大贖罪日に振り返る イザヤ58章と祈り | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

大贖罪日、イスラエルは政治家も、大統領も全ての人が国を上げて、自分の生き方をトラーに照らし合わせて振り返り、棚卸し、シュヴァー=神の教えに戻ろうとする事をするのです。

 

この断食とあるのは、もし人が神のトラー=神の言葉、教え通りを皆が生きたら、”虐げられる人、悲しむ人、貧しくて食べられない、洋服も着られない人”などいる訳ないからです。

”あなた方の中に貧しいものがいるのはなぜ?”と言う神からの

問いに皆が振り返り、生き方の軌道修正を考えるからです。

 

貧しい人がいるのは、人がこれは自分だけの富と富を独り占めし

分け与える事をしないからです。

高い税金、高利貸し、人から搾取する、様々なトラーに違反した生き方を人がする事で世界は、困窮、混乱するからです。

 

神のトラー=教え、インストラクションに違反して、好き勝手に生きる。神がレビ記11章で説明してある、神の禁じるもの=

人間の食べ物として造られていないものを食べたら=神のトラーに違反した生き方をしたら=”疫病”で死ぬと書かれていますが、それは本当に現代では科学的に証明されています。

 

人の食べ物として造られてはいない動物を人の中に取り入れると、自然環境に存在しなかったウイルスが体内で製造され、人の体から環境に排出されてしまうのです。動物と道ならぬ交わりをしても疫病ウイルスが出現するのです。だからそれら全てトラーに禁じられる項目として書かれています。

レビ記11章、18章。

人の生き方、衣食住含め全ての領域を網羅する教えを神が人に

伝えているのに、人がそれを無視しているから問題が

起こるのです。

異邦人、そしてユダヤ人も同じ事をして神に違反しているケース

がたくさんある危険な状態なのですが、異邦人は特に、

イスラエルの神の教え、言葉では無い、ただの人間、人が作った神学の教えの方を神の言葉を却下して信じる様に教えられているので、神の語る永遠不変の教えの意味、意図が見えないのです。

神の警告が神からの愛であると理解出来ない

危ないものを危ないと教えられているのに、正常な理解、

判断が完全に麻痺しているのです。

 

親が危ない!と子に教える事が厳しい律法でしょうか?

危ないものは危ないと教えるのが親の愛です。

子は分からない。神が世界を創造したから、人は神に教えられた

通りを聞いて、信じ、受け取り、咀嚼し、理解し、教えられた

通りをずれないで生きれば良いだけなのです。反抗心。

 

神の言葉を軽く取り扱い、神の注意、警告が終わり、不必要、

厳しいおきて程度、又は嘘だと思って違反し、自分の身に災いを招いているのです。

 

エジプトやカナン=異教の神々=サタンの習わしを取り入れては

ならないと神は厳重警告されています。異邦人の世界にはカナン人の習わし生活習慣と同じものが普通に浸透しているのです。

聖別の定義は、道徳的罪とはなんら関係の無い領域の教えなのです。だから神の定義する聖別の意味を知らなければ本当の聖別は分からないと書かれています。

イザヤ66:17

園に入るために身を清め、自分を聖別しその中にある一つのものに付き従い豚や忌まわしい獣やねずみの肉を食らう者は

ことごとく絶たれる、と主は言われる。

 

大贖罪日に、伝統的に”断食”をイスラエルではします。

”神の選ぶ断食とは”ともイザヤ書に書かれています。

断食しなくてはならないとは、神の仰せでは無いのですが。

 

人の最低限のニーズ、食べると言う事が出来ない、

それを体験するために、身を悩ましてとある通り、

断食と繋げて、断食するようになったので、神が断食しなさいと言ったのでは無いのです。身を悩ますとは、人の必要最低限が

与えられない状態を体験する事です。

食べる、飲むとはその一番の基本だからです。

考えればその他色々あります。安全に住まう場所が無い、困っていても誰も省みるものが居ない無関心。弱者に対する冷たい態度

無関心、色々な事があります。

 

