ダビデもソロモンでさえも別種の種=別の神々の要素を混ぜる事をしていた | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

第二サムエル記5:20 にある翻訳で気がつくことがあります。

<それゆえにその所の名はバアル・ペラジムと呼ばれている。

と言う箇所を日本語で読むと、もともと”バアル ペラジムと言う名前であったのかと思いますが、ヘブライ語では、

彼<ダビデ>がその場所をバアル ペラジムと呼んだと書いて

あるのです。ダビデがその場所を名付けた事がヘブライ語では

明らかに分かります。

 

 

申命記12:2 あなたがたの追い払う国々の民が、その神々に仕えた所は、高い山にあるものも、丘にあるものも、青木の下にあるものも、ことごとくこわし、

12:3 その祭壇をこぼち、柱=マシェボタム=バアルを砕き、

アシラ像<英語の翻訳では木で作った偶像、イメージと翻訳>

を火で焼き、また刻んだ神々の像を切り倒して、その名をその所から消し去らなければならない。

 

少々スローダウンして、ゆっくり考えてみると見えてきます。

 

12年前、初めてヘブライ語の聖書の中身を知る事に出会い

それ以前は、私の中では聖書に関して何をどう考えて、捉えていたのか、今ははっきりします。狭い範囲だけを教えられ、

救われたそれから先は何なのか?と言う詳細が教えられない、

全然見えない。強調されるのは、”誰かに伝える”と言うことが

中心だと思います。

 

少しずつ原典聖書を、ヘブライ思索で、そして古代の世界の様々な情報、ヘブライの聖書の世界の中身を学んで行くうちに、

人の作った教えが、神の言葉を知る上で邪魔になる、その鱗が

どう言う過程を経て剥がれて行ったのか。

 

一度にはいっぺんには気が付けない。時間がかかる。でも真実の点と点だけをずっと繋げて行けば、どんどんどんどん気がつく。

神の言葉の真相が偽物の教えを突き破り、目の前に浮かび上がるからです。

 

聖書では無い教えが、聖書だと本当に勘違い、誤解していた事は

オリジナルを知れば明らかに分かる事実を発見した事。

余りにも、世界全体に長い年月、伝統で流通するとそれが本当だと思ってしまう。2000年もの間そう言われたら、それが

真実かも?と思う。でもそれは聖書の真実ではなければ、

只の都市伝説、人の作った聖書とは違う教えなのです。

 

今でも鱗は剥がれ続けています。それほど、長い年月考え続けた教え、思考回路が影響すると言う事なのです。

ある時点までは本当にはっきり気がつか無い数々があるのです。なぜなら、殆どの人は異教の神々の地で生きて、ユダヤ人の様な幼い頃からトラーに根付き教えられたと言う環境の人など居ないからです。

 

パウロに関して、又書いてみたいですが、パウロの生い立ちや

トラーをどの様な学者に手ほどきされたのか分かると、

その違い、凄さ、どうしてパウロがトラーを世界へ伝える使徒として選ばれたのか本当に納得行きます。トラーを知らない人が

世界へ神の言葉を伝えることは出来ないのは明らかだからです。

 

パウロはトラーを否定して、新宗教を作ったのだなどと言う教えを異邦人が作るのは、トラーを、パウロの様な人が

どんな人物なのか知らないから作れる教えなのです。

神の言葉が何かを知らない異邦人が言う教えなのです。

 

初めから聖書を誤解した場所から読んでいるのです。

キリスト教と言うものは実は聖書には存在し無い、書いてない

教えです。キリスト教の前身は、ローマカトリック教です。

4世紀にローマ皇帝が作った新興宗教だからです。

聖書はヘブライの世界なのに、なぜローマに変身したのか

見えるでしょう。ヘブライ色=パウロ達が教えていたトラーの

生き方、ライフスタイル、記念日をごっそり強制的に捨てさせ、別物に造り替えたから、ヘブライでは無く、西洋色なのです。

事実の点と点だけを繋げて行けば、謎が解けて、真実が見えて

きます。

 

1世紀当時のイエシュア信者は、諸外国でも丸ごとトラー

100%の教えを教えられ、生きていることが聖書に書かれていても、それが目の前に書いてあっても全く気が付かない、見えないのでは無いでしょうか?

 

パウロがキリスト教を作ったと考えている人は多いと思います。

キリスト昇天後、キリスト教と言う、トラーを捨てた新しい教えが出来たと私も教えられましたが、それは聖書に書いてある真実とは全く異なるのです。一つ一つ聖書から取り出して、情報を

確かめれば明らかになる事実なのです。

 

神の言葉、教え=トラー=婚姻契約は宗教では無いのです。

天国でこの場所はパプテストあそこはカトリック、あそこの

グループは正統派ユダヤ教、あそこはペンテコステ、ここは

男性、あそこは女性、ここは何の国の人、あそこは、ルーテル、

福音派なんて別々のグループに分かれていると思いますか?

