全人類歴史始まって以来初めて、健康な人がロックダウンされて
います。
日本は法律が無いので、多少違いますが、ヨーロッパや他の場所など、子供は家から出られないとか、多少緩和されていますが何時以降は外出禁止などなど厳しい掟の下に強制的に置かれています。国や場所によって多少ありますが、仕事が普通に出来ない、営業、商売が出来ないと言う事など、天災以外では考えられない状態です。多くの失業、倒産、生活困窮etc
イスラエルも戦争がある時も観光客は入って来ていたと。
観光業が主なのに、観光客が入って来られない。
今は多少規制が取れて、国内を移動は出来るようになった
そうです。
日常生活の不便と、そして現実に生活の根底が揺すぶられたり、人生最大の危機に直面している、又は様々な一大人生プランが
狂ったり、変更せざるを得なくなったり。
規制された生活スタイルや、家で家族と密着して生きる中で、
自分の”パン種”を色々気が付かされる人も居る。
大事な何かを忘れて忙しく働き続けていた事に気が付く
多くの人もいます。
忙しくし、お金を手に入れても、実は本当に人生で大事なもの
=関係を育む、時間を共に過ごすと言う事を代償として
同時に戻って来ないものを失って居たことに気が付く。
長期間人との普通の日常生活での触れ合いを閉ざされて、
隔離して生活するのは、物理的にも身体的にも精神的にも
大変不自然な状態です。
スウエーデンの人達がどの様に過ごしているか、動画で見ました。 自動翻訳でなんとなく分かると思います。
そうですね。人が完全にウイルスや菌と接触しない状態を続けたら、それこそ体が弱くなって行きます。不自然。人間の生活=
人と人の中で生きる本来の状態では無くなります。
全てを消毒して、滅菌続けたら逆に体は弱くなり、
別の耐性菌が出てくるし。鍵は人の中にある抵抗力なんですね。調べて行くと、神は素晴らしいメカニズムを
体の中に搭載されて人と造られた事実を発見します。
以前ファミリードクターに、”患者さんにいつも触れていて
病気にならないのですか?”と質問したら、”休暇で1週間位仕事を離れたら、その後の方が体が弱るよ。”と。詰まりウイルスに適当にさらされて、羅漢している状態が抗体が体に出来るので
丈夫になると言っていました。
まあその話は別の話なのですが、一番問題なのは、様々な情報を聞いて、今の現状、現実を見て、人が煽る”不安”や嘘を食べて、自分の頭脳に取り込み平常心を失う事だと思います。
パニックで頭が支配される。そうすると本当実際の視界も狭まるし、ちゃんとクリアーに考えられない。
体にも影響が出て抵抗力弱まり、感染症にもなりやすい。
ガンもその様な思いわずらいのメカニズムで発生するそうです。
思いわずらいは、結局何1つ益、良いことなどもたらさないですね。思い煩って現実が変わるならいくらでもしようね!でも
そんな事は100%無いから止めようねて事なんです。
今の現状の暗い側面ばかりを見ていると見えないのですが、
人が真剣に自分を振り返る事をするのは、危機に面した時や、
自分が生活の補償として安心していた事、物が、実は当てにならない頼りないもの、まやかし、幻であり、その事実が不安定に
揺らぐ時がではないでしょうか。
当たり前に受け取っていた全てが、実は神から与えられていた
環境、状況、恵だと気が付く。
なんでも自分の手柄で手に入れていたと錯覚する全ては、
実は全ての状況が整っていて、与えられたものである事を
すっかり忘れているものです。
感謝を忘れて鈍って生きている。今日はただただ神から与えられた贈り物の日、時であり、その日に神により生かされている事実をはっきりと考え始める。困難や試練は、思考が神に近く考える事をすると言うメリットもあるのです。
振り返る=戻る=テシュヴァー=悔い改めと言う翻訳ですが
神の意図の真ん中=トラーに戻り考え、軌道修正する事。
イスラエルに住むユダヤ人達もこのロックダウンで、
”イエシュア”て誰?と求める、聞く、探る莫大な数の人がいる
そうです。そして、ラビなどこの間の過越の祭りの時には、
”救い主”が地上に来るかも?と言う人達がいたそうですが、
来ませんでしね。:)
多くの人が家に居る状態で、この2、3ヶ月何回もシャバットを迎えています。
カスタムメード=自分にぴったりあつらえられた事件が、
しかもうまい具合にシャバットが始まる前やシャバットの日などに起きたり。
私の日常の中にも色々な形で起きるのですが、その時、パニック
状態で混乱するのか?それとも神の助けが必ずある事を忘れないのか、どっちの目で見ている、頭脳で考えているのか?