貧しい人、悲しんでいる人、痛んでいる人がどうして自分の周りにはいるのか?それを自分がその人と同じ身になって、状況になって同じ体験をして考える。

だから、断食が一番分かりやすいだろうと断食するようになった

と言う事です。

そう言う状況を持つ人が周りにいるのは、トラー=神の教えを

捨てて、忘れて、ないがしろにして生きている結果ですよ!と

神が言っている、人に教えているのです。今日も。

最後の審判、ヨムキプルで表されているこの記念日は、最後は

神に造られた一人一人、異教徒、異邦人関わらず全ての人が神の前に立ち、申し開きをする事をクリスチャンは知っていると

思います。

やがて来る日=大贖罪日のリハーサルの記念日を毎年繰り返し

繰り返し、再臨を待つのがイエシュアに繋がる人の生き方でも

あるのです。

一番大きな問題は、”はじめの愛から離れた”と言う一言に凝縮

されているのです。神の言葉をどの部分でも捨てたら、人は神に何を教えられているのか分からなくなるからです。神は不必要な

言葉を人に伝えたのでしょうか?そんな訳ないです。

 

物理的な事だけではなく、人が人として神の意図通りにどうして

生きていないのか?まず自分を振り返る事から始まります。

自分を痛めつけて生きてませんか?人の一番大きな問題は、

自己を大事に出来ない、それゆえ他者も大事に出来ない、

壊れた関係の世界で、ズレて喘いで悲しみ、苦しみ、辛さを

体験している、それが一番の大きな問題なのです。

自分の中で解決しなければならない大きな1つの課題を毎年毎年

神は様々な状況の中で教え続けて、指摘して下さるのです。

それが命のサイクル=神の記念日=モアデイムを生きる生き方なのです。その中で様々な事を神が教えてくるからです。一人一人に特注のレッスンプランを神が備えているからです。

 

神の愛とは、トラーに書かれた”愛”なのです。これ以外の愛の

定義は無いのです。の愛が網羅される全てが、神の一つ一つの

教え。その教えを生きなければ、人は互いに破壊されるし、傷つくし、お互いをどの様に大事に守り、助け合いと言うその詳細が分からない訳です。不適切な違う助け方をしてしまうし、境界線を超えて不適切な対応や行動をして、逆に人を傷つけてしまうからです。

 

大贖罪日

イザヤ58章

1喉をからして叫べ、黙すな声をあげよ、角笛のように。

わたしの民に、その背きをヤコブの家に、その罪を告げよ。

 

2彼らが日々わたしを尋ね求めわたしの道を知ろうと望むように。恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として彼らがわたしの正しい裁きを尋ね神に近くあることを望むように。

 

3何故あなたはわたしたちの断食を顧みず苦行しても認めて

くださらなかったのか。見よ、断食の日にお前たちはしたい事をしお前たちのために労する人々を追い使う。

 

4見よお前たちは断食しながら争いといさかいを起こし

神に逆らって、こぶしを振るう。

お前たちが今しているような断食によってはお前たちの声が

天で聞かれることはない。

 

5そのようなものがわたしの選ぶ断食苦行の日であろうか。

葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと

それを、お前は断食と呼び主に喜ばれる日と呼ぶのか。

 

6わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。

 

7更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与えさまよう貧しい人を家に招き入れ裸の人に会えば衣を着せかけ

同胞に助けを惜しまないこと。

8そうすれば、あなたの光は曙のように射し出であなたの傷は

速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し主の栄光があなたのしんがりを守る。

 

9あなたが呼べば主は答えあなたが叫べば

「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら

 

10飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たすならあなたの光は、闇の中に輝き出であなたを包む闇は、真昼のようになる。

 

11主は常にあなたを導き焼けつく地であなたの渇きをいやし

骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。

 

