エルサレム会議で決議した内容は、交わりに加わる上での最低限理解必要な当座のルール | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

プロセライト=改宗させる=割礼と称される、信じたら完全に

ユダヤ人になる改宗。それには、家族、親戚、今までの関係、

プラス異教徒の影響のある暮らしに一切決別し、ユダヤ人の仲間に加わり新しい生活に移る事が、物理的にも含まれている。

それをさせる事は、異邦人には残酷でしょうと言うこと。

使徒15:10

 

根本的には、プロセライト=ユダヤ人になる改宗儀式しないと

神の国に来たるべき世で席が無いと言う教えも、人間が考えた教えです。信じたら、ユダヤ人でも異邦人でも、神の子らになったのだ〜同じ恵で救われたと言うのが使徒15:8、9。

 

西洋宗教の教えでも、死ぬまでに洗礼受けないと神の国に入れないとか、そんな教えもあるでしょう。その教えと共通する要素が

部分的にあるのでしょうね。

 

このパリサイ派の信者である人の言葉は、神の真実通りを

見ている言葉です。新しくされた人〜義とされた事実をただ受け取っただけ、恵で救われている事実がある。同じ神の家の子ら、同じ契約に加えられる者とされた。

繰り返しますが、ここでのパリサイ派信者は、恵で救われたのだから、もう金輪際トラーは終わり、特に異邦人にはもう無用、要らない、アブラハムの割礼も無意味、終わったなどと、考えていない、話してもいない、ここに登場する=聖書に登場する人で

トラーが終わりなどと考える人は誰一人として居ない事を念頭に入れて置く必要があります。

 

もし、トラー以外の教え=他の契約書から話していると思うならば事実は、そんな別の契約書は存在していないのです。

使徒やパウロはアドリブで、神の言葉=トラーを変形、変化、

アレンジして、改良した教えを話しているのではないのです。

彼らが教えたのは、100%トラー。パウロが諸外国で教えた事

もトラー。そして福音書から、黙示録もこの1世紀の時期誰も読んでいない上での話し、聖書として存在していないのです。

 

でも、福音書から黙示録も100%なのトラーです。彼ら使徒達1世紀信者達の唯一の教科書、信仰の根拠はトラーのみである事実が分かれば、誤解、謎が解けて行きます。彼らがトラーを

生きていた、生きる事を教え続けている事実はちゃんと記されています。

 

ここで前後左右しますが、15章の21節にそれが書いて

ありますので、それを先に見て見ます。

トラーを知れば、何が神の言葉で伝えられているのか

いずれ分かって行くでしょうと言うことを言っています。

 

使徒15:21 古い時代から、どの町にもモーセのトラーを宣べ伝える者がいて、シャバット=第七日目ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。

 

異邦人にもトラーを守らせよう〜これは、負えないくびきではありません。神の仰せです民数記21:16

ここの点を誤解しないことと、この会議で誰一人、異邦人には

トラーは無用だ、異邦人用の削除した教えを編みだそうなんて

話など一切していません。

ここだけポンと読むと何を言っているのか分からないかもしれませんが、こう言う事でしょう。

 

詰まり新人信者、しかも異邦人、トラーの”いろは”も分からない、1テモテ 1:9ー10を生きていた様な人達に、トラーの教えを即席に今、全部分からせようなんて無理な事でしょう。

 

ユダヤ人は生まれた時から、家庭で親や又近所のおじさん、おばさん達からトラーを寝ても目覚めてもいつも聞かされて、教えられ、トラーは自分の思考回路の1部になっている。生活の細部で、日々、又は神の記念日で、トラーを教えられ、トラー=神の言葉を日々どう生きるか?を教えられているからです。

 

空で暗記までしているような自分達と、トラーに何が書いてあるのか、全く無知識の異邦人とでは、理解出来る内容、度合いが

違うし、一度に全部あれこれ言って要求しても理解出来ない。

こちら側からも、一から細かく手ほどきして、トラーの詳細を

説明する必要があるのに、いきなりは分かれとは無理でしょう。三分間、カップヌードルの様に即席で伝えて、即席で理解なんて

出来ない内容だから。神の言葉は永遠に奥深いから。

時間が必要なのです。インスタントの世界では無いのです。

 