でしょう。問題が出るとすぐ”神さまなんでどうして?こんな時にこんな事が。。。助けてくれないの?”と言う態度なのか。色々と気が付くことがあります。
何1つ、神の許しなしに起きないし、何か意味があって起きる
出来事なのでしょうね。そこから何を学ぶのか。
シャバットはどんな事があっても、全部脇に置いて止まる、
祝う、聖書を読む、考える、家族と一緒に時間を過ごす、
楽しむ事をします。
だから、余計な掃除や修理や、それぞれの仕事、勉強、作業などしないのです。
食事や必要最低限の日常の子供の世話、家族の世話、ペットの
世話などはします。家族で過ごす絶好の良い機会。
フォーカスは、神が設けられた特別な記念日を迎えると言う意識です。神ご自身を家族の真ん中に皆でお招きし、迎える意識。
もちろん神は24/7いつでも共に居られますが、特別な日
シャバット、祭り=神の記念日には特別な出会いをしようと
約束されたのです。大事な関係の人と特別な日は特別な体験があるでしょう。特別な思い出が出来る。素敵なご馳走、特別な飾りやテーブルセッテイング、そして美味しいものを食べるでしょう。そして皆で楽しむ、話す、会話する、笑いとなんとも言えない満足感がある。神の前で異邦人もイスラエルも皆で喜び楽しんで神がどんなに良い方か知るようにと書いてあり、その目的の
ためにも、神が記念日を設けてくれたのです。
婚姻契約の関係の中にある事実があるから、記念日がある。
婚姻関係にある証拠=印である永遠の記念日と神が言われました。
イエシュアの当時のイスラエルの文化は親しい関係が無い人とは食事などしないのです。
しかも祝宴=祝い日を共にすると言うことは究極の親しさの
中にいる事を表すものでもあるのです。
関係が無い人と特別な記念日は祝わないでしょう。
神が造られた記念日を祝うから意味があるのです。
祝福、喜び、そして神が全てを造り、支配し、そして、私たちの人生、命も作り出し、そして”イエシュア”を信じたと言う事は、同じ出エジプトの旅路を生きる、天の国=神の国の共同相続人として、イスラエルの神の国の大家族の一員とされた事を思い出す日なのです。
だから神の記念日には、イスラエルだけ、異邦人だけのもの
などと言う別々の神の記念日は聖書には無いのです。
同じ1つの家族、同じ1つのイスラエルの神に繋がれた人達は、同じ1つの神の教え=イントラクション=婚姻契約を生きる事へ呼び出されたと聖書には書いてあります。
だから、呼び出された人達のグループを、”カハール”=神の声に
呼び出され応答した人、<エクレシア> エダ=イスラエルの
神に出会いその事実を知る=証人と聖書には最初から最後まで
同じ言葉が原典言語では書いてあるのです。
1つ家族、最初から継続して人数が変わる=加え続けられて
繋がる唯一の家族=イスラエルの神、天の国の相続人は1つの
家族で、同じ記念日を祝う様に、最初から神が教えているのです。
神に呼び出された人は、この世にあっても、この世のものでは
無いと不思議な事実を教えられています。ヨハネ17章
地上に居ながら、実は神の中に居て、天の現実の中に生きている
人達です。聖別=創造主の中に神の創造した目的通り、役割通り、エッセンス通りに分かたられている人達。
婚姻契約の中に加えられたその人達は、何も思い煩わなくていいですよ!と神が約束して下さいました。その約束はトラーの中で記されているものです。
何にもしないで、怠け者として遊んで暮らす、生きると言う意味ではなくて、自分の手に追えない事、不可能な事をやる無駄な事はしなくても良い、する必要が無いと言う事を聖書の最初から最後までずっと教えられています。
それがシャバットの醍醐味でもあるのです。
努力の手を止める。全ての業を負えて止まられた神がされた
通りを生きる事。
続く