パウロの関して 聖書に関してどう誤解を解いたら真相が見えるのか | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

アメリカで、もしユダヤ人が”ジーザス”=救い主を信じたとなれば、周りのアメリカ人クリチャンからは、こう言われます。

 

”今までの生き方と決別し、カクカクしかじか、新しい教えを

生きるのだよ。”とか、”もう現在はモーセの五書はキャンセル、終了されたのだから、ジーザス信じるなら、ユダヤ人的な事全部辞めないとならない、ユダヤ人やめなよ。”など。?ジーザスはユダ族のユダヤ人なんですけどね。

これは、パウロの書いた書簡をそっくりそのまま誤解して読んで

いる結果の思考回路でしょう。

 

この厳しいヴァージョンがローマ帝国がやって来た、

ローマ新宗教の教えに改宗しないユダヤ人又は異邦人を処刑した事などです。

 

ルターも主張しやった、新しい教え=彼らの考える所の教えに

改宗しないユダヤ人は、トラーを捨てないユダヤ人は、殺されるのが神の御心、だから消えよ!と言うものです。これは1世紀

以降形を変え、別々の異邦人達によりずっと行われて来た事です。現代でもあるでしょう。

反トラー、反ユダヤ、反イスラエル、反イスラエルの神思想。

気が付いて居ないのは、反トラーとは、反イエシュア=反イスラエルの神を知らない間に主張し、やっている事なのです。

なぜ神を愛すると言いながら、神の言葉=教えに敵対しているの?と考えれば、見えるでしょう。

 

その繋がりがホロコーストと言う実際のユダヤ人全殺戮作戦を

やった事です。エステル記のハマンの策略と同じ事を、

ヒットラーがやってしまったのです。

彼らユダヤ人信者が抵抗していたのは、イエシュアに対すると

言う事ではなく、神に永遠にガードして生きよ!と言われた、

父の言葉=トラー=婚姻契約=神の教えを捨てて、人が作った

2種の種の混ぜ物=別の教えを生きることに対しての抵抗だったと言うのが一番の理由なのです。

 

ホロコーストで殺害されたユダヤ人の中でも多くのイエシュア

信者達が居たのです。その人達は、もちろん神の言葉=教え=

トラー=聖書に書かれたイエシュア達と同じライフスタイル、

衣食住、そして神の記念日を生きて居た人達が居るのです。

 

パウロの書簡で、トラーが終わりとなった証拠が書かれている

のだと言う人の教えを信じていたら、その教えを信仰の土台にして、パウロの書簡を全くもって誤解して読み続けてしまいます。

 

パウロが書簡に書いた諸外国に住むイエシュア信者達への、

トラーからの知恵、実際のトラーに基づいた生き方、トラーの

生活、生き方の中での適用が書いてあるのに、その本当の内容が読み取れなくなってしまっているのです。トラーを否定した教えが書いてあると疑いもなく信じているのでは無いでしょうか?

 

前回の記事に書いた、コロサイ2:16ー17の様に、

パウロが神の記念日や神が指定する人間の食べ物、飲み物に

反する教えをする訳が無いと言う基本的な事実が見えないままになっているのです。全ては、トラーが廃れた、廃止された、

終わりと言う人が考えた教えを土台にしているから、神の語る

言葉の意味=真相が闇の中に葬られてしまっているのです。

 

コロサイの2:16ー17、祭りを祝うとか祝わないとか、

神の指定した食べ物が終わりなんて誰も微塵にも考えていない、

話してもいないのです。トラーを生きるのは100%当然の意識の世界の人達へパウロが語っているのです。この箇所の論点は

主に、イエシュアの実態を表す、シャバットや、新月、記念日、そして”食べ物”に関して。祭りで言えば、こう言うやり方で、

かくかくしかじかでなければならないとか、食べ物だったら、誰々ラビが認定したものではなければダメだとか、人間の教えを挟んだら、本末転倒になって、祭りや、食べ物を通して教えられている意味がそっちのけになってしまうと言う事をパウロが

諭しているのです。

本質=イエシュアの実態を理解して生きる=祭りや食べ物を通して、それが何より大事なので、それが重要!と話しているのでしょう。

 

考えれば分かりますが、聖書に書かれている登場人物や、

諸外国でのイエシュア信者は100%トラーを生きていて、

パウロがトラーを廃止した新しい教えを解いてるなんて事を

考えている人は誰一人居ないのです。神=言葉=永遠不変。

同じ福音、同じ教え=トラーを聞いて、考えているのです。

 

