イスラエルが辿った何千年の異教の神々との霊的ミックス | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

創世記の冒頭に書かれている様に神は、”エロヒーム”と言う

ジェネリック名で始めはご自身を紹介しています。

読み進めていけば、これは”異教の神々”エル、エロヒームとは

違う性質の神であると言うのがどんどん明らかになって来る

書き方がされているのです。

 

”いと高き神”と言う翻訳がありますが、”エル エリヨン”

この言葉は、古代中東、異教の神々にも使われている言葉なのです。でもイスラエルの神は、神々の中の本物の神。

 

そして、”主”とありますね。日本語でも主人。主人と言うと

ご主人=旦那さん=夫を表す言葉でもあります。

聖書でも同じ意味です。

主人=マスター=アドン=アドナイ=イスラエルの神、

主を指して表される言葉でもあります。

 

古代のカナン人の神=バアール=主人=アドナイでもあります。

 

ホセア2:16 主は言われる、その日には、あなたはわたしを

『わが夫』と呼び、もはや『わがバアル』とは呼ばない。

2:17 わたしはもろもろのバアルの名<バアルは複数の神々で

色々居るなので複数形>を彼女の口から取り除き、重ねて

その名をとなえることのないようにする。

 

わが夫=イシイ<イスラエルの神> わが夫=バアル=バアリイ。<異教の神>

 

イスラエルの神と人との関係は、全部”婚姻関係”の中に結ばれているので、婚姻契約用語で聖書がずっと書かれているのです。

だから、夫=主人=イシイと書いてあるのです。

そして、この箇所でも分かる様に、霊的に種を混ぜる=異教の神とイスラエルの神を混ぜている事が書かれています。

 

イスラエルの歴史でずっと”ミックス、混合 種=異教の神々の教えと、イスラエルの神の教えを”混ぜ続けた罪が書かれています。

100年、200年では無い、ある時は1000年以上も。

そうすると、歴史の中で長い伝統で人々が信奉、継承する混ぜ物の教えは、神が認めて居るからでは無い、イスラエルの神の教えでは無い事を、神が忍耐して”シュヴァ”戻る=神の契約の生き方に戻る=悔い改めを待っている事書かれているのです。

神の忍耐は人の想像を超えるものです。

 

ずれてもいきなり、こら〜!が〜ん!とはやらない。ずっと警告し続ける、し続ける、し続ける。

そして、時満ちて”はい!これまで!”と言われるのでしょう。

出エジプトで神がご自身を紹介している言葉でも表されています。

 

出エジプト34:6主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、

まこととの豊かなる神、

 

西洋神学の教えでは、旧約の神は怒りの神、呪いの神、新約の神は恵の神、愛の神と言いますが、その教え聖書に照らし合わせると嘘だと分かります。あわれみ、恵、怒る事に遅く、慈しみとまことに豊かな神とちゃんと最初から、人が旧約の怒りの神と

言われる箇所で翻訳でもはっきり神の性質が書いてあるのに、

どうして神がご自身の事を神自ら直接紹介、説明している言葉を無視して、人の教えを信じるの?て事なのです。

 

聖書とは異なる教え=それが別の種を混ぜてはだめ!と言う教訓でもあるのです。自分で考える。考える。神の言葉=聖書だけに照らし合わせて考える。

 

聖書が一つに繋がって見えない、旧新と別々の神像、別々の言葉、約束が書いてあると考える、思うのは、オリジナル聖書を、

ヘブライ思索で書いてある通りを読まない、学ばないから、

それが本当の原因です。似て非なるもの、2つの別の種=神の教えと人の教えを混ぜたら、真実と嘘が融合、シンクロして何が

本当か見分けが付かなくなってしまうと言う教え、教訓そのものです。

 

もし人の教え=神学を挟まずに初めから聖書に書いてある通りの意味通りに教えられれば、誰でも聖書が1つである事が見えるのです。人の教えの種をミックス、混合するから、聖書のコンセプトとは別の思想が生まれてしまうのです。

