世界で起きている1つ家族への修復 アヴラハム イツアーク ヤコーブの神 イスラエルの神 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

春の創造主であるお方の祭り。過越の祭り、種無しパンを食べる1週間。

それは、出エジプトの歴史的史実でも表されている、神の贖い、救出の業です。そして、出エジプトと同じ=贖い、救いを地上で表してくださった、イエシュアが処刑され、復活した週の祭りが、過越の祭り以降の一連の記念日なのです。

 

今はシャブオート<ペンテコステ>に向けての、初穂=復活の

命に連なった人々=穂を数える7週の中に居て、今日はその中の

1つの、第七日目のシャバットを迎える日なのです。

 

イエシュアがこの7週の間=穂を数える週の間に何度も弟子たちに現れています。新しくされた人=その人達が、今度は地の塩

世の光として、世界へイエシュアの生き方=神に造られた人間の

エッセンス=トラーの真髄を生きる事を伝え、教えに出るミッションへの準備期間だったのです。しかも、聖書を書き記す様な

ミッションまで。特別な力が与えられなければ、聖霊による

特別な力で導かれなければ、神の言葉=聖書を書く事も

出来ないでしょう。

新しい別の教え=トラーを否定して、違う教えを教えたと教えられましたが、聖書だけを

読めば、分かります。イエシュアが聖書と言われている箇所は

全て、聖書=トラー、預言書、諸書と言う意味で原語では

書かれているからです。しかも今日に至るまで、書き直された

別の契約=聖書など世界のどこにも存在していないし、

神が与えた記録も、形跡も無いのです。完全なる都市伝説。

その週の日々に今私達も過ごして居るのです。

 

屠られた子羊とは、あの”過越”の夜に屠られた羊を表すもので

あり、イエシュアのされた業=子羊の血=同等の意味を表しているものです。

 

あの羊は、どの様にローストされましたか?

子羊の足、膝は、頭に向かって曲げられているのです

 

ちょうど、赤ちゃんが体内に居る格好と同じ。

 

 

全て”復活”の命への移行を表しているものなのです。

最初から最後まで全部同じ、福音、同じ内容、同じメッセージ。

じっくり1つずつ、出来れば画像を見ながら考えると

頭の中に1つの同じ福音の事実が語られている事が

浸透して行きます。

 

そして、長い夜を過ごし、何も食べ残さないで、鴨居に塗られた

血で覆われた”戸口”から脱出したのです。新しく生まれる。

エジプトの初子が打たれた。イスラエルの神の言葉を聞いて

実行した人達は、”過越の羊”を被ったと言う表現で書かれています。人がしたのは、神の言葉通りを行っただけで、その過越の

業をされたのは”イスラエルの神”です。

 

奴隷=偽の神々の奴隷、偽の教え、偽の自己像からの贖い出し、

そして救い、そして復活の命を与えられている事実は、

最初からずっと教えられているのです。口頭で、神の口から直接語られていた。そしてそれを初めて神が文字として証拠=

ブリットとして人に与えたものが、モーセの五書=父の言葉=婚姻契約なのです。

 

全部同じ福音のメッセージが繋がっています。

過越の羊の血。ペサフ=パサフ通り過ぎる。

そして、その血=子羊の血が塗られた戸口を脱出。

新しく生まれる。復活の命へ生まれ出る。新しい命を新しい人としての生き方をする場所へ、時へ出発する。

 

種無しパン=マッツア=要らないものが削がれた=新しい人を

インプット、祝う強化週の7日間。7=完了=完璧=欠けが

無い状態。復活の命にされている事実を、マッツアを通して

教えられ、実際に食べて、祝い、インプットし続けるのです。

そして、今日は再び週の第七日目のシャバットの記念日を迎える日です。

 

毎週のシャバットでも、この出エジプトの事実を必ず読み、

復唱します。シャバットは、神の記念日の全て、福音の中心

神の完了の業が全部整った状態で生きる、それを記念する日

だからです。全ては、修復!自分、家族、神と人との関係を

元どおりに修復、取り戻す、確認する日。喜び、祝う日。

 

弟子たち、1世紀のイエシュア信者達は、神の記念日を変わらずに祝いつづけていた記録が聖書に記されています。

 

ルカ24:44 

それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセのトラーと預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。

 24:45 そこでイエスは、聖書=トラー、預言書を悟らせるために彼らの心を開いて

24:46 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。

24:47 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。24:48 あなたがたは、これらの事の証人である。

24:52 彼らは〔イエスを拝し、〕非常な喜びをもってエルサレムに帰り、

24:53 絶えず宮にいて、神をほめたたえていた。

 

日本も段々と行動制限規制が厳しくなりましたが、ヨーロッパ

から続く大陸、イスラエルも含めて、皆行動制限されていますので、ほぼ自宅に閉篭もらざる生活です。買い物以外は家に居る

生活です。

 

この病気と一連の出来事、誰がどんな目的で?と色々情報が

出ていますが、たとえ何がどうだろうと、”神”が主権を握り、

世界の歴史を進めている権威者である事、これは絶対に変わらない、ブレない、忘れてはならない事です。

なぜこんな事が起きて、こんな事が許されるのか?それは、

分かりませんが、今世界は同時に揺すぶられている事は

事実です。個人でも、国でも。

 

ユダヤ人も異邦人も、最後には1つに、元どおりの状態になる

事が聖書の預言であり、修復の業である事が書いてあります。

 

多くのユダヤ人が、なぜイエシュア ハ マシアを拒絶するのか?その理由はずっと書いてきましたが、様々に複雑な要素が絡んでいます。

1世紀以降、ずっとイエシュア信者の大多数、いやほぼ全員が

ユダヤ人でした。

 

どうして、so very Jewish=丸ごとヘブライの世界だった、

ヘブライの神の教えだったのが、いつから2つに分裂、

西洋の教えに変わってしまったの?

これも書いてきましたが、歴史の中で人間の支配により、

ローマ帝国が、ヨーロッパが、ドイツが”神の言葉”を生きる、

祝うことをバンド=禁じて来たからです。

 

神が神のトラーを生きることを禁じた、神が神の言葉を捨てるように教えたと言う都市伝説は、永遠に削除すれば、聖書の事実に戻れます。

 

ユダヤ人達がトラーを生きること、教える事をローマや西洋が

禁じた結果、表向きには、ユダヤ人イエシュア信者が

いなくなったように見えますが、地下で深く静かに残り民=

1世紀の聖書に書いてある信者達と同じ、使徒達と同じトラーを生きるイエシュア信者達は、どの時代にも存在して来て

今に至るのです。

 

これらは又折り入って書いて行きたい内容ですが、

2つの福音、2つの救い主=2つのトラー=婚姻契約は

聖書にはありません。1つです。

イスラエルの神の名=性質=エハッドであると紹介している

通りだからです。分裂=2つ=隔たり、乖離、別離の神では

無いからです。

聖書を読んで行くだけでも、その事実が書いてある事に

気がつけます。ヨセフの一連の出来事も。

その前のヤコブの事も、全部繋がっているのです。

 

その根底にあるものは、”騙し”。自分と家族に対しての

違反、傷つけあい、壊れた家族が1つに戻る、それがずっと

書かれています。2つでは無い。

世界の大家族は民族の種類に関係せず、最後は1つになる事が

聖書に書かれています。神学ではそれを2つ、イスラエルと異邦人と分けて考えていますが、福音の事実、神の修復のゴールから

ずれた発想なのです。

 

続く