レビ記19章 占い 入れ墨 魔術 どれも現代に適用されない教えなど神の言葉の中には無い | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

レビ記19:1 主はモーセに言われた、

19:2 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、

『あなたがたの神、主なるわたしは聖であるから

あなたがたも聖でなければならない。

19:3 あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日=シャバット=第七日目を

守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

 

9:4 むなしい神々に心を寄せてはならない。また自分のために神々を鋳て造ってはならない。わたしはあなたがたの神、

主である。

19:5 酬恩祭の犠牲を主にささげるときは、あなたがたが受け入れられるように、それをささげなければならない。

19:6 それは、ささげた日と、その翌日とに食べ、

三日目まで残ったものは、それを火で焼かなければならない。

19:7 もし三日目に、少しでも食べるならば、それは忌むべきものとなって、あなたは受け入れられないであろう。

19:8 それを食べる者は、主の聖なる物を汚すので、

そのとがを負わなければならない。その人は民のうちから

断たれるであろう。

 

<今現在イスラエル、エルサレムの神殿で”捧げもの”をする事は

出来ません。でもトラーに書かれた1つ1つの意味を知る事は

神の伝える子らの姿、聖別の真理を教えているものなのです。

そしてそれらは全てイエシュアのされた業を解説しているもの

なのです。絶たれると書かれている意味は、神の聖なるものを

汚す生き方をコミュニテイの中でし続けて悔い改めをしない場合

仲間から外されますと言う刈り取るべき結末が待っていると言う

事です。他の人達が神の伝える生き方とはずれた生き方に必ず

影響を受けるからです。>

 

19:9 あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、

畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。

またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。

19::10 あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。

またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。

貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

 

19:11 あなたがたは盗んではならない。

欺いてはならない。互に偽ってはならない。

19:12 わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を

汚してはならない。わたしは主である。

19:13 あなたの隣人をしえたげてはならない。また、かすめてはならない。日雇人の賃銀を明くる朝まで、あなたのもとにとどめておいてはならない。

19:14 耳しいを、のろってはならない。目しいの前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。

わたしは主である。

19:15 さばきをするとき、不正を行ってはならない。

貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。

19:16 民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。

わたしは主である。

 

19:17 あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人を

ねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。

19:18 あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に

恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。

 

<パウロが1コリント13章で愛=アハヴァ=婚姻契約の中に書かれた愛の詳細=トラーから短い解説をした事は明らかです。

愛とは実際にどう生きるかの内容なのです。

思想、概念の世界ではない。

ヘブライの世界は全部!行動=実際生活の中での生き方が中心に

書かれているものなのです。>

 

19:19 あなたがたはわたしの定めを守らなければならない。

あなたの家畜に異なった種をかけてはならない。あなたの畑に

二種の種をまいてはならない。二種の糸の混ぜ織りの衣服を身につけてはならない。

 

<二つ異なるもの。この中で教えられている内容も、

神の教えとそして違うものを混ぜ合わせてはならない事にも

繋がる事です。別物を混ぜ合わせる。畑に2種類のタネを蒔いたら区別が付かない。神の教えと人の作った神の教えを否定するものを混ぜて人に教えたら、何が真実なのか、神の教え、言葉を

知らない人には区別が付かなくなります。

 

2種類の糸、麻と綿を混ぜると温度的にも不安定なものに

なるそうです。服、衣とは、人の実態を表すものです。

これらの教えを通して、異物を混ぜ合わせる=神の教えと

そうでは無いものを混ぜ合わせてはならない事を教えているのです。実際に物理的にも分かる方法で。>

 

19:20 だれでも、人と婚約のある女奴隷で、まだあがなわれず、自由を与えられていない者と寝て交わったならば、

彼らふたりは罰を受ける。しかし、殺されることはない。

彼女は自由の女ではないからである。

19:21 しかし、その男は愆祭を主に携えてこなければならない。すなわち、愆祭の雄羊を、会見の幕屋の入口に連れてこなければならない。

19:22 そして、祭司は彼の犯した罪のためにその愆祭の雄羊を

もって、主の前に彼のために、あがないをするであろう。

こうして彼の犯した罪はゆるされるであろう。

 

19:23 あなたがたが、かの地にはいって、もろもろのくだものの木を植えるときは、その実はまだ割礼をうけないものと、

見なさなければならない。すなわち、それは三年の間あなたがたには、割礼のないものであって、食べてはならない。

 

<神が創造されたものをその性質を人が神から聞く必要があるの

でしょう。言われた通りにするのが安全なのです。>

 

19:24 四年目には、そのすべての実を聖なる物とし、

それをさんびの供え物として主にささげなければならない。

19:25 しかし五年目には、あなたがたはその実を食べることが

できるであろう。こうするならば、それはあなたがたのために、多くの実を結ぶであろう。わたしはあなたがたの神、主である。

19:26 あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。

また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。

19:27 あなたがたのびんの毛を切ってはならない。

ひげの両端をそこなってはならない。

19:28 死人のために身を傷つけてはならない。

また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。

 

