哲学思想が編み出された時代18−19世紀の流れの中で生まれた西洋思想哲学神学 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

偽予言は成就するわけなく、キリスト再臨は

1844年10月22日、予言した日には再臨は起きず、その後ミラリズム、そのグループは崩壊し、その偽預言を弁明する説を語る人が出てくるのです。ハイラム エドソンと言う人物。

 

”聖所説”=Sanctuary Theory。キリストが再臨したのは、

地上再臨では無く、天の至聖所に救いが入りそこを清めたのだと言いました。

オリジナル聖書、聖書の意味、中身、内容を全く正しく知らない人が語る内容です。

これがいつの時代、いつの時でも問題の根そのものなのです。

そんな偽預言をする事、聖書を曲解して解説する事=元の聖書の意味を知らないからです。

天の至聖所をどうして神が浄める必要があるのか?天の中で誰が

至聖所を汚すわけ?と言う内容からして変な教えです。

清める=天の神の家は完璧、何の”ラー”も何の汚れも何も無い。天=神の性質のみが覆う世界だからです。聖書とは異なる、

ズレた人の思想は、いつも聖書とは異なる、異教徒的発想です。

聖書に根拠も何も無い自分の空想、発想、考えでそんな教えを

今に至るまで編み出し続けているのです。

原典聖書に書かれた意味を知らないトラーを知らない、

それが”誤解”空想で創作する神学や人の教えが出現する経緯、

原因なのです。

ずっと同じ誤り、ミステーク=人間の思想を通して聖書の真実を曲げて語る=それが神学、聖書解説の中に入り込んでいることを1つ1つ繋げて行けば、聖書とは異なる人の思想、考えが聖書

解説の中に巧みに入り込んでいる事が見えてきます。

その場合、聖書の神の言葉の書いてある意味通りに!内容通りに!正しく知っている!のが大前提!神の言葉通りに読む、

それが真実が虚偽か照らし合わせる基準です。

やってはならない事は、世間の伝統で語り継がれる人の教えに

照らし合わせて考える事。聖書の事実では無い人の教えは、

神の言葉の真実では無いからです。照らし合わせる基準さえも

ずれていたら、なんでもあり、どんな教え、

神学でも編み出せる、生み出してしまうのです。

原典聖書に書かれた言葉の意図する意味、内容を知らない

トラーを知らない、それが”誤解”空想で創作される神学や

人の教えが出現する経緯、原因なのです。

 

その後、ミラライト、ミラリズムは崩壊し、多くの人は信仰を

完全に失います。これが人を間違いの教えに導く代償なのです。

誤りの教えを編み出した牧師と、その嘘を信じた信者。

”ユダヤ人と嘘”と言う本をルターが書きましたが、

”異邦人と嘘”嘘=聖書では無い教えを唱える、人間が神に成り代わり、神の言葉を曲げると言うタイトル本、そのまま出来ます。

 

そのミラーの教えを聞いた人々は全員、それが非聖書的、

聖書とは異なると言う事に完全盲目だったのです。

聖書を知る人なら、それは”偽予言者”の宣う教え!とはっきり

気が付けるからです。盲人=聖書を正しく知らない人、

ヘブライ聖書教育が無い人が、これまた聖書を知らない人に対して手引きをし、両者が穴に落ちると言う事が起きてしまった

のです。

この事件も、”聖書”を本当の意味で知らないと言う事が原因です。大元の原因は同じ。エデンの園から同じ。神の言葉を変える

教えをするもの!それが人を誤りの教えに導く最大の原因です。

 

その後、このアドヴェンテイズムは、様々な人を通して継承し

後に空中携挙=誰も知らない間に再臨があり起きる見えない携挙

2度再臨があると言うダービーの教えが編み出されたのです。

レフトビハインドと言うストーリー本はダービーの思想を土台に

造られた話です。映画化までされたクリスチャン思想の中に本当に幅広くそれが聖書の真実であると誤解が浸透してしまった

それ!本や映画の影響力はすごいです。

 

見えない間に主が再臨されて異邦人クリスチャンだけが、

皆が知らない間に天国に行き地上から突然姿を消すと言う

”空想”話のシナリオ。普通に聖書の真実だと信じられていると

思います。聖書に根拠も何も無い教え、ダービーが編み出した

教えが深く浸透し根付くまで、それ以前の過去の歴史の中で

誰一人そんな教え、考えを発表する人もいなかった。

聖書の神の解説する事実ではないからです。それなのに、時代が来て、時の預言者なる人が出てきて、神からの新しい啓示を受けたごとくにその教えが祭り上げられて信奉されてしまったのです。

次から次へと別の新しい教え、ムーブメントを編み出して行く事にも繋がって行きます。トラーを知れば、原典聖書の意味を知れば、その仮説が非聖書的だと容易に理解出来るのです。

 

ローマがユダヤ的な事を全部捨てた教えに変えて作った時の

新興宗教、4世紀に出来てた教え、ローマ教の教えの中では

ヘブライ要素が全部取り去られているだけなのです。

異教徒には異物の生き方、馴染みの無い教えだからです。

異邦人には容易に受け入れられない内容だからです。

神の教え、言葉、神が伝える生活全て、生き方全ての

だからライフスタイル、ユダヤ的異教の神々の教えを生きる人達の中には無いものを全部排除!神の創造されたオリジナルの

記念日も全部排除して、自分達の地場宗教と同じ記念日に変更。だからシャバットが第七日目ではなくサンデー=日曜日=週の第一日目でありシャバットという名前も聞かれない。教えられない。太陽にまつわる日が主日礼拝=この日は皇帝=主を拝む日でもあるのです。

そして、神の春と秋の祭りを捨てて、冬至と春分の日を神の祭り=記念日として内容も変えた祭りを作ったのです。

その事実に気が付かないのは、プラスヘブライの書、

モーセの五書の内容を学ばないから解らないだけです。

神の言葉が終わったと言う、マルキオンやダービーの教えを

信じているから。神の教えを捨てて、人の教えに固執する!

