シャバット 聖別された時を聖別された状態で生きる  命のサイクル | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉、教え、神の記念日が歴史の途中で変わった!

と言う幻想を捨てて、聖書の事実だけに戻る。

神の言葉を神が変えたのではなく、人間が神の言葉に手を

付けて勝手に変えてしまったと言うシンプルな事実に

気が付いて聖書に書いてある事実だけにぴったり寄り添い

密着し読めば、目からボロボロボロボロ隔ての壁の鱗が

落ちて行きます。

書いてある通りを曲げて読んでいるだけです。

 

神が永遠!と言われたら永遠!なのです。

どうして神の言葉を曲げて”テンポラリー””一時的!”と

読んでいるのでしょう?不思議だと気が付いて。

そんなシンプルな事実を端から曲げて神の言葉を変形して

読めば本当に聖書では無い別の教えを無限に編み出して

しまう事が出来るのです。

 

聖書はヘブライ語原典言語で読むと意味通りの深さ、

真理が顕著に見えて、そして永遠に続く奥深さインパクトが

あります。光が当たって見えて来る、先が永遠に続いている、

それが神の言葉=DNAなのです。

 

文字、コード、設計図、それをその通りに再生すると事実が

現れ出る、神の言葉を生きる=神の性質、似姿が人の内側から

現れ出る。

神の栄光が現れ出る。神の実態は神の似姿を生きる人の中から

現れ出ると書かれている通りだからです。

 

出エジプト31:13 

「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、

『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。

これはわたしとあなたがたとの間の代々にわたるしるし

あって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、

知らせるためのものである。

<代々=命が繋がれて行く限り代々>

31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、

永遠の契約として、代々安息日<第七日目シャバット>

を守らなければならない。

 

31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、

かつ、いこわれたからである』」。

 

<イスラエルと聞いて、異邦人には関係ないと読むなら、

神の伝えている意図は全く見えてきません。

それなら聖書は日本人には全く関係のない書と言うことになります。このシナイ山の麓で神の声を聞いた人達の中には異邦人も

含まれて存在しています。

神はイスラエルと言う代表を選び出して、家族の代表、

長男に契約を与えているのです。

誰でもイスラエルの神を信じるものは、イスラエルの神の家族で

ある事実が、聖書には書かれているのです。その神の語る事実から離れないで聖書を自分にダイレクトに神が語っていると

受け取り永遠不変である神の教えを聞くなら、生きる!と

聖書には書いてあるのです。>

 

31:18 主はシナイ山でモーセに語り終えられたとき、

あかしの板二枚、すなわち神が指をもって書かれた石の板を

モーセに授けられた。

5:12 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、

主があなたに命じられたようにせよ。

5:13 六日のあいだ働いて、あなたのすべてのわざを

しなければならない。

 5:14 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、

はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちに

おる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、

はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。

<異邦人も同じ!と書かれているのです。>

 

5:15 あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、

あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、

そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。

それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを

命じられるのである。

異邦人もと書いてあります。イスラエルの中に住む異邦人。

すなわち、同じ契約に加えられた諸外国に住む異邦人でも

同じなのです。聖書を偏り読んでは事実が見えなくなります。

神の家族は民族を超えて同じである事実は神が伝えているのです。一人を選び出した。そしてその人を通して全世界へ

同じ祝福、福音、神の教えが伝えられて行くために。

 

創世記17:4 「わたしはあなたと契約を結ぶ。

あなたは多くの国民の父となるであろう。

 

17:5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、

あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。

わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。

 

 17:6 わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民を

あなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。

 

 17:7 わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、

永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。

 

<神はイスラエルだけの神では無いのです。神は全ての人を

造られた事実があります。1人の人から全ての人が出現した

のです。イスラエルの神の家族とは誰なのか?