12人々はあなたの古い廃虚を築き直しあなたは代々の礎を据え直す。人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び

「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。

 

13安息日に歩き回ることをやめわたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ安息日を喜びの日と呼び主の聖日を尊ぶべき日と呼びこれを尊び、旅をするのをやめしたいことをし続けず、

取り引きを慎むなら

 

14そのとき、あなたは主を喜びとする。わたしはあなたに地の聖なる高台を支配させ父祖ヤコブの嗣業を享受させる。

主の口がこう宣言される。

 

 

ユダヤ人の間で伝統的に大贖罪日に祈られる祈り

”この罪のために”

 

強いられて、又は意図的にあなたの前に罪をおかしました。

あなたの前に心頑なにして罪をおかしました。

あなたの前に不注意に罪をおかしました。

 

そして口が語る言葉であなたの前に罪をおかしました。

 

不道徳的な罪をあなたの前におかしました。

 

そして公に、又は密かにあなたの前に罪をおかしました。

 

知識において、又は虚偽であなたの前に罪をおかしました。

 

語る言葉であなたの前に罪をおかしました。

 

友人、同胞に対して嘘を言ってあなたの前に罪をおかしました。

 

不適切な思考、考えであなたの前に罪をおかしました。

 

卑猥な発言、集まりであなたの前に罪をおかしました。

 

そして、誠意の無い、不親切な告白であなたの前に罪をおかし

ました。

 

教師や親に対して不遜な態度をしてあなたの前に罪をおかし

ました。

 

意図的に又は無意識にあなたの前に罪をおかしました。

弾圧、威圧を使ってあなたの前に罪をおかしました。

 

神の名を冒涜してあなたの前に罪をおかしました。

 

不純な発言であなたの前に罪をおかしました。

 

愚かしい話をしてあなたの前に罪をおかしました。

 

悪に傾倒する事であなたの前に罪をおかしました。

 

知っていた、又は知らないままあなたの前に罪をおかしました。

それらに対して神の許し、私達を許し、贖って下さい。

 

偽りの否定や嘘であなたの前に罪をおかしました。

 

賄賂を受け取ったり、賄賂を渡してあなたの前に罪を

おかしました。

 

人を嘲笑い、バカにしてあなたの前に罪をおかしました。

 

他者に対して悪意ある事をして、あなたの前に罪をおかしました。

ビジネスや商売のやり取りの中で、あなたの前に罪をおかしました。

食べたり、飲んだりする事の中で、あなたの前に罪をおかしました。

 

貸し借りの中で、不正な利息を取ってあなたの前に罪をおかしました。

高慢な態度であなたの前に罪をおかしました。

くだらない話を口にしてあなたの前に罪をおかしました。

 

見てはならないものを見て、あなたの前に罪をおかしました。

高慢な面持ちであなたの前に罪をおかしました。

 

厚かましく、生意気さであなたの前に罪をおかしました。

 

これら全ての罪に対して、神の許し、私達を容赦し、許し、

贖って下さい。

 

 

天の責任を放棄し、あなたの前に罪をおかしました。

人を厳しく裁いて、あなたの前に罪をおかしました。

 

仲間に陰謀を企んで、あなたの前に罪をおかしました。

妬みの目で、あなたの前に罪をおかしました。

 

軽はずみで、あなたの前に罪をおかしました。

 

頑なさで、あなたの前に罪をおかしました。

 

悪の行いに走り、あなたの前に罪をおかしました。

噂話を流して、あなたの前に罪をおかしました。

虚しい誓いをして、あなたの前に罪をおかしました。

 

憎しみを招くような事をして、あなたの前に罪をおかしました。

使い込みをして、あなたの前に罪をおかしました。

 

混乱した気持ちで、あなたの前に罪をおかしました。

 

これら全ての罪に対して、神の許し、私達を容赦し、

許し、贖って下さい。