神の言われた週一度の特別な記念日はシャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

事実は人の教えや、蛇の囁きとは異なるのです。

神の教え=インストラクションを生きる、これがぴったりの生き方、心地良い関係!デザイン通り!あなたにぴったり特注の洋服を最上の生地で仕立てたその衣服を着るがごとく心地よい生き方。そして何より人を互いを守り合う、安全な生き方なのです。

 

そして、神を愛すると言うなら、契約の愛の中に生きる!と言う

のが聖書の最初から最後まで語る生き方!なのです。

 

人が自分の意見や判断で何でも決めれば良いと教えるキリスト教の教えは、聖書とは異なります。

それは本当の人間至上主義です。人の意見で神の言葉を受理、

却下として良いと言う教えだから聖書とは異なります。

 

神は始めから”神の言った通りに生きる”〜神の口から出る

1つ1つの言葉=教え、インストラクション=トラーにより

生きると説明しています。

 

すごくシンプルな事実でしょう?神が人を造られたから、

人は神に1つ1つ教えられる以外、何をどう生きるのか

本当には分からないからです。プロの世界はマエストロから

1つ1つの技や技術を熱心に自分のものにする様に注意深く学ぶでしょう。

私たちのマスター=創造主はイスラエルの神。

そのお方から1つ1つ私たちの本当のアイデンテイテイ、生き方を教えて頂けるのです。なんて光栄な事。

 

それなのに、異邦人は、人がいかに生きるか?が書かれている

すべて=文字で書かれたイエシュア=モーセの五書は呪いの

律法で廃れたと教えているのです。

イエスキリスト=呪いの律法とでも言うのでしょうか?

 

福音書〜黙示録はモーセの五書!の解説である事にも、福音書を

読みながら、100%全く気が付いていないのです。

新しい教え、呪いの律法=モーセの五書を否定した新しい教えを

イエシュアがしている!と本気で信じてました。以前は。

 

問題はいつも同じです。世の人々の知恵のごとく、

神が教師として世界へ与えたお家元を捨てたから聖書が本当の

意味で分からない。

聖書教育の世界では、オリジナル聖書を学ぶことがないと言う

不思議な現象を何も疑問に思わない。

西洋文学を大学で学ぶ人は、原書を読むでしょう?

 

オリジナルを知らなければ、本当の意味が分からない!と言う

大問題に気が付いた人は、オリジナルを学ぶのです。

翻訳聖書を異邦人思想、西洋哲学神学で学んでも壁だらけ。

先が見えない、先へ行けないのです。限りがある。

 

他の世界の教育、音楽でも芸術でもスポーツの世界、その他の

分野でも皆プロに学ぶでしょう。

それが聖書教育の世界に全く欠けていたのです。

今英語圏では豊富な資料があります。

日本語圏には無い。聖書を本当には知らないと言う問題に

気が付く多くの人はいるのです。

導き手がいない、教師が居ないと言うのが本当の問題の根です。

 

本当に聖書を知れば、様々に出てきた人が作った神学が聖書では無いことは、オリジナル聖書に照らし合わせれば簡単に見抜けます。聖書に永遠普遍の事実が書いてあるからです。翻訳聖書を

読んでいても、ヘブライ思想、聖書の基本的な概念がはっきり

分かれば、聖書が見えて来ます。

 

神は決して約束を変えない!!裏切らない!それがモーセの五書に全て書かれているのです。イエシュアを信じた後神がこの世界を造られたのは実は呪いの律法だと言うモーセの五書、創世記を読んだからではないでしょうか?人が神の言葉を判定、仕分けている矛盾に気が付いてみてください。

 

神に対しての自分勝手な敬意の示し方、尊敬の示し方とは

神が言われる事を無視する事です。エデンの園の出来事。

神の言われる事を無視して自分が編み出した教えを生きたら

”死ぬ”本当の自分に死ぬ。そして神が用意、提示してくださる

本当の交わり、関係の中から飛び出る。エデンの園の出来事で

凝縮されて解説されているのです。

 

神に敬意を示す、愛を示すと言うことは、”聞く”と言う態度です。

シャマー イスラエル!聞きなさい子供達イスラエル!

アドナイ エロヘイニュ 主は神は。

アドナイ エハッド その主はエハッド=唯一一体の神!

 

他の神は無い。詰まり人が語る別の神像=歴史の途中で七変化

するコロコロ約束や義の基準や業を変える神では無い!と

はっきり書かれています。神の言葉=エハッド=一体。

七変化はないとはっきり書かれているのです。

 

この祈り申命記6:4はイスラエルで意味ある時に折々に

祈る祈りです。そして天に召される時に唱える祈りでも

あります。人の生き方、注意を払う一番大事な事!シャマー=

聞け=神のことば、教えを聞いて、神の言葉から決して離れるなかれ!です。

神の言葉を生きる必要がない!神の言葉=教えから離れよ!と

教える教えこそ、出所は地を這うものの教えそのもの!危険!

と気が付いて!

