愛とはトラーに書かれた婚姻契約の愛 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

愛の詳細、アハヴァとは何を実際に生きるのかトラーに書かれた

内容なのです。

それらは、神が創造された神の似姿のオリジナルの人間の生き方です。

第二のアダム=イエシュアが神が伝えたトラーの詳細をそっくり

その通りに生きた初めての人だったと書かれています。

 

それが体験したことのない愛=詰まり人間が今まで神のトラーを

完全な姿で生きた事を見た、体験した人がいないから

そう書いてあるのです。

 

モーセの五書に書いてあることは神の永遠の教えであり、

人間の生きる本質そのものであり、不変なのです。

福音書〜黙示録にはトラーとは違う別の新しい教えが書いてあると勘違いしている理由は、福音書〜黙示録の中に短い言葉や

トラー、預言書からの引用が6000以上もあるのに、

気が付かないのは、トラー=モーセの五書に書いてある事を

書いてある意味通りに読まない、学ばない、教えられていない

からと言う事が本当の原因なのです。

ユダヤ人で、トラー、預言書を知る人が初めて福音書〜黙示録を

読んだら、そこに書いてあるものは100%トラーの解説である

事にはっきり理解します。なぜなら、トラーが書かれているから

トラーを知る人達が書いてある言語の意味通りに訳されたもの

もしくはヘブライ語で書かれているものを読めば分かるのです。

 

友人がエルサレムで知り合いになったラヴィが

初めて福音書以降を読んでこう言われたそうです。

”イエシュアは最大で偉大なトラーの解説をしている。”

どう言う意味かと言うと、トラーを神の意図通りの解説を

している事がユダヤ人には読み取れたからです。

 

聖書の中に書いてある教えや内容は、ある国では神の教えを適用していないので、実際に実践しないし、神の教えや記念日も

生きていないというだけの事なのです。

神の言葉=聖書はイスラエルだけの教えではないのです。

全世界の民族の父であるとされたアヴラハムを通して

世界中の人たちが神の子らとして招かれ、そして神の義を受け取り同じイスラエルの神の家族として招かれた人達は

神の造られた人間本来の姿=イエシュア=トラーに書かれた詳細

の実態を生きると聖書では教えているのです。

 

イエシュアを信じた人は、神の教えを破棄して勝利するなんて

その様な教えは神の言葉を理解していない異邦人が作り出した

発想、思想なのです。

神に贖われ、救われた人は神の教えを生きる。

人は神の口から出る1つ1つの言葉によって生きると

イエシュアがトラーを引用している通りだからです。

 

神の義の基準は永遠に変わらないのです。

神が言われた事が神の教え伝える神の造られた世界、

造られた人間の絶対的な基準なのです。

神の義の基準、愛の詳細は永遠に変わらないのです。

 

神の言葉を薄めず、意味を変えず、書かれた内容を理解すれば

自分をそして他者を安全に守り生きる事をする事が出来るのです。

それらが何であるのか、トラーに書かれた人の生き方を

載せてみます。