1テモテ 人間の作り出した教えと憶測の解釈からなるパウロ像 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

人が作り出した固定概念、神学で、聖書に書かれている真実が

覆われて見えなくなってしまうと言う事がたくさんあります。

そして、原典聖書に何が書かれているのか、そんな事を学んだ事のある方が少ない背景が異邦人にはありますし、それは実に聖書を書いてある通りに理解する事への大きな壁なのです。

何が書いてあるのか見えないと、見えない。何が書いてあるのか見えると見える。単純な理由です。

 

しかも、事実では無い事でも、長い年月世界に浸透すれば、

嘘も真だと信じ込まれるのです。進化論などが、その良い例

でしょう。根拠も、証拠も、実験結果も何も無いのに、世界中が真実だと、疑いもなく、考える余地もなく、信じこまれている

不真実。

 

進化論ではなく、創造論などと言うのならば、本当は、実は、

神の真実を語っているのに、逆に”変人”扱いされてしまうし、

宗教の教えね〜と、相手にもされなくなると言う世界があるの

です。真実語っても、真面目に取り合ってもらえない、

世界の伝統の教え=不真実=でも真実だと誰も疑わない、

これらが無数に存在しているのです。

 

神の言葉に関して=聖書の世界も残念ながら、同じ事があるの

です。その原因、理由は単純です。歴史の中で、神の言葉に手を加えて、別の教えを人間が数々作り出してしまったから、

不真実な事でも、神の言葉の真実だと伝達され、浸透され、

さらに、偽情報が伝達され続けて、真実だと誤解したまま認識

されてしまったからです。それが本当の理由です。

 

でも、神は必ず、燭台はテーブルの下に置かれず、明るみに

出して輝き出させるがごとく、神の真実は最後には明らかにされて行くのです。誰がどう曲げても、神の真実は永遠から永遠に

存在し続けて、変わらないからです。神の真実が人の都合で神が

曲げる、人間の教えに迎合するとしたら、真実を求めて来る人達は、迷ってしまうでしょう。ありえない事なのです。

 

パウロは、聖書の中に登場する預言者の中で、相当誤解されている人物の代表者です。本当に気の毒です。パウロは別の教えや、

新宗教など伝えてなんかいないのに、そう言う事をした人物と

信じられてしまっています。パウロは、作り上げられた人物像で汚名を背負っているのです。神の目からしたら、死に値する犯罪を、救い主イエシュア に出会った後に犯したと言う事になってしまうからです。

神の言葉=トラーに手をつけて、変えて、別の新しい宗教の教えを唱えた人なら死に値する罪だからです。

 

創世記からマラキ書までの聖書の、最初の3分の二までは、

トラーの教え。マタイから黙示録までが、別の教え=異邦人が

イスラエルの変わりに代表になった新しい福音、契約、教え。

これだと、聖書が全く繋がらない別の二つの福音になってしまうのです。それどころか、完全に神の言葉に照らし合わせたら、

全て辻褄合わなくなります。聖書は、同じ言葉で同じ内容をずっと語っているのに。

しかも、マタイ以降に書かれている内容は、全てトラー、預言書

のみである事実があるのに、人間の教え=置換神学や、デイスペンセーション神学を元にすると、変形して聖書の土台がぐらぐらになり、崩壊してしまいます。異物=臓器移植と同じ事が行われている。神の言葉が、人間の言葉=別の臓器と、挿げ替えられている。神の言葉が、人間の言葉に対して、拒絶反応を示す事が

起こるのは避けられないのです。

 

それぞれの中にある教えは違うと思いますが、私個人が救い主を信じて以降、日本、アメリカやヨーロッパで見聞きした教えは

ざっとこんな感じ、印象でした。

創世記〜マラキ=仮の教え。イエシュア昇天後には、別の許し、

愛、贖いが出てきて、霊が人のうちに初めて宿る様になり、

そして、今まで呪いの教えの下、律法に縛られていた事からの

解放が、イエスの死と復活であったと言う教え。

神の言葉=呪いの教え、律法に縛られていた?