その教えをする人もその危険やサタン出所に気が付いてない

これがサタンの巧妙なトリックなのです。知らない間に

まさか神の言葉に反する事など言わないと考えられる

クリスチャンの口を通して、神から離れさせる意識を植えこみ

刷り込み続ける。世界へ浸透させる。1500年に渡り。

その嘘から今皆が目覚め始めているのです。

 

ユダヤ人が抵抗しているのは、実はローマが作り出した偽の教えのせいなのです彼らが警戒しているのは、神の言葉に軽々と手をつける異邦人の冒涜的教え、意識です。詰まりイスラエルから本物のイスラエルの神=イエシュアの真実を覆い隠して来たのは、異邦人が作った偽のイスラエルの神像と、聖書とは異なる

イエシュア像なのです。この事実に多くの人が今気が付き始めています。

 

詳しいことは今分からなくて聖書か聖書の教えでは無いか

簡単に見分ける方法があります。

神は神の言葉は永遠に変わらない!と神ご自身が人に伝え、

教え、言われました。

だから、神の言葉が2000年以降は変わった、歴史の途中で

神の教えが別の教えに変わり続けた、別の福音が出て来たと

言う教えは、聖書では無い!のです。

神の一言は永遠に変わらないからです。

 

今まで聞いてきた教えはほとんどがデスペンセーション神学の

教えを聖書として教えていますが、それ聖書では無いです。

それはヘブライ聖書を知らないただの西洋人の発想、空想を

元に造られた教えなのです。

 

神の言葉を無視する!神の言葉が変わると言う思想は

聖書では死に値する罪!と書かれているでしょう。

神の言葉の事実だけを繋げて考える。

2000年以降は、何でもかんでもやってもいい、ありの、

恵満載の新しい教えが出て来た!これこそ、聖書とは全く異なる人を神の言葉、教え、神のデザインしたオリジナルの人間の

デザインを生きることから引き剥がす元凶!です。

 

これから世界は加速度的に非聖書的教えが益々浸透して行きます。神のデザイン通りに造られた夫婦、家族、男女の性別を

表す言葉を使うことは、偏見とされて行きます。

アメリカでその様な法律を作ろうとしています。

 

これは全て、モーセの五書=神の教えを無視して生きて来た

教えて来た代償なのです。誰か一人が神の言葉のどの箇所も否定したり、違反したら、腐食は家族全体に広がるのです。

ウイルスのごとく蔓延し人の影響を与えて行くのです。

 

男、女、夫、妻、兄弟姉妹などなどの家族を表す言葉を使う事は偏見と見なされます。

聖書の教えを唱えるなどもってのほかです。

クリスチャンも、神の教えは正しいと信じるでしょう。

ではどうして神の言葉は終わったと言う教えを本気で信じるのでしょう?と自分に問うて聖書だけに戻り考え続けるのです。

 

麗しく生きているクリスチャン達、知らない間に

トラーを生きていると気が付いているのでしょうか?

 

イエシュアは、トラーを教えた。なぜならイエシュア自身が

トラー=モーセの五書が肉体として来られたお方!と聖書に書いてあるのにその事実に気が付かず、マルキオンやダービー

スコッフィールドが作った思想や神学で、神の言葉は要らない!

神の言葉を生きる必要が無い=それが恵の生き方!と信じる様に教えられてしまったのです。

 

それが今ひっくり返る時、振り分けの時が到来しているのです。

誰の教えに付いていくのか?神か人か?です。

 

神は嘘つきではありません。語られた言葉、神の言葉は全て

永遠不変、神の言葉に手をつけ変えて教えるものは天の国で

一番意味の無い存在、軽い存在になるとイエシュアの口から

語られたのがそれです。今聞いている教えは、神の言葉をないがしろにし、自分の判断、都合、好き、嫌い、受け入れられる

受け入れられないで仕分けして良いと言う、人間の教えを聞いているのです。

 

今日は神の造られた記念日です。クリスチャンは復活を記念して

日曜日としていますが、その根拠はローマの教えです。

でも神のシャバットは永遠不変です。

神を愛するとは、神の言葉に敬意、尊敬を払い、今の日本で

流行っている言葉ではRespect リスペクトするなら、

神の言う通りをまず聞き、生きる事。

神を愛する人は、神の言葉を生きる。

そして神この第七日目に神の言われる通りにこの日を祝い、

生き、ガードする人たちの中で特別な出会いをすると

約束された様にしてくださるのです。

これは本当!アーメンであるとお伝え出来ます。

 

 

 

Shabbat Shalom

 

神の言葉を捨てたら。。。シャバットの意味を知る人が

居なくなったら。。。

これは神が造られた人の、家族の姿ではないですね。

 

How the Pandemic Is Reshaping Shabbat

この絵”いかにこのパンデミック”状態がシャバットを

作り変えたか?と言うキャプションが付いていました。

 

いかに人の作った、神の言葉を塗り替えた教えが神のデザイン

した教え、記念日を作り変えたか?とも言えます。

 

 

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