 

そんなのある訳ないです。しかも、それぞれのグループで

別々の教え、別々の日に神の記念日を祝う様な事をすると

信じていますか?預言書にはっきり書いてあります。

イエシュアが戻られたら、全世界がトラーを生きると。

全世界が神の記念日を祝う日が来ると。

 

皆単に神の教え=トラー=婚姻契約の中に結ばれた家族と

書いてあるだけです。エレミヤ31章はそれでしょう。

 

人の教えや神学や教理、神の言葉とは異なるものが何も無い

単純に神に呼び出され、神の子として本来の姿=神の言葉

教えを生きる人たちの事を、カハール=神の家族と呼ぶのです。

 

これはヘブライ語の聖書を同じような学び方=人造神学、宗教の教えや人の作った教えや、伝統で支持されている聖書では無い

教えを全部切り捨てて、直接聖書の中身、本当の意味だけを繋げて学ぶと言うことをした人達は皆同じ事、同じ道筋を辿り同じ事に同意するのです。そしてしばらく混乱する。なんで?どうして

みんながやっている、長年やっているのに?神が認めているの?

その答えは聖書にちゃんと書いてあります。神の長い鼻。

気がつくまで、忍耐して待っているのでしょう。

 

そしていつも思うのは、創世記からマラキまで、古い教えと

本気で信じれば、そんな箇所、丁寧に読もう、学ぼうなんて意味も動機も消えるであろうと。そして、その箇所に書かれた事こそ

福音書以降に書かれている事を深く理解する大きな手がかり

大元の情報なのに、それは終わり、廃れた、廃止と言われたら、

そこに書いてある警告が、福音書以降に書かれている同じ警告でその意味、中身を何を指して話されているのか、イエシュアの

教えも、意味がはっきり見えないまま、なんとな〜く理解していると思っているだけでした。

 

だから、創世記からマラキを初めから終わりまで詳しく教える

異邦人がほとんど居ない、読まないのだと思います。

 

神の警告はそんな複雑では無いです。シンプル。

神の言葉をガードして生きよ。命の木からだけ、知識の木から

食べてはダメと要約された言葉で警告が凝縮されています。

それなのに、神の言葉を捨てよと言う人間の教えで、神の警告の詳細が何であるのか、トラー、預言書、諸書の中身を知らなければ、それこそ何が神の警告なのか全然分からない、響かない、

今は関係ない教え、警告と考えるのです。

 

生まれつき異教の神々の国に先祖代々生きてきて染み付いている

ライフスタイル、混ぜ物の教えの中に生きているからです。

 

だから、何がイスラエルの神の警告する混ぜ物=種をミックスしているのか純粋に気が付けないのです。

もともとの生活習慣、ライフスタイルそのものが混ぜ物の種の

土台、地=頭脳に根付いているからです。

 

しかも、ユダヤ人、イスラエル、ダビデやソロモンや、その他

イスラエルの殆どの王達が辿った道は混ぜ物=種=異教の神々の教えとミックスしていた事がずっと書かれています。

 

ダビデが自分の子供にバアルの名を付けたり、神が奇跡で

勝利をもたらしてくださった場所にどうして異教の神の名

持ってくるの?て思いますけど、現代も同じズレを繰り返しても

気が付かない場合は気が付けないのです。

聖書だけに照らし合わせて考えて行くと、様々な事実が見えて

きます。神の言葉が現代は異邦人には関係ない、終わりと考える

思想を信じてどっぷり浸ると、本当に何も見えなくなります。

何が神の警告なのか耳に、頭脳に全く意味ない教えとして

響かないからです。

 

イスラエルでさえ、今も木の周りに勝手な供えものなどしている

人達がいます。

 

木や像、柱、塔は、アシェラ、バアルと密接に繋がっています。

 

高き所とは、偶像の神々の祭壇。その場所に自分たちのイスラエルの神のものを持ち込んで一緒に混ぜて礼拝しているのです。

これ、気が付けばどんどん気が付いて行きます。

そして、異教の国の生活の中に、本当に神の忌み嫌うもの、

これは”神に造られた人達がするライフスタイルではない”と

言われても、日常が普通に異教の神々の教え、ライフスタイルに浸っている周りの人達と生きているので、違和感無い、全くピンと来ないのです。

これは又別のトピックなので今は横に置いておきます。

 

続く