聖書に書いてある通りに神の言葉を知れば、聖書のどの箇所も

全部不協和音なしに、共鳴し合うのです。

 

”怒ること遅く”と言う翻訳の裏にあるヘブライ語の言葉は、

”אֶרֶךְ אַפַּיִם” エレッフ=長い アパイム=鼻。

鼻が長い=怒ると鼻は赤くなる、その赤さが鼻の先端に達する

まで大分長い時間が経たないと達しないと言う意味です。

 

イスラエルの遺跡を見ると、ある場所には、バアルとイスラエルの神、両方混ぜたものが造られていた事を見ます。

ミックス、混ぜ物。イスラエルの神、イエホヴァの名と、バアル

イシュタール、アシェラの名をセットに組み合わせて同時に

拝む。

アシェラ=イシュタール=イースター=国により世界ではこの

アシェラを様々な呼び名で呼ばれますが、それは”バアル”の神の妻=又母なのです。イスラエルの神と異教の神々、女神の名の

両方の名を繋げて同時に拝む。なんで?と思います。

思うでしょう。皆同じ過ちを繰り返していて、気が付いていない

だけなのです。聖書に照らし合わせてちゃんと考えていけば、

何がミックス=混ぜ物なのかはっきり見えてきます。

 

同じことを歴史の中で皆繰り返しているのです。

自分の考え、自分の目に良かれと思う事、異教の神々の物を取り入れるても、気が付かない。神の言葉を塗り替えて、自分発想、伝統の混ぜ物の教えを継承し続け、生き続ける。

何故?神の言葉が終わった、破棄された、そんな教えを土台にしたら、同じ罪は楽に簡単に繰り返す事が出来るでしょう。

何が神の語る”荒らす忌むべきもの”の内容か、トラーを知らなければ分からないからです。神が伝える教え、知恵、絶対的基準を人間の教えが消したからです。無法。トラーレス。

 

エレミヤ11:13 

ユダよ、あなたの神々は、あなたの町の数ほど多くなった。
またあなたがたはエルサレムのちまたの数ほどの祭壇を恥ずべき者<ボシェット>のために立てた。すなわち<バアル>に香をたくための祭壇である。恥ずべき者 イシ=人 ボシェット=恥。
 
聖書で”恥”と書いてある言葉、バアルと発音が似ている事に
気がつくでしょう。この二つはワンセット。
ボシェット=バアル。恥ずべき事=異教の神々、混ぜももの
の教えを、高き所=自分の考えで作った場所=神のものとは
違うものを礼拝する事となぞられているのです。
それが”恥”。そんな事、イスラエルの神に属する人達、
神の婚姻契約の中に入れられている人達がするべき事では
ないからと言う意味だからです。

 

第二サムエル2:10

サウルの子イシボセテはイスラエルの王となった時、四十歳で
あって、二年の間、世を治めたが、ユダの家はダビデに従った。

 

イシ=男 ボシェテ=恥。この子の本当の名は、エシ バアル

第一歴代誌 8:33 
ネルはキシを生み、キシはサウルを生み、サウルはヨナタン、
マルキシュア、アビナダブ、エシバアルを生んだ。
 
第二サムエル2:10で書かれているサウルの子の名前、
”イシボセテ”=イシ=男 ボセテ=恥じ=ヘブライ語ですが、
子供をバアルの男などと呼ぶなんて、恥!と言う意味です。
第二サムエル2では、こんな”恥”の名=バアル神の子などと
言う本名で呼ぶのが憚られたので、”イシボセテ”=恥の子と
書いてあるのです。
本当の名前第一歴代誌8:33の名前です。
”エシ バアル”=イシ=男 バアル=バアル神
歴代史が書かれる時代は、タナック=トラー、預言書、諸書の
終わりの方の時代なので、イスラエルはバアル信仰をしていな
かったので、それほど、バアルの名を書くことは、それほど
脅威的では無いので、第一歴代誌では、本当の名前で記述されているのです。
 
偶像、異教の神々に交わる事=恥と書かれています。
 

 

 

続く