いや人の教えに固執しているなどとも気が付かない、何が神が伝えている事なのか聖書を読んでいても見えないのだと思います。

 

トラー=モーセの五書を異教の地に住むイエシュア信者達、

世界へ伝えた、どの様にトラーを生きるのかユダヤ人、

異邦人に教えた使徒!

この事実に気が付いていない人達が語る教えなのです。

 

この”ウイリアム ミラー”の教えを引き継ぎ、別の人が別の教えへと発展創作して行くのです。

この空中携挙もこの思想の中から編み出されたものなのです。

ミラリズムのグループの中に居たある16才の少女が幻、

夢を見たと言った事が発端です。その夢は、皆が気が付かない間に主が来られ、この再臨があり、クリスチャンだけが天に行くと言う彼女の見た夢の内応を語りそれをミラーのグループの人々が神からの新しい啓示だと信じた。新興宗教と同じ思想パターン。

 

聖書に無いけど、誰かが神からの預言者として祭り上げられて、その人が見た幻や夢が神からのお告げだと信じる異邦人思想。

それが後に空中携挙=クリスチャンだけが先に天国へおさらば〜と言う話が神学を編み出したダービーなどの様な人により

語り継がれて行ったと言うのがその仮説の出所、経緯なのです。

そんな単なる聖書も知らない少女が聖書の根拠でも無い夢、空想から語った幻想が神からの啓示であるなどと信じてしまうのです。

他の宗教にもありました。何も知識の無い幼い子が”神”に祭り

上げられてしまう様な事。

空中携挙はクリスチャンだけ天国に上げられて、ユダヤ人だけが艱難時代の地上に残ると言うダービーの編み出した教えの仮説=幻を見た少女の幻想その教えを信じるなら、ユダヤ人で艱難時代を通るなら、クリスチャンになって目に見えない再臨で天に上がった方が良いと言う教えに基づくものなのです。

だから、”信じたらユダヤ人やめよ!”などと言うのです。

 

それ聖書の教えでは無くて、その様な人間=異邦人が作り出した

仮説=教えである事をどの位のクリスチャンが知っているのでしょう?パウロの書簡を完全誤解、読み込みしている結果生まれている聖書では無い教え、仮説のオンパレード。

 

聖書に根拠の無い教えを編み出す人達、この時代に幻、夢、

インスピレーション体験などから語っています。

モルモン教のジョセフスミスも同じ時代の同じ様な空想、夢、

幻想、幻を見て新しい教えを作り出して語っているのです。

エホバの証人も同じです。

同じ時代を通り、時代の思想、哲学の影響を受け、同じ思想を

共有する人々が居てそれぞれの教えを編み出し、後世へ語り継いで行ってしまったと言うのが教えの出所、教えの起源です。

 

古代のユダヤ人の間にはそんな教えも発想も存在しない。

近代19世紀になり、人間至上主義思想様々な思想哲学の出現の

流れの中で、初めてそんな神学仮説を編み出して、

それが信仰思想の中に入り込んだのです。

 

しかも、その神学を解説する人達は、神は太古には真理を隠していて、今の時代に初めて真理をつまびらかに明かされたのであると解説しますが、本当にトラーに戻って何が書かれているのか

学ぶ必要があるのです。神の真理は、モーセの五書の中に

必要な事は全て最初から書かれているからです!

始めから神は人に必要な生きる全ての教え、インストラクションを包み隠さず伝えている。

人間の側で人それぞれ理解する能力、程度は成長過程に於いて

違う!だけと言う事なのに。

そして神だけが知ることももちろんあるでしょう。だからある

事柄は事細かに書いていないのです。人の頭脳、理解を遥かに

超えて理解出来ない事は書かれていないから。又は知る必要の

無いことまで事細かに書いていない。

神の言葉の中心は、神に造られた人間がどう生きるか?が全ての

焦点、中心だからです。

 

その神の言葉=教えは、エデンの園から口頭でずっと伝えられてきた同じ教え、福音であり、それが文字、文書=契約書として

文字として初めて書き記されたのがモーセの五書=シナイ山で

与えられたトラーなのです。婚姻契約書を与えられ、神との

永遠の関係の中にある契りの印を祝ったのが”シャヴオート”

ペンテコステ!なのです。これクリスチャンの世界で

神の記念日三大都上りの祭りの一つと認識している人が

どの位いるのでしょうか?これは聖霊降臨節などと言う別の名前をクリスチャンが付けているので紛らわしく趣旨が分かりにくい

祭りになっているのです。

 

ウイリアム ミラーが失態した後、ミラーの思想を引き継ぐ人

が出てくるのです。

 

続く