異邦人クリスチャン達も、同時に多くのユダヤ人達に対して
”救い主”を知るきっかけを与えている事実があります。
私の教師でもある友人もそうでした。アメリカの大学内で友人であるクリスチャンの主催するバイブルスタデイに誘われて福音書を読んだ事。
そんなユダヤ人迫害の教祖様の教えの書を読むなんて嫌だと
思ったそうですが、でも内なる声をはっきり聞いたと
言いいます。”Give it a try" やってみなさいと。
ヨハネの福音書を読み続けるだけで、そこに書かれた事が、
トラー、預言書の救い主である事がはっきりと疑いなく分かってしまったと言います。それがトラーを知るユダヤ人の大きな違いなのです。読めば分かる。
クリスチャンの場合まずはトラーを知らないので、
福音書〜黙示録、トラー、預言書そっくりそのままであるとは
全然発想もなく、思いも浮かばないものです。
そして、信じた後、福音書〜黙示録は、呪いの律法のトラー、
預言書を終わらせた新しい教えなのと教えられてしまうので、
ますます神の言葉の真実を知る、見る事におおいがかけられて
しまうのです。
彼ら多くのユダヤ人は、聖書の土台=トラーを知っていると言う大きな違いがあるのです。
そして、その後、トラーに根付くユダヤ人ならば、必ず西洋宗教神学が教える事が聖書とは異なることにも気がついてしまうと
言う道のりを辿るのです。
これはトラーを知るユダヤ人なら気が付ける事でもあるのです。
そして、今逆転して、本物の聖書、ヘブライ聖書トラーの中身を
正しく教えると言う事を数多くのユダヤ人達が世界に居る
クリスチャン達に対してしている、と言う所に来ているのです。
お家元=長男の役割を発揮し始めているのです。
この30年の間にそれは爆発的に増え広がっています。
固定概念的に見ては見えませんが、トラーを学び、トラーに根付く生き方をしているユダヤ人の方がよっぽど安全に、家庭を
夫婦を家族を大事に生きています。だから、彼らが規則だけを
生きる人達と十把一絡げには判定出来ないです。
神をまだ知らない人も、知らないまでも腹に書かれたトラーに
近く生きてたら、安全に守られて生きられるのと同じです。
同時に、クリスチャンだからイコール善良な人、又は喜び満ちて日々を神との生きた関係に成長して生きる人と言えないのも
同時に然りの様に、その人その人個人の神との関わりの領域ですから、ユダヤ人だからなになに、クリスチャンだからこうだと言えないのです。救い主を知っても、何も変わらずに逆に絶望的に
ルーテインこなして生きている多くの人もいるからです。
でも多くの厳格的な正統派ユダヤ教の家庭で育つ人は軋轢を
感じて生きています。様々な厳しい規則で縛られながら
生きるからです。
同時にクリスチャンとても、もし家庭でや周りの人達が厳しい
教えやノルマや活動参加を強要して普通の学校生活や家庭生活を落ち着いて送れないほど宗教活動に邁進する事が神を愛することなどと教えられ、家族への時間も無い、家の中が平安が無いならばそれはそれで弊害を感じならが嫌気さしながら生きている多くの人達もいる事実があるのです。
それはその人その家庭により様々な状況、事情の違いがあるので
何々だから、こうであるはずとは言えないです。
でも反面、健全なクリスチャン達が個人的にイスラエルの神=
ジーザスとの関係を持っている事を外から見て分かるユダヤ人が
”なんで彼ら異邦人達がイスラエルの神と個人的な近い関係が
あるのだろう?”と不思議に思い、うらやましい、妬みなどを挑発する事があるのです。それが彼らを救い主に導くきっかけと
なっているのです。そうですよね。喜び満ちて生きている人と
不平不満、しかめっ面で生きている人とどちらがトーヴ?
