀の時代の人達がこのパウロの言葉を

読んだら、どう理解したのでしょう?

 

神の教え、言葉、モーセの五書に書かれている事がイエシュア

そのものであると理解した人達は、自由=神の義、神の性質に

根付いて生きる自由を与えられている。

その人達は、神の性質通りを神の言葉の中で教えられている事実に根付いて生きるので、神の前に顔と顔を直接合わせる関係

神の言葉と言う鏡に映し出される通りの栄光に匹敵する通りの

姿に変えられて行くと書いてあります。

それは人の努力では得られない。神の言われた通りに生きる時に

神の似姿そっくりがその人の中に形成されて行く、それは神の

霊=言葉に常に根付いて考え、生きていたら神の意図通りに

性質通りに変えられて行くと書かれています。

 

 3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に

映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。

 

神のトラー=教えにおおいがかけられていない=神の意図する通りを理解して生きている状態が書かれています。

栄光を鏡に映し出す。それはどこに映し出されますか?

神の言葉の中です。

荒野で過ごした40年を通過した人達、最初の世代は割礼が

頭脳に無いまま全て荒野で死に絶え、約束の地に入らなかった

事実を知っている人達にこの箇所を話しています。

逆に、神の言葉=婚姻契約が永遠であると言う事実を知らない

まま、新しい時代は、恵の時代で神の言葉を生きる必要がなくなったと言う考えは、すなわち逆の意味で、神の言葉を理解していない、頭脳に目におおいがかかった状態であると言う事なのです。

キリスト=言葉これは切り離せない一体の性質だからです。

 

新しい契約とは、新しい=再更新されると言う意味です。

ギリシャ語の”カイノス”の裏にあるヘブライ語では”ハダス”

再生される、再更新されると言う意味です。

エレミヤ31:31の新しい契約と、イエシュアが過越の祭の

晩餐、処刑される前の晩に言われた言葉”新しい契約”とは

同じ意味であり、新しいとは、別物の新しいものと言う意味では無いと言う聖書の事実を知る必要があります。

太古から語り継がれた同じ福音=同じ神の婚姻契約=トラー=

モーセの五書が再更新されると言う意味です。

 

新月で表される通り、同じ月が再び現れ、満月になりそして

消えてまた現れるのが新月の祭です。別種の月が毎月出ないのです。それは神の永遠の約束=婚姻契約が永遠不変で再更新され

続ける印を天の万象を眺める時人が思い出す為でもあるのです。

天の万象は神からの印です。神の永遠の婚姻契約、

神の業を表す神の記念日を司るものに繋がるのです。

 

再更新される意味は、契約の内容を再確認し、

そして契約の中に新しく加わる人が増え続けるからです。

同じ契約に加えられる、同じ1つの神の家族であり、2つ人種別の契約や、人種別に分けられる神の家族ではないのです。

エレミヤの話した新しい契約の中に加わる人達の将来の状態は

頭脳に割礼を受けて、誰も神の教えの中身を知らない人など

いないから、互いに主を知ろうと言う必要がなくなると書いて

ある将来の状態、ゼカリヤ14章にも繋がる同等の意味です。

 

エレミヤ31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。

 31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとって

エジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。

わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を

破ったと主は言われる。

 31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしのトラーを

彼らのうち<腹の只中>に置き、その心=頭脳にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

 

<字面ではなく、神の教えが人の中に血肉の様に、

性質として刻まれている状態を生きる事が書かれています。

それがエジプトから出た日=頭脳に割礼が無い状態では無い

神の教えを神が言う通りに見る事を学習していない状態では

無い。新しく再更新される太古から語り継がれた同じ福音=

同じ婚姻契約に加わる人の状態は、良い地=神の言葉が根付く地=頭脳の状態が整って、実際に神のトラーに根付いた生き方をしている人達になると書かれています。

エジプトから出て直後の人達は頭脳に割礼が無い状態のまま

神の教えを理解していないままだったから、

神の契約を破ったと書いてあります。>

 

エレミヤ31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。

それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、

もはやその罪を思わない」。

 

主を知るとは単に知っていると言う意味ではなく、婚姻契約の

中で育まれる、夫婦関係、婚姻関係で表される最も親しい間柄の”知る”=ヤダと言うヘブライ語の言葉で書かれています。

夫婦関係のごとく裏表の全てを知り尽くす間柄での知ると

言う意味です。

 

 

 

 
続く