様々な誤解の前提をもって聖書を読んでいる事を知る事は
聖書=神の言葉を正しく理解する軌道修正をするには絶対不可欠
大事な鍵です。聖霊に導かれれば、神の言葉を誤解せずに
聖書、神の言葉を読める、理解出来ると考えると思いますが、
聖書の中に書かれている内容を曲解したり、誤解したり、
意図通りとはずれた理解をしていたり、又は人間の作った
聖書の事実では無い教えを通して聖書を読めば、聖霊が導いて
教えようとしていても、事実と異なることを信じれば不可能。
神の言われた事を理解したのだと思っている内容が、
実は聖書の事実では無い、本質からずれた理解であると
言う事になるのです。
神の言葉、人に伝えている、書かれた通りの意味、内容を
まず知る!これが聖霊に導かれて正しい理解と深い発展、
永遠につながる神の真実、真理の領域に入る秘訣です。
そして、クリスチャンの世界で一般にこう考えられ、
教えられていると思います。
1 古代の人、ユダヤ人達は救い主を知らない、
2000年以降の様な同じ救いも許しも無い。
聖霊も内側に住まない時代であった。
2 だから神が厳しい律法をユダヤ人に与え、
そして仮の罪の赦しを得るために生贄を捧げていた。
3 イエシュアが来られるまでイスラエルの神は怒りの神で
怒りをなだめる事は出来なかった。
<イエシュア =神=怒りの神?なのですか?>
4 ユダヤ人だけにモーセの五書は与えられ、異邦人にはそんな
厳しい仮の呪いの律法を生きる必要がないと神が教えた?
律法を生きることは、イエシュアが地上に来られて処刑され
昇天されるまで続いた。
5 イエシュア は呪いの律法<神の教え=婚姻契約、トラー
モーセの五書=父の教え>から解放するために来られた?
6 イエシュア昇天以降、ペンテコステの祭り<モーセの五書=
婚姻契約書を受け取った記念日の祭り>に、聖霊が初めて人の
内側に下り住まう様になり、そして人々は意味不明な言語=異言を語り出し聖霊に満たされるとは、意味不明の言語を語る
現象で聖霊の強度?の判定が出来る。
7 使徒2章以降、モーセの五書=律法とは違う教えが世界へ
伝えられた。クリスチャンこそが本物の福音を知る人たちで
あり、過去の人たちにはクリスチャンが知るような真理が明かされていなかったので、世界へ伝える教えは、モーセの五書とは
違う別の教えである。救い主の流された血で罪は許され、
今までの様に神殿で仮の動物を捧げて罪許される
儀式は終わった。<ではパウロ達は1世紀昇天以降、神殿で何を捧げていたと書いてありますか?祭りや請願で。神殿がローマ
帝国により崩壊されるまで何もな〜んにも変わっていないのです。>
7 西洋人の解説する教え、マルキオンやダービーは
怒りの神の時代は去り、恵の時代になったので、もう今は
神の言葉を学ぶ必要は無いし、生きる必要もないと教えた。
ダービーはイエシュアの教訓、山上の垂訓の教えなど生きる
必要は無いと人に19世紀当時の人々に教えた。
<だから聖霊に導かれれば聖書がなくても聖霊が教えてくれると言う教えが出てきたのですね。>
8 ダービーの神学<デイスペンセーション神学>によると、
ユダヤ人と異邦人は別の家族、別のグループであると主張。
<それはオリジナルヘブライ語の意味=1つの家族=カハールと
言うものが1つであり2つでは無いと言う聖書に最初から最後まえ貫かれて書かれている事実に対して盲目であっただけです。>
やがてユダヤ人は地上を支配し、天を支配するのはクリスチャン
である。その神学を教える教えの中に、父=ユダヤ人と婚姻。
子=異邦人と婚姻。様々な人間発想の空想が発展、展開して
別の福音を作り出しているのです。
9 終わりの時の艱難時代は2回再臨がある。
最初の再臨で空中携挙がありクリスチャンだけが天にあげられ
ユダヤ人は地上で苦しむ。そんなこと聖書に書いてないのです。
その思想はダービーが19世紀に主張するまでだ〜れも教えない
人間創作の神学。二回も再臨は無い。
etc etc etc こんな感じだと思います。
これら上記は聖書とは関係無い聖書の本当の意味を本当には
知らない人達が創作した教えです。
正しくオリジナル聖書を知る人たちは、それが聖書では無いと
知っているので、そんな考えを聖書とはずれた教えなど
編み出さないのです。
でもこれらの教えが一般に普通の常識としてクリスチャン
サークルの中では教えられて来たのです。
さて聖書に書いてある、預言者や使徒、イエシュアやパウロは
何を教えていたのでしょう?何の教えを生きていたのでしょう?