そうして、彼らから”救い主”の話を聞き、個人的にイエシュアが
救い主であると言う事を発見する多くのユダヤ人がいます。
これは、北米などに居るユダヤ人に多くある事です。
生活の中でクリスチャン達に出会う機会がいつもあるからです。
その後、もしユダヤ人で、トラーを知るなら、いやヘブライ語
聖書に戻り学び続けるなら同時に、西洋宗教が語る様な置換神学や、デスペンセーション神学が語る、変化する神像や途中で契約主を乗り換える神や、別の契約を与える神、2つのグループでは無い1つの家族、それはイスラエルの神では無いと言う事を、
はっきり今クリスチャン達に伝えています。その方が角が立たなくて良いです。本当の事をお家元が伝える。これはオセロのコマがひっくり返る状態です。
真実では無い教えはやがて消えるとある様に、神の言葉に対する軌道修正が同時にクリスチャンの側でも起きつつあるからです。
2つのグループ=これは残念ながらトラーを知らないユダヤ人は2つのグループ 2house theoryと言いますが、その様な教えを言う人がいますが、トラーを知らないからです。
この30年、異邦人信者達が、今まで教えられて来た西洋神学で塗り変えられてしまった聖書の内容、教えではなく、オリジナルの本物のヘブライの聖書、トラー=神の言葉、神の言葉は永遠であると言うことを、オリジナル聖書から発見している多くの人達出現しているのです。
それぞれきっかけやスタートの地点や方角は色々なのですが、
行き着くところはヘブライ語聖書に基づき真実かどうか調べる事をしているのです。調べずにはいられないのです。
なぜなら、真実の根拠は神のオリジナルの言葉の中に永遠に存在しているからです。
インパクトがあるのは、世界中の多くの聖書教師、”牧師達”が
ヘブライ語聖書を本当に知らないとならないと言うことに気が
つき始めて、トラーを知るユダヤ人信者トラー教師達から神学ではなく、ヘブライ語聖書の中身を学ぶことをしているのです。
これは大きな事なのです。今まで余り聞かれる事がなかった
事では無いでしょうか?
多くの人達が、イエスさまを知りたい、イエスさまの語られて
教えられていたオリジナルの言葉、トラーを知りたい。
イスラエルに行ってイエスさまの歩かれた場所を見てみたい。
イスラエル、エルサレム、救い主は、ローマではなく
ナザレのユダヤ人イエシュアだからです。私たちの天の故郷は
地上で”イスラエル”で表されるものだからです。
なぜなら、教師が大衆に教えるので、正しいことが伝えられれば福音そのままが伝えられれば人は必ず解放されるし、安息を見いだせるし、神との親しい関係に入る、又どの様に軌道修正、
癒しを得るのかを神が提示して、教えている内容から知ることが出来る様になるからです。この部分が分からないから救われた後の生活が今まで通りになってしまうのだと思います。そして宗教の教えやノルマを生きてもどこにもたどり着かないジレンマに
陥る。次から次へ新しく作り出された人のフォーミュラや、
ムーブメントに飛びつく。でも何も無い。
ある国から200人の牧師先生がイスラエルの友人の所に来て、
オリジナルの聖書からの解説を聞き、イスラエルを旅したその
2週間の時間で、宗教の教えと、本物の福音の中身がどう違うのか分かってしまったと言う事がありました。
皆喜びで輝いていたと。
添加物入れられた食べ物、遺伝子組み換えの植物ではなくて、
オリジナルのピュアな素材そのままを食したら誰でも違いが分かるものなのです。新鮮な空気や、ピュアな美味しい水。
本物に触れたら分かる。
これは偶然では無いです。神の時で、全てが確実に動いているのです。太古から語り継がれた福音が再び聞かれる時が来ると
言われた言葉は真実だからです。
どうして、クリスチャン達がヘブライ語の聖書が知りたい、
本物を知りたい。聖書に本当は何が書いてあるの?
信仰とは、人生とは、ただイエス様に出会って罪赦されてそれで終わり?の世界では無いはずと、渇望している多くの人が居るのです。
当然なのです。人は人の教えではなく、神の言葉を聞きたい、
それが人のDNAに刻まれたエッセンスだからです。
だからイエシュアが”人は神の口から出る1つ1つの言葉=トラーにより生きる”と言われたのでしょう。
トラーに書かれたことが知りたい、神との関係、神が知りたい
神の本物のオリジナルの祭りやシャバットをしたいと思うのか?
それは神が働きかけているからです。これは神が預言した通り、否定のしようがありません。世界はあなたの教えを待ち望む。
教え=トラーを切に待ち望む世界に住む人々。
続く