様々な混線、誤解を解いて聖書を探って行くと、新たなる事実が
次々浮き彫りになって行きます。
又歴史の中で起きた様々な出来事=神の言葉を変えてしまう勢力の経緯の中、何がどうなったのか?を探るだけではっきりする
事実があります。
神が神の言葉を決して変えない事実。人が神の言葉に手を加え
続けて来てしまった。それはローマ皇帝の会議決議で、又は
異邦人が編み出した聖書とは異なる思想=神学の教えの中で
神の言葉を塗り替えて、人の教えにすり替えてしまった。
ユダヤ人から見ると、又一般の人から見ると、カトリックも
クリスチャンも表現が多少違う程度で共通点が多数あるので、
同じ信仰の内容を生きていると認識しています。
同じプロテスタントの中にも何万と言う違う派があります。
教えや強調点や様々な事柄に違いがあるからです。
ユダヤ人に取っては、あの2000年前に来られたジーザス=
ユダヤ人を迫害する宗教の教祖様を信じる宗教に対して、
イタリヤの”ローマカトリック”と言う言い方をします。
エルサレムにも、他の地にも多くのカトリックのバシリカが
ありますし。
クリスチャンが誰かに”あなたはカトリックですか?”と質問されたら何と答えるでしょう。
ちょっと言葉に詰まりますよね。”カトリックです”とは絶対に
答えられない、どこが違うのかちょっと説明が必要ですよね。
同じ神<イエス>を信じているのにカトリックとプロテスタントどこがどう違うの?と。
同じイスラエルの神なのにどうして中身がこんなに違うの?
ヘブライの聖書と、宗教の教えとどうしてこんなに違うの?
ユダヤ人が救い主を信じると、便宜上”クリスチャン”と言うかもしれませんが、大抵の場合、彼らは自分達の事をクリスチャンとはどうして呼べないのか説明してきます。
プロテスタントの人がカトリックですと言わない理由と全く
同じなのです。
彼らユダヤ人は、1世紀又は聖書に記されている使徒や預言者
イエシュアと同じ様に、トラーを生きているのです。
今世界中の多くの異邦人イエシュア信者も同じくトラーに戻り、神の言葉をそのまま生きているのです。
現代も同じです。だから、トラーは終わりとするキリスト教の
教えを生きているのでは無いと言う事実を説明しないとならない。でもこれを分かってもらうには、どうして神の言葉=トラーが変わらないのか聖書から細かく説明しないとならない。
しかも福音書から黙示録はトラーしか書かれていない事を説明して理解してもらうには、やはり聖書の最初から、書いてある内容を説明して、たくさんの聖書のピースを繋げて行かないと
見えないのです。それには長い時間がかかるのです。
クリスチャン達はトラー=モーセの五書=父の言葉は呪いの
古い教えで現代は廃れた教えである、イエスキリストを
トラーを終わらせるために来られたと教えられているので、
その様な数々の聖書に対するずれた教えや誤解を解くのには、
聖書の事実に1つ1つ戻り一緒に検証して見てもらわない限り、納得してもらえないからなのです。
それには、聞く側、受け取る側に本当に聖書の事実を知りたいと言う熱意や、願望がなければならないと言う大前提もあります。
どうしてトラーは呪い、律法、終わりと言う教えが広がったのか
それは、人間が編み出した神学が聖書にすり替わって伝えられてしまったからです。
これはずっと書いているので重複しません。
ユダヤ人が今どんどん救い主に出会い、トラーを熟知するユダヤ人達が、ヘブライ語原典聖書の教師として、世界のクリスチャン達に聖書の本当の事実、書かれている内容の事実の中身を教える時代が来たのです。これは30年前には余り聞かないものでした。聞いていたのは、全て置換神学や、19世紀に異邦人により編み出された神学の教えを通して解説される翻訳聖書の内容
だけでした。
