預言者の役割は神の婚姻契約の生き方に引き戻す事 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

もしも、初めから、聖書に書いてあるその通りに、神の意図通りに、神の純粋な言葉だけを教えられていたら。

今現在の様な宗教の教えなどは、私は初めから信じない、聖書では無いと認識出来たはずだと思います。

 

初めからオリジナルのヘブライ語原典聖書、トラーに書かれた

神の言葉を教えられていたら。。。。

 

いや、イスラエルでさえも、トラーを教えられていたのに、

混ぜ物の教え=高き所=偶像の神々の礼拝場所で、自分達の

イスラエルの神を礼拝していた歴史があります。

その事に関してそれが別に悪い事だとは考えていなかった。

そんな事夢にもつゆほどにも考えなかった。思いもしなかった、

純粋に自分達の考えで、以前のやり方、馴染みのあるもので

イスラエルの神を礼拝していた。しかもある時は1000年以上も高き所=異教の神々の要素、シンボルとの混ぜ物の礼拝が

取り除かれないまま。

 

現代でも、様々に混ぜ物の教えを取り入れているユダヤ人達も

いますから、イスラエル〜トラーを教育されているから、

ズレないとも言えないのです。

日々、神の言葉に応答して注意して生きるか、生き無いかだけが全ての鍵です。自己点検無し状態か、それは個人個人、人の選択によるものです。自動的では無い。人の意思で神の道=トラー=神の教えを生きるか生きないかを選択する。

 

神の言葉、仰せ、忠告にもある様に、右にも左にも逸れては

成ら無い。あなたは命を選びなさいと神が教えてくれる事に

注意を払うか払わないか。

 

箴言3:18

 知恵は、これを捕える者には命の木である、これをしっかり

捕える人はさいわいである。

 

古代ヘブライ人が読んで分かる意味で書かれています。

命の木=トラー トラーの巻物には2本の木が付いていて

それをしっかり握る=神の言葉、教えからズレず、離れ無い

しっかり神の言葉を握り生きるものは幸いと書いてあるのです。

 

命を選ぶ、選択する第一条件は、神の教えが何か、神の言葉が

何を語っているのか、その内容ををまず正しく知り、把握しないとならないのは、当然の最低条件です。新しいパソコンが目の前にあれば、そのマニュアルの詳細全てを知ったら、活用範囲が

ダントツに広がるのと同じです。神に何を言われ、教えられて

いるのか、分かれば、生きることの実際の練習、実施に繋げて

行けるからです。

 

神の言葉が何を教えているのかよく分からない場合、実際の

生活の中で何をどう生きたら良いのかのナビ、GPSが無いと

言う事なのです。これが異邦人の問題の根です。

預言者のヘブライ語はナヴィ。ナヴィーム。

トラー=的に当たる軌道修正=道=に導く人達、ナヴィーム。

カーナビがありますね。このナヴィアの語源から来ているのです。ナヴィを捨てると言うことは本当に問題招くでしょう。

どこに居るのか、どこに向かっているのか分からない。

道=イエシュアから飛び出て迷い出る!人生を生きる道案内=

神の言葉なのです。

 

ナビの語源の中に、ボーと言う言葉、”来る”と言うルート文字が

入っています。どんな危険が迫って来ているのか、見ると言う

意味です。

そして、預言者をもう一つの言葉、”見る”と言う呼び方をします。ラエ=神のビジョンの中で見る、ホゼ=見る者。

詰まり、トラー=婚姻契約からズレて生きている人達の様子を

見て、現状を察知し、ズレて生きている人達への警告を神から

預かった言葉を伝え、元の道=ハ デレッフ=トラー=婚姻契約の生き方に戻る警告をする人が預言者の役割なのです。

 

トラーからズレて生きたら、何が”来る”のか、預言したのが

預言書、預言者の神からの言葉なのです。

イスラエルに起きた事、警告は異邦人にも然り!なのです。

同じ警告なのです。同じ神に造られた同じエッセンスの人間だからです。イスラエルがまず代表で神から神の言葉、生き方を教えられ、世界の大家族=全民族=兄弟姉妹に伝える役割が、

