アンティオコス4世エピファネス <紀元前175−163年>
”宮きよめ”=ハヌカの背景となったギリシャ帝国からの
トラーを生きる事を処刑を持って禁じる圧力がありました。
神殿を乗っ取り、汚れた動物=豚を神殿の神の一番聖なる場所の祭壇に捧げ、ユダヤ人にも神が禁じているレビ記11の人間の
食べ物ではない汚れた動物を食する様に勅令を出しました。
これ今の時代と同じです。汚れたもの、人間が取り込んでは
ならないものを自分の中に取り込む様に権力の圧力で
強要されてしまう。
人権侵害、事実上合法の白昼堂々たるのジェノサイド、
ノアの時代と同じ。拒否権無しの同調圧力をかけられてしまう。
人類、神の創造物に対しての最大なる違反、ヴァイオレーション
神の創造のデザイン、DNAを破壊、塗り替えるもの。
太古の時代から歴史の中で闇の勢力はずっと神の教えを生きる事を禁じ、シャバットや祭りを祝う人は処刑して来たのです。
世界統一へ向かう流れ、願望は歴史の中でずっと繰り返されて
来た事なのです。現代に始まった事ではない。ずっと同じ。
エデンの園から神のデザインに逆らう勢力は存在しているから。
そして終わりの時代も同じです。
信仰に対する統一も同じです。
信教、言論、発言、思想発表の自由を禁じる。
今世界で起きている現状に対し、これは目覚めている場合には
はっきり気が付く事だと思います。
エピファネスの語源は、"神が現れ出る” ”輝かしい 栄誉ある”
と言う意味ですが、人が神の位置に着く事を表していますね。
ギリシャ帝国の下地の上に、ローマ帝国の支配があり
1世紀のイエシュアが来られた当時のイスラエルも
ローマ帝国支配の下にありました。
当時のレビ族、大祭司カヤパもローマ帝国の権威の下腐敗して
いた事が聖書の記述から歴史家の書からも知る事が出来ます。
エルサレムの街を歩けば、そこら中に人が木にかけられて
処刑されるのを日常に見る、飛んでも無い危険な生きにくい
時代だったのです。
十字架と言われていますが、ローマの処刑は”木”にかけて処刑
する事が最高刑であったのです。
いちいち十字を作る様な作業などしない。人の重さで十字架は
壊れる。そこら辺の木にかける、または土を掘り木を
その中にドンと埋めて、その木に人をかける。
”木にかけられるものは呪われる”と書いてある通りです。
日常そんなものを目にする恐ろしい時代であった訳ですが。
マカバイ戦争の背景もそうですが、ユダヤ人の”イスラエルの神”
に対する信仰、神の教えを生きる事は神がこの世界が造られた
最初からあるものであり、深く根付いた教え=トラーで
あるのです。
だから、どの勢力が世界の統一を図る場合にも神のトラーを
生きる人達は”邪魔”な存在であり、そして彼らのイスラエルの神に対する信仰は本物であればそれは揺るがないものであるので、統一には当然のごとく邪魔な存在なのです。
これからも同じ様な規制がされて行くのでしょう。
ギリシャもローマも様々に神の教え=トラーを生きる事、
生きる人達を迫害して来ました。処刑と言う形で。
ユダヤ人、神の教えを生きる人達へのジェノサイドは
ずっと図られて来ました。
皇帝ネロもそうです。クリスチャン達を迫害したと書かれていますが、当時のイエシュア信者は100%トラー=モーセの五書をイエシュアやパウロ、使徒達同様同じく生きて、神の記念日を
祝っていた人達であり、現代の西洋人が作った様な教えや祭など
誰一人として知らない、生きてもいない時代なのです。
神のトラーをそのまま否定せずに丸ごと生きていた、
それが当時のイエシュア信者達なのです。
ここは誤解してはならない事実なのです。
100%預言者、イエシュア、パウロ、使徒達同様に、
トラーを100%支持し、教え、生きていた人達=イエシュア
信者なのです。ユダヤ教の一派でナザレ派と呼ばれていた人達。
エステル記の中で”ユダヤ人全滅”計画をしたハマンの策略も
その一つです。
エステル記の中には、ユダヤ人全滅殺戮と言う人の企てた計画、
ハマンがモルデガイを処刑するために作った木にハマン自身が
逆に木にかけられ、王から処刑さた結末が書いてあります。
神がユダヤ人を救い出したと言う言葉は書かれていませんが、
明らかにイスラエルの神がユダヤ人を敵の手から救出された
事実がそこにある訳です。
ここまで世界がこぞって神の国とその神の都エルサレム、
そして神のトラーを生きる事をする人達を狙うのかには
様々な理由があります。
神の事実が現れ出てしまうことを阻止したい勢力がある。
神は世界の中心イスラエルと言う国、イスラエルの神の似姿を
生きて表す事をする場所と人を聖別し選び出したのです。
それは闇の世界には完全に邪魔なものであり、
神の計画とは違う計画をプランする勢力には
邪魔な存在であるからです。
でも神の国イスラエルは、その都エルサレムは、人や王のものではなく、イスラエルの神の個人所有。神に属するものなのです。
そして全世界は神の所有であると出エジプトしたイスラエルと
少数の異邦人にシナイ山の山頂=雲の中=天が地上に降りて
きて、神が直接語られました。
やがて、イエシュアはエルサレムから世界中を統治する座に就くそれを残りの民は皆待ち望んでいるのです。イエシュアが来られたらイエシュアの統治は、神の国の憲法は変わらず
”トラー”モーセの五書なのです。
出エジプト19:5