どの時点でも、そう言う無理な教え、呪いの教えをする神って、一体何?て存在でしょうね。しかも、神に言われた事を生きようとした人達が、今度は間違った生き方してた、悪い教えだ!前におれさまが言った言葉は呪いだ〜なんて言い出すなんて、これって”ダブルバインド”〜二重拘束と言う世界です。病的な親の世界のしつけです。しかも、預言書の神からの託宣は、トラーに戻れ!危険!と言うメッセージなのに、はちゃめちゃ意味不明な

教えに、なってしまいます。過去の人がトラーを忘れて生きたら

危険なら、現代も全く同じなのです。だから世界はボーダーライン=神のトラー、安全の境界線が取り壊されて、とても危険な状態なのです。

 

そうすると、神は人が生きられない様な呪いの言葉を

与えていたと言うことになるわけですね。ひどい親です。

生きられる事が出来ない事を知っていながら、人にそれを生きる様に強要していた時代があった?これって現代で言うしつけと言う名の拷問=虐待と同じ事になってしまいます。人は神に対して

ひどい親像、イメージを持って作り出したものです。人間と神と同じ意識で考えているからです。相手を誤解したら、健全な信頼、関係は結べない。

常に疑い、不安が付きまといます。無意識の深層の中に。

 

そして、イエシュア昇天以降、パウロと言うユダヤ教=古い呪いの教えを信じる信仰の人物が、イエスと出会い、新しい教え=

トラーが終了し、別の教え=別の福音に気がつき、古い教え=

律法から足を洗い、イエスが伝えた新しい教え、新しい生き方を世界へ伝える人になった。いつ、イエスがトラー=シナイ山で

与えられた父の言葉以外の、別の教えを教えた記録が書いてあるのでしょうね?聖書に。無い、聖書に絶対に書いて無い、根拠が無い教えとは、まさにそれ、人間が作った教えなのです。聖書に全く書いてない、根拠が無い事を本気で信じ込んで来た。

 

異邦人の世界に遣わされたパウロは、異邦人達に、この新しい

契約は異邦人が代表になったのだと言う教え。ユダヤ人は、失敗ばかりしてダメだから遂に退けられ、ユダヤ人に与えられた古い呪いの律法は終わり、今度は異邦人が新しい救い、新しい教え

契約受け取る代表者になり、新しい福音を世界へ伝える伝道を

始めたと言う様な事です。

これこそ、作り話、聖書に書いて無い事実無根の話です。

ちゃんと聖書だけを読めば、イエシュア と、使徒達はトラーを語っている事に気がつくはずなのです。特にトラー、預言書を

知れば顕著にどの箇所の何のさとし、教えをしているのか

クリアーに見えます。その教えはトラーを否定していない、

トラーの真髄を生きる話しを100%しています。どこまでも。

 

そして、その後には、色々な神学=聖霊のバプテスマやら

カリスマやら、今の時代は、現象、奇跡、不思議、異言、預言をする事などなど。。。。色々な教えを聞いて来ました。

妖怪ウオッチ訓練校、魔法使いサリーちゃんが、魔法を使える

訓練を受ける様に?

 

そうすると、ざっと考えると、以前の教え=イエシュアが来られるまでの教えを終わりにするために、神のトラーは呪いの律法だから、それを終わらせて、今は自由の時代、恵の時代、許しの

時代、以前の教えは終わり、ナンでも自分判断の世界に入ったのだ〜と言う教えが聖書の真実だと思っていました。

そう教えられて、聖書を本当に知らなかったからです。

自分で読んで、聖書と、人の信じている内容が違う、聖書には

違う事が書いてある事に疑問に、思わない。

いや思ってました。心底では。なんで書いてある通りに信じないのだろう?永遠普遍の神、神の言葉なのに、どうして変わるの?

知らないと言うのは、聖書は丸ごとトラーを語っているなんて

事に、気が付けなかったからです。

 

でも、よくよく読めば、イエシュア が語っているのは、

創世記、出エジプト、レビ、民数記、申命記なのです。

そして、それに付随するトラーに関する預言者が神から託宣された言葉=トラーに戻れ!と言う教え、そして、トラーをどう日常で生きるかが書かれた、諸書だけです。

 

聖書の記述と人間の編み出した神学がマッチしないので、そのギャップを人間の解説で代替えし、埋めている、それが人の解説、人の考えたコメンタリーです。

 

続く