何を世界へ伝えたのでしょう?上記した様な教えなどパウロは
一切していない事実から聖書を読んで見てください。
そして最後は世界の人はどこに戻る?イエシュアが統治される
世界が来たら、全ての人は何を生きる様になると聖書には
書いてあるのでしょう?
シンプルな答え!父の教え=モーセを通して与えた神の教え
トラー!!!と聖書には書かれていて、それ以外の教えなど
聖書のどの一文字にも記されては実はいない!でもその事実は
クリスチャンの教えの世界では全く教えられてはいないし、
別物の新しい教えが出てきたと完全に誤解されているのです。
預言書にも書かれている、イエシュアもそう教えている。
1つ分かることは異邦人の世界ではオリジナルヘブライ聖書に
精通し教えると言う事実が無いまま今まで来たのにも
事実が見えない理由があるのです。
西洋人思想を通して、翻訳聖書だけを読んで、西洋人の神学で
聖書を解釈、理解する世界が語られて来ただけなのです。
だからオリジナルの聖書の中身、内容、事実とはずれる、大きな誤差が生じ、聖書に書いてある本来の内容を誤解をするのです。
しかも聖書は完全なる神の言葉と言いながら、同じ口で
神の言葉は呪い、律法、廃れたと言う矛盾に全く無感覚で
発言、主張通りに神の言葉を取り扱う事をしてないのです。
聖書で最大限に誤解されている箇所はパウロの書簡であり、
又パウロと言う人物を全く知らないまま、完全に誤解している
のです。パウロが100000%トラーだけを教えていた事実が
聖書には書かれているのにその部分に書かれた真実に完全目隠し
盲目状態であると思います。
その内容を一つ一つ見て聖書に書かれている事実に戻り、
内容、意味を再検証、再定義してみたいと思います。
まず、パウロがユダヤ人の議会=ラビ達で構成される国会と
同じ機関、サンヒンドリンで証言した内容でも分かります。
パウロはカメレオンの様に逃げ道を作るために、嘘をついたり、相手によりコロコロ証言を変えたりして、聴衆に応じてその場
限りの適当な嘘や作り話、思いつきを話しているのでは
無い事実があるのです。
トラー学者の最高地位の職業は国会議員。そして弁護士、検事など様々な国のトップの機関に携わる人々=サンヒドリンなのです。パウロも経歴上やがてその様なこの世的には輝かしい職業
立場に立つ、国の権威の座に付く資格、資質の
ある人物だったのです。
さてパウロが自分のことを何と議会=パリサイ派の学者の前で
説明しているのでしょうか?
使徒24:11
お調べになればわかるはずですが、わたしが礼拝をしに
エルサレムに上ってから、まだ十二日そこそこにしかなりません。
<時期は冬12月前後、ハヌカの祭りであります。
宮きよめ=ハヌカの祭りでエルサレムに居たのですね。>
24:12 そして、宮の内でも、会堂内でも、あるいは市内でも、
わたしがだれかと争論したり、群衆を煽動したりするのを見たものはありませんし、
24:13 今わたしを訴え出ていることについて、閣下の前に、
その証拠をあげうるものはありません。
24:14 ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、
トラー=モーセの五書の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、
<パウロはここで議会に対して何と証言していますか?
モーセの五書を教え!!そしてモーセの五書を解説、モーセの
五書の生き方に戻れ!と書いてある預言書を信じて生きている!と証言していますよね。
どうしてそのパウロがモーセの五書、預言書、諸書は終わり!
などと世界へ違う教え、神のトラーを否定した別の福音を
伝えていることになっているのか?その矛盾に聖書の記述から
真剣に考え直して、読み直し、神の前に問い、聖霊に導かれて
聖書=神が伝えている神の言葉の真実、事実に邪魔な人間の教えのうろこがはがれて、真理に目が開かれる様に祈るべきなのです。自分を教えてくれる人たちや周りの人たちが神の言葉を
曲げてトラーは古い廃れた呪いの縛りの教えと聖書の記述に反して純粋に本気で信じて主張しようとも、パウロが1000%
トラー、預言書を信じて生きているとここにパウロの口から直接語られた言葉=証言=証拠として書いてある事が100%真実で
あり信頼に値する証言なのではないのでしょうか?
神の言葉を信じるのか?人の作った思想の解釈を信じるのか?
聖書では無い人の考えに聞き入って信じれば聖霊に導かれるどころか聖書を否定する教えを信じて全く気がつかない状態に
留まってしまうのです。
続く