イエシュアもはっきり教えています。>

 

ルカ8:21 するとイエスは人々にむかって言われた、

「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。

み言葉=トラー=モーセの五書をイエシュアは言っているのです。神のみ言葉=父の教え=モーセの五書=トラー=神の教え

インストラクションと言うのがヘブライ語の聖書に書かれた

意味であり、これは1世紀のユダヤ人は1000%理解して

聞いているのです。>

 

そしてやがて世界中がリセットされた暁には、

次の様な事が起きる預言がされています。

神の都=地上と天を直結する神の栄光を表す都、

エルサレムを世界中が攻撃して来ました。

神の教え=トラーを生きることを歴史の中ずっと禁じ、

処刑を持って迫害し続けて来ました。

その結果異邦人は今は変えられてしまった教え、変えられた

神の記念日を生きている。

でもイスラエル、ユダヤ人、そして神の教えを愛するどの民族でも神のオリジナルの教えを生きて、神のオリジナルの記念日を

祝うと書かれています。

仮庵と書いてあるのは1年の最後の祭りであり、

イエシュアの再臨を表している祭りでもあるのです。

仮庵=イエシュアの中に住まう事なのです。

 

この世の旅路で不安定な旅路でも私たちの現実は天の中=

イエシュアの中に守られている事実を表すものでもあるのです。

そして仮庵を祝うとは一年に渡る全ての祭りを祝う事を

意味しているのです。

仮庵=祭りを祝うとは、すなわちシャバットを祝い続けると言う

意味でもあるのです。

なぜなら、祭りでは開始、終了の両日を曜日にかかわらず

シャバット=止まる日として祝い、その週の中に第七日目の

シャバットが来るのでその日もシャバットとして祝うと言う

それが神のデザインなのです。

 

シャバット=聖別された時の中を人が生きる。

神の聖別された状態を保ちながら人は生きる事を

教えているのです。

 

ゼカリヤ14:16 エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの

残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、

仮庵の祭を守るようになる。

<想像つきませんね。イスラエルの近隣国も?C國も?

アメリカも日本の首相も?全部都上りの祭りに参加する日が

来る!世界中が神の都で一つ、世界中が神の祭りを祝う日が

来る!想像しただけでもワクワクドキドキが止まらない。>

 

14:17 地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、

エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。

 

14:18 エジプトの人々が、もし上ってこない時には、

主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを

撃たれるその災が、彼らの上に臨む。

 

14:19 これが、エジプトびとの受ける罰、<ズレ、罪ゆえ受ける

カリ取るべき結末>およびすべて仮庵の祭を守るために上って

こない国びとの受ける罰である。

14:20 その日には、馬の鈴の上に「主に聖なる者」と、しるすのである。また主の宮のなべは、祭壇の前の鉢のように、

聖なる物となる。

 

<主に属する聖なるもの=神の与えた印=聖別された時を生きる>

14:21 エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。

その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。

<来るべき新しい時代には、偽物の混ぜ物の教えを売る商人は

いなくなる。本物だけでこの地の面が覆われ、神の性質を生きる

神の教えを生きる人達だけでイエシュアの元エルサレムから

世界が統治される日が来る。世界の憲法はトラー=神の教え!>

 

イザヤ65:3 この民は常にわたしを怒らせ、わたしに逆らう。

園でいけにえをささげ、屋根の上で香をたき

4墓場に座り、隠れた所で夜を過ごし

豚の肉を食べ、汚れた肉の汁を器に入れながら

5「遠ざかっているがよい、わたしに近づくな

わたしはお前にとってあまりに清い」と言う。

イザヤ66:17

自分の身を聖別し、身を清めて園に行き、その中にある一つのものに従って、豚の肉、忌むべき物、ねずみを食らう者たちは、みなともに絶ち滅ぼされる。

 

人は神の目に汚れたものを内側に取り込みながら同時に聖別された状態に保たれることは無い。聖別の詳細は道徳的な事とは

関係の無い神の語る教えを理解するなら理解出来る内容が

書かれているのです。

 

イザヤ56章

主はこう言われる、「あなたがたは公平を守って正義を行え。

わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。
安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」。<悪しき事=ラア=神の語るずれの全て>
3 主に連なっている異邦人は言ってはならない、

「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と。

宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と。
4 主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、
5 わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる

記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を

与える。
また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――
7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。
8 イスラエルの追いやられた者を集められる

主なる神はこう言われる、「わたしはさらに人を集めて、

すでに集められた者に加えよう」と。

 

 

Shabbat Shalom