考えれば分かりますが、もし救い主がイタリア人で
イタリアが神が選んだ国だとしたら、イタリア語で書かれた、
イタリア思索で、イタリアの聖書を読むでしょう。
日本語の俳句や短歌はやはりオリジナルの日本語で読みたい、
聞きたい。英語やフランス語に訳されては生が味わえない。
でも、救い主、神はイスラエルの神と言われた理由があるのです。
聖書が書かれた言語、ヘブライ語聖書=オリジナルが聞かされない、学ぶ機会が無いと言う事自体が異常事態であり、ずっと
1世紀以降、ヘブライ語聖書を語る事、教える事、生きる事を、
ローマにより西洋により、異邦人により、行圧、弾圧、規制されて来たのです。
だから、パウロの様なお家元に生粋の神の言葉=ヘブライ語の
トラーや預言書を直接学ぶ機会がなかったと言う事なのです。
1世紀の諸外国に居た異邦人たちは、パウロから”ヘブライ語
聖書の中身”トラーを学ぶ、教えてもらう事がちゃんと信仰の
始めから出来ていたのです。それが大きな違いです。
もちろんユダヤ人の間では、ヘブライ語の聖書をがっちり
継承し、どの国に住んでいてもヘブライ語聖書を学ぶ多くの
専門家をずっと今も排出していますし、普通の家庭に育っても
ヘブライ語のトラーに親しみ、学ぶ機会を得ている多くの人達がいます。そこが大きな違いです。世界のどこに居ても、同じ聖書箇所を毎週シャバットには朗読し学ぶ習慣がある。
こんな言葉を聞いた事が無いでしょうか?
”救い主を信じたらユダヤ人やめなさい。ユダヤ的生き方を
やめなさい”と。???
イエスさまてユダヤ人じゃないのでしょうか??
イエシュア、ジーザスが生きてた生き方は100%ユダヤ的
トラー丸ごとでしょう?クリアーな頭脳で考えたら、その教え
一体聖書か?それとも誰の教えなのか分かるはずです。
ユダヤ的な全て、つまりトラー=イエシュア の教えを生きるのをやめるべきだよと言うフレーズです。
これはどの国でも聞きますし、ちょうどユダヤ人の友人と
友達の属しているある国の教会の集会に出席した時に、
パスターが説教の中で同じ事を言っていたので顔を見合わせて
笑い合った事がありました。
この教え聖書では無いです。ではその教えや考えは一体どこから来たと思いますか?
ちゃんと明らかな出所が文書として残されていますし、
今も確認出来ます。
325年ADのニカイア会議での決議結果です。
ローマ皇帝コンスタンチヌスの開いた、だ〜れも皇帝に逆らう
投票や考えをしない人だけを集めた”Yesマン”会議。
つまり、皇帝の考えが全部反映された勅令が出来上がったのです。ニカイア・コンスタンチノポリス信条。
ユダヤ人でもなんでもない、異邦人で元が異教神の信仰の人で
もちろんヘブライ語のトラーも知らない人が作ったものなのです。
この会議、信条を作る目的は、イエスは神である事実をはっきり
させる目的。そして、イエスは父と同等の神である事実。
そして、もう1つは、451年のカルケドン会議やその他と同様
ローマ帝国教=カトリックは、ヘブライの聖書、イエシュアの
ルーツとは”距離””を置きましょう。ヘブライの教えとは決別しましょう!全てユダヤ的な事を中止、捨てる、放棄しましょうと
言う事を神ではなく、これらの異教徒上がりの異邦人達が決めた
のです。
この事実を多くのクリスチャン達は知らないと思いますし、
もしくは多大に誤解しているのです。トラーを終わらせよと
言ったのは神、イエシュア 、使徒達であると本当に信じている。聖書には書いてないのにです。
神が神の言葉を終わらせて、昇天以降違う教えを、違う福音を
伝え始めたと。
パウロは別の福音は無いと警告しているのに。
別の福音=旧約聖書だと勘違いしているのです。
別の福音=トラーとは違う、異なる教えをする福音の事を
パウロは教えているのです。
続く