<クリスチャンの世界で色々な解説をしますが、ある人は

今は適用されない教えと神の言葉に対してそう解説します。

神が言われた事ならアーメンと同意すれば良いのです。

でもその解説では神の言われる意図、真理を全く把握していない理解の仕方です。

ある人を不快にする場合は、入れ墨をしたり、身を傷つけては

ならないと言う解釈をするならば、ある人が”同性愛”を不快に

思う場合には、行わない、同性愛を良いと考える人のグループに

交じれば自分も神の禁じるものを行なって良いと考えるのと

全く同じ事なのです。

 

モーセの五書に書かれた教えは永遠の神の知恵、教えなのです。

入れ墨も同性愛も、もみあげや髪を異教徒の様な模様で

剃り、模様を入れる、モレク神に子供を捧げる、偶像礼拝、

その他諸々、イスラエルの神ではない、

異教の神々に仕える人たちの生き方なのです。

 

古代のイスラエルを守るためだけではなく、現代も同じなです。

なぜなら、異教の神々に根はエジプトの神々に繋がっているもので同じ要素だからです。

人は神が与えた体を傷つけて肌に絵画の絵模様をどんな意味でも

施してはならないのは永遠に真実なのです。

神の教えを知らない人でも、偶像見ただけで違和感あるし、

体中に描かれた絵模様見て、ドン引き感を持つでしょう。

人の自然な肌では無い、不自然な事を施しているから。

実際に身を傷つければ、病を招く事は医学的にも立証されており神の子らは異教の神々に従う人の習わしを行ってはならない事、自分の体を傷つけてはならない事その事実は永遠に変わらないのです。真理の出所がイスラエルの神であることを

知らなくても、体に入れ墨をすることは社会的にもタブーであり、受け入れられない、いとわれる行為であると日本人なら、

認識しているのです。

 

それをクリスチャンがしたら、神の言葉を否定する教えを生きることをすることになるのです。

どんなことでも神が禁じたら、それらは人の道、生き方ではない

自分の性質、生き方に反する事なのだと理解したら簡単に分かることなのに、理屈をつけて、神の言葉を薄め、曲げる教えを人がしているのです。

聖書を教える教師と名乗る人は、本当に気をつけて神の言葉を

学ぶ必要があるのは、多くの人を神に反する教え、生き方に

誤り導いてしまうからです。>

 

19:29 あなたの娘に遊女のわざをさせて、これを汚しては

ならない。これはみだらな事が国に行われ、

悪事が地に満ちないためである。

19:30 あなたがたはわたしの安息日=シャバット=第七日目を

守り、わたしの聖所を敬わなければならない。

わたしは主である。

 

<シャバット=第七日目を聖別して祝う事を何度も何度も

繰り返し神が教えています。それが神の子らに取って命に匹敵する重要さがある事を教えています。

シャバットが第七日目ではなく、第一日目に変更になったとは

聖書の事実でもなければ神が言われたことでもないと聖書の

正しい理解に戻さないとならないのです。

西洋宗教、異邦人が1世紀後半に神の記念日を勝手に

自分たちの考えで変更したと言う事実を知っておかないと

ならないのです。神の言葉を曲げてはならない。

神に対して、人に対して偽証してはならない。

神の真実では無いことを人に伝えてはならない。

カトリック教の伝統にのっとり神のシャバットではなく、

日曜日礼拝をやってると言い換えれば正しい位置に戻る。

でも週の中で、第七日目以外は、シャバットとは名付けられていないし、シャバットを神が第七日目であるとした事実は

永遠不変なのです。

偽証してはならない、偽ってはならないと神が言われたのです。

神が言われてないこと、神が変更していないのに、神が変更したと言ってはならないのです。イエシュアを信じると言うならば

聖書が神の言葉であると信じているなら、神が伝える通り正しい内容を世界に発表しなくてはならないと自覚しないとならないのです。

 

19:31 あなたがたは口寄せ、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。

わたしはあなたがたの神、主である。

19:32 あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。

また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。

わたしは主である。

 

19:33 もし他国人があなたがたの国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。

19:34 あなたがたと共にいる寄留の他国人を、あなたがたと同じ国に生れた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない。あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。わたしはあなたがたの神、主である。

19:35 あなたがたは、さばきにおいても、物差しにおいても、

はかりにおいても、ますにおいても、不正を行ってはならない。

19:36 あなたがたは正しいてんびん、正しいおもり石、

正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、

あなたがたをエジプトの国から導き出したあなたがたの神、

主である。

19:37 あなたがたはわたしのすべての定めと、わたしのすべてのおきてを守って、これを行わなければならない。

わたしは主である』」。