でも、これからイエシュア信者として、我々ユダヤ人の仲間に

加わる意識、決意があるのならば、これから、シャバット=

第七日目の安息日ごとに、町の中でトラーの朗読があり、トラーを教えられる教師や長老、トラーを1から教える事のできる人達が会堂に居るから、そこに行ったら、異邦人新人信者もトラーを学べる。

毎週、トラーの内容を少しずつ聞いて行けば、徐々にトラーの

詳細を理解して行くだろうから、無理に今、全部いっぺんに

理解、分からせる要求などしなくてもいいでしょう、と言う、

執行猶予です。そして、自分たちのトラーに根付いた生き方を、日々の生活の中で見ていて貰えば、分かってくると言う事。

パズルのピースを繋げていく様に、徐々に神の言葉の真実を

繋げ続けたら、トラーをどう生きるかを理解して行くと言う事。

 

普通の社会でも同じでしょう。会社に就職したら、新人さんを

訓練するには時間がかかるでしょう。勤続30年のベテランの

表も裏も仕事内容を知り尽くして、毎日生きた熟練さんの

こなす仕事の理解、内容、質と、新人さんのそれとは違う。

入ってきたばかりの人が同じレベルの理解、内容で仕事は出来ないでしょう。それを新人さんに課したら、残酷ですよね。

 

イタリア語が分からない人に、1週間でペラペラに全部マスター

せよと言うのと同じ。いや不可能、無理すぎるでしょう。

知識がゼロだから。それを言っているのです。

異邦人には、時間の猶予を与えてあげてと言うこと。

 

毎週シャバットにトラー朗読を聞いて、周りの人に教えてもらって行けば、徐々に分かって来るでしょうと言うこと。

異邦人はトラーを生きなくていい様になったなんて、誰一人聖書では言うわけ100%有りえない世界の話なのです。そこが、

異邦人的理解が顕著に出るポイントです。”神の言葉”がなんたるか?と言う意識が欠如しているからです。ここは、ユダヤ人の<全員ではありませんが>神の言葉に対する受け取り方、取り扱い方の態度の違いがあります。トラーを熟知した人達が、それを

書き写す時、あの1点1画の飾り文字さえ、そっくりそのまま変えずに書き写す訓練を通る事。

どれだけ神の言葉を変えてはならないと言う神の言葉に対する、厳重な態度、ガードする意識を、契約の民として最初に全世界の家長として選ばれたユダヤ人達は、神から教えられ植えつけられて来たと言う違いです。ユダヤ人と異邦人の違い。

 

異教の神々の教えを受けてきた異邦人には、そう言う意識に顕著に欠けている。物理的にも契約の箱に直接手を触れたら死ぬと

ある様に、神の言葉にどんな方法でも人間が手を付けてはならない、神の言葉の重さをの度合を、死と同等である事を、

はっきり神に教えられている事が分らないからです。

エデンの園の教えに繋がるでしょう。知識の木=神の言葉とは

違う事をして食べたら、死ぬと警告された事と同じです。

 

だから異邦人は当然の如くに神の言葉は、古い、恵が無い、

律法、呪い、廃れた、終わった、変わった、などと疑う事も

なく、軽く言えるのです。

そう言う異邦人達、神の言葉の永遠の重さを知らない、理解出来ていない、分からない人達が入って来て勝手に振る舞いをし、

コミュニテイ、仲間を汚染されたら困ると思ったから、”プロセライト”をさせたいと考えたのです。

 

でも、プロセライトをしなくても、トラーを分からない異邦人に

トラーの中身を急に理解せよ、生きよと、出来ない事、知らない事を要求する事も、無理でしょう。だから、仲間に入ったら徐々に知って行ってもらえば良い、いずれは熟練した人になってね!と言う猶予を与える必要があったのでしょう。そうでなければ厳しすぎます。

 

続く