イスラエルの立場だからです。

 

2000年前に神の言葉の土台、柱、中心=面倒な教えを

イエスが壊しに来たと言う、人の作り話を信じるから、

神の語られる警告、真理が見えなくなっているのです。

 

聖書の事実に基づくだけでも、トラーを生きると言う事が

神の意図であり、安全圏の中に保たれる必須条件、状態であると言う事がヘブライ語で表す言葉の意味でも理解出来るのです。

 

2000年前に救い主が来られたら、神の教えは終わりではなく、あの時から今度は全世界に向けてトラー=神の婚姻契約の

生き方が紹介される幕開けとなったのです。それまでは、

一部の地域に居る異邦人だけでしたが。

 

福音を世界へ伝えた中心は、ユダヤ人です。聖書を書き記した

のもユダヤ人です。ヘブライの書=神の言葉、教え=トラーを

幼い頃から代々学んで来た家系。祭司の家系も、ユダヤ人の

民族の中だけに存在します。神のユダヤ人に対する選びとは、

神のトラーを保存し、地の塩、世の光として、神の言葉の実態を生きて全世界へ同じ祝福を分け与えるためと書かれている

通りだからです。

 

申命記4:6 あなたがたは、これ=トラーを守って行わなければ

ならない。これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。<なぜ世界の民族はそう言うのか?理由は以下>

4:7 われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。

4:8 また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべてのトラーのような正しい定めと、

おきてとがあるであろうか。

<神の教え=トラーを生きる人達は、なんと神の知恵は深く、

愛に満ちて居る事だろうか。その教えを与えたイスラエルの神は素晴らしい神である、本物の創造主である事に世界中が気が付くためです。>

 

神のみ言葉=トラーはエルサレムから出て、世界へ伝達される

からです。使徒2章の出来事もそれです。

み言葉=トラーはシオンから出て、全世界を駆け巡り、世界の

四隅の異邦人達をもイスラエルの神の国、生き方に引き寄せ、

取り戻し、イエシュアが再びエルサレムに来られる準備期間

なのです。

 

人は、神の言葉=教えから逸れたら、どこまでもずれる可能性があるものなのです。あれほど神に近い関係で、神の神殿も建て、

神の知恵に満ちていたソロモン王の人生の結末がその良い例

であり、警告として書かれています。

神の言葉からズレて、他の神々の教え、人の教えに染まったら、神との親しい関係から飛び出て、別物に変身してしまうと言う

警告です。イスラエルの捕囚もそれが原因なのです。

 

イスラエルが約束の地に入る前に、申命記で契約の再更新がされています。中身は同じトラーです。再確認させられています。

 

そして、イスラエルがやがて約束の地で豊かになったら、

神を忘れて他の神々の教えに染まって行くと言う警告がちゃんと書かれています。

奴隷の国から出エジプトし贖い出され、紅海が割れる奇跡、救いを体験し、荒野で40年、神だけに養われ、天から降るマナや、岩から出る水、そしてサンダルも擦り切れず、病気にも成らず、毎日神の臨在を目で見、神の声まで聞く様な奇跡を体験したにも関わらず、別の神の教えを取り入れ混ぜ物をして、神の教えを

遮ったイスラエル。

 

異邦人も同じズレを繰り返しているのです。

神の教えを捨てて、神の言葉に戻り生きる事を忘れれば。

 

申命記3

31:27 わたしはあなたのそむくことと、かたくななこととを

知っている。きょう、わたしが生きながらえて、あなたがたと

一緒にいる間ですら、あなたがたは主にそむいた。ましてわたしが死んだあとはどんなであろう。

31:28 あなたがたの部族のすべての長老たちと、つかさたちを

わたしのもとに集めなさい。わたしはこれらの言葉を彼らに語り聞かせ、天と地とを呼んで彼らにむかってあかしさせよう。

31:29 わたしは知っている。わたしが死んだのち、あなたがたは必ず悪い事をして、わたしが命じた道を離れる。そして後の日に災があなたがたに臨むであろう。これは主の悪と見られることを行い、あなたがたのすることをもって主を怒らせるからである」。

 

 

続く