2020年 ユダヤ暦=ニサンの月=アヴィヴの月=
第一の月の15日。14日の日没から過越の祭りが始まります。
神の祭りはどの年も満月で始まります。
イエシュアが捕らえられたのは、神殿の中に屠られる羊たち=
コバーンが選定されて入る日でした。そして処刑されたのは、
神殿で羊達が屠られる日と同じ日でした。
子羊の血。鴨居に塗られた血。初子の死が起こらない家は、
神の言葉を信じて受け取り、行動した家でした。
10の災いを体験しながら、イスラエルと少数の異邦人は、
イスラエルの神が何をされるのか理解して行ったのです。
私達はエジプトに住んだ事も無いし、奴隷としてレンガを積み
上げる苦役に携わった事もないし、出エジプトの事件が
起きた時にエジプトでは生きていません。
でも、それぞれの人生の途上で、イスラエルの神に出会った
事実がある人は、どの人も”出エジプト”の贖いを体験しているのです。
エジプトと言う言葉で表されている内容は、本物の神に繋がらない全ての人の状態を表しているのです。
エジプト=偽の神々に仕えている。エジプト=苦しい、辛い、
悲しい、狭い。水がチョロチョロしか流れない川=ナイルに
頼る生活。本物の神=生ける命の水、源に繋がっていない状態。
奴隷から贖い出された。偽の神々の教えから、偽の主人に仕えていた事から贖い出された。
奴隷=それは、この世界の提示するゴールや、自己像や目標。
人の教えやまやかし、不真実な神に属さない教えや生き方。
神の似姿に造られた本当の自分では無い、別物に同化させられる様に強要され、この世界が認める基準や理想に到達しなければ、人間として価値が無いような意識を植え込まれて来たのです。
本物の自己像=あなたはマッツア=要らないものがそぎ落とされた神の子、光の子である事実を知らないまま生きていた。
でも、本当の創造主に出会い、偽の自己像で生きていた、
その偽物の自分は、”主”と共に死にふして、葬られ、そして
新しい命に復活した事実を受け取ったのです。
その福音の内容、実態がこの過越の祭りから始まる春の都上りの祭りの一連で生きて再現し続けて表されるものなのです。
出エジプトと、イエシュアの処刑が重なるのは同じ福音を
表しているからです。
鴨居に塗られた子羊の血=イエシュアの流された血。
神の業、重要な預言的出来事は神の記念日に起きている事実に
注目すれば見えてきます。
預言的祭りなのです。この春の祭りの中で、イエシュアの死
復活、贖い全て成就しています。そして出エジプト=偽の神々の
奴隷から本物の神の手に買い戻された人に与えられたものが、
永遠に変わらない神の婚姻契約なのです。
”シャブオート”=ペンテコステ。
そうすると婚姻契約が呪い=律法=終わりと言う聖書に書いては
無い人の教えが、聖書では無いと気がつけるはず。
聖書だけに戻れば。
贖い、救い、新しい命への復活は、全て春の祭りの中で
表されています。そしてその中心は、毎週第七日目に祝う
シャバット。祭りは、いつもどの曜日でもシャバットとして
止まり、始まり、シャバットとして止まり、終わるのです。
この事実に注目すれば見えます。
永遠に祝われる神の記念日を、聖書に登場する全ての預言者
使徒、イエシュア、パウロ、信者達は祝っていたのです。
聖書の記述が閉じた300年以上後に、ローマ帝国のローマ皇帝が発案、アレンジして作ったものは、実は聖書の中に出てくる
ヘブライ人、使徒達、預言者は誰も知らないものであり、
祝った事も無いものなのです。彼らが無知、奥義を知らない?
不信仰だから?いや、神の仰せ、永遠にガードすべき神の言葉
=トラーだけを生きていたから。
出エジプト13
1 主はモーセに言われた、
2 「イスラエルの人々のうちで、すべてのういご、すなわちすべて初めに胎を開いたものを、人であれ、獣であれ、みな、わたしのために聖別しなければならない。それはわたしのものである」。
3 モーセは民に言った、「あなたがたは、エジプトから、奴隷の家から出るこの日を覚えなさい。主が強い手をもって、あなたがたをここから導き出されるからである。種を入れたパンを食べてはならない。
4 あなたがたはアビブの月のこの日に出るのである。
5 主があなたに与えると、あなたの先祖たちに誓われたカナン
びと、ヘテびと、アモリびと、ヒビびと、エブスびとの地、
乳と蜜との流れる地に、導き入れられる時、あなたはこの月に
この儀式を守らなければならない。
6 七日のあいだ種入れぬパン=マッツアを食べ、七日目には主に祭をしなければならない。
7 種入れぬパンを七日のあいだ食べなければならない。種を入れたパンをあなたの所に置いてはならない。また、あなたの地区のどこでも、あなたの所にパン種を置いてはならない。
8 その日、あなたの子に告げて言いなさい、『これはわたしが
エジプトから出るときに、主がわたしになされたことのためである』。
9 そして、これを、手につけて、しるしとし、目の間に置いて
記念とし、主のトラーをあなたの口に置かなければならない。
主が強い手をもって、あなたをエジプトから導き出されるからである。
10 それゆえ、あなたはこの定めを年々その期節に守らなければならない。
11 主があなたとあなたの先祖たちに誓われたように、あなたをカナンびとの地に導いて、それをあなたに賜わる時、
12 あなたは、すべて初めに胎を開いた者、およびあなたの家畜の産むういごは、ことごとく主にささげなければならない。すなわち、それらの男性のものは主に帰せしめなければならない。
13 また、すべて、ろばの、初めて胎を開いたものは、小羊をもって、あがなわなければならない。もし、あがなわないならば、その首を折らなければならない。あなたの子らのうち、すべて、男のういごは、あがなわなければならない。
14 後になって、あなたの子が『これはどんな意味ですか』と問うならば、これに言わなければならない、『主が強い手をもって、われわれをエジプトから、奴隷の家から導き出された。
15 そのときパロが、かたくなで、われわれを去らせなかったため、主はエジプトの国のういごを、人のういごも家畜のういごも、ことごとく殺された。それゆえ、初めて胎を開く男性のものはみな、主に犠牲としてささげるが、わたしの子供のうちのういごは、すべてあがなうのである』。
16 そして、これを手につけて、しるしとし、目の間に置いて
覚えとしなければならない。主が強い手をもって、われわれをエジプトから導き出されたからである」。
17 さて、パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は
近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである。
18 神は紅海に沿う荒野の道に、民を回らされた。イスラエルの人々は武装してエジプトの国を出て、上った。
19 そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みられるであろう。そのとき、あなたがたは、わたしの遺骸を携えて、ここから上って行かなければならない」と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。
20 こうして彼らは更にスコテから進んで、荒野の端にある
エタムに宿営した。
21 主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、
夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。
22 昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。