ローマ教、ローマ皇帝がこのトラーを4世紀に正式に廃止しますと決めた事実、ユダヤ的なもの全部廃止した事、神ではなく、

コンスタンチヌス皇帝と言う異邦人人間が終わり!と勝手に決めただけなのです。

そして、人間の会議=ニカイヤ会議で神の言葉を査定、仕分けしたからと言う事実を認めたら、神が神の言葉を変えたのでは

ない、人間が神の言葉が変わった終わったのだと勝手に主張して

いるだけである事、聖書だけに戻り、又誰が神の言葉に手をつけて変形したのか歴史を学べば一目瞭然に見えて来ます。

現在もカトリックの教典=質疑応答の中に、神の言葉や記念日

安息日を変えたのは、神では無くて、カトリック教です

ちゃんと記されています。読んで見ればいいのです。

聖書の事実だけに基づいて、考えない限り、ずっと2種の種が

混ざり続け、小麦か大麦なのか見分け、仕分けられなくなります。

 

パウロが書いた内容を理解するにはパウロの背景、パウロと言う人物を知ると、パウロの書いた書簡の内容が見える大きな理解の助け、手がかりになります。

 

古代ヘブライの聖書の世界を知るためには、欠落している

たくさんの情報を得る、知る必要があるのです。聖書に書かれた言語の意味やその当時の言い回しや、スラングや慣用句、当時の

世界での仕来りや、習慣何より、異邦人は、”神の言葉”が何か?と言う意識や、コンセプトが完全に無い、抜けているので、本気で、歴史の途中で神が神の口から発言した教え=言葉を曲げる、変える、変更すると疑いなく信じられるのです。

 

これは、先祖代々染み付いたもの=異教の神々の国に生きて来た

異邦人であるから見えない点なのです。神がイスラエルと言う

民族を先ず全世界の代表として選び出さなければならなかった

理由が益々見える点でもあります。

 

お家元に、神の言葉を託し、神の言葉を忠実に一点一画違えずに記し、人の生き方を伝え、教え、祭りを生きて教える役割、

ミッションを与えた事が書かれています。

 

どの世界に於いても、その分野に代々熟知し、学び、探究を続け継承人達には、素人では分からない世界を受け継ぎ、人に伝授

する事が出来るものが深く植えられているのは、否めない事実です。これは、ぼやけていた事実ですが、気が付けば、ユダヤ人

ラビ達や世界に散るユダヤ人の多くの人達が、ヘブライ語聖書を学び、自由に読むことが出来、何が書かれているのか深く知っている、その内容の深さ、知恵に触れて驚愕するのです。

パウロがその代表例でもあるのです。

100歩譲っても異邦人でこの様に聖書を知り、神の言葉を生きて、教える人達は居ない。。。西洋ローマ宗教の人造神学に熟知していて、その神学の教えの世界は教える学者は多くいますが。

 

12弟子は皆ユダヤ人です。福音はユダヤ人から異邦人へ伝えられたのです。異邦人が別の教えを信じる様に置換されたのではなく、異邦人もユダヤ人と同じ契約=トラーに生きる事に加えられた、同じイスラエルの羊の囲いに入れられた、同じ木=イスラエルの神に接ぎ木されたと聖書にはっきり書いてあります。聖書に書いてある事実だけを土台にすれば必ず真実は見える。

 

それを異邦人の作り出した教えで、聖書には書かれていない

別の教えにすり替えられ、異邦人が新しい別の契約の代表者に

なったと言う人間の教えが造られて、聖書の真実が人の教えで

塗り替えられて、そのカウンターフィットの教えを土台に、

部分的カウンターフィットの信仰が生まれたのです。

又は、2種別の福音、教えがあると言うこれまた19世紀出現の

異邦人が編み出した教えを信じている。

 

パウロはタルシスに生まれたとあります。今のトルコです。

海沿いの街で貿易も盛んな場所でした。国際的都市です。

パウロは、ユダヤ人ですから、デイアスポラ=諸外国に住む

ユダヤ人として生まれたわけです。

 

パウロのヘブライ語の名前は、シャウールです。

ベニヤミン族で、サウル=シャウール王と同じ名前です。

同じ同族なので、同じ名前を付けられたのかもしれませんね。

生まれながらに、ローマ帝国の市民権を獲得し、そして

エルサレムでパウロは、当時最高峰の教授陣からトラーの教育を受け、育ったわけです。パリサイ派の教えです。

イエシュアもパリサイ派の教えを教えられ、引き継いでいるのです。信じられないかもしれませんが。

 

続く