パウロの誤解が解ければパウロがトラーを語っている事がはっきり見える | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2000年前後、昇天以前、以降と言う神の業、人との関わりが

変身すると言う仮説、”デスペンセーション”19世紀に歴史の中で

初めて出てきた、西洋人ダービーの神学を元にせず、聖書だけを読むと、神の名が表す=神人と共に住まう性質のお方は、どの時代にも人と共に住まっていた事実があります。

 

ルカ2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。

 

使徒2章で初めて聖霊が人に宿る様になったと言う仮説も、

聖書の記述をはじめから見ていくと真実ではない事は明らかです。あの使徒2章は、シナイ山で起きた出来事の”再来”です。

シナイ山でのシャヴオートなど、天が直接山頂に下りて来たの

ですから。

 

このルカ2章の箇所の様に、神の霊がシメオンに宿っていたなどと書いてある場合、デイスペンセーション神学では、矛盾、辻褄が合わなくなるので、”ある特殊な人物の中だけ特別に特例として聖霊が宿っていたのだ。”と言う解説になるわけです。これが

辻褄合わないギャップを埋める人間の解説=神学です。

神の変わらぬ言葉に基づいて、照らし合わせたら、真実では無い解釈、解説なのです。

 

トラー、預言書、イコール”わたしそのもの”と。イエシュアが

言われた通りに、古代のユダヤ人も、トラー、預言書を知って、皆救い主が未来に地上に来る約束をちゃんと知って、それを待望していたのです。

 

だから、ヘロデ王も救い主が来る事を知っていたのでしょう。

救い主が来たら、自分の王の座を奪われてしまうと

心配したので、この幼な子をなんとしてでも、抹殺、殺戮する

計画を立てたのです。

ヘロデはローマの飼い犬。そして、当時の大祭司家、カヤパ家も

相当腐敗に満ちたことをやっていたのです。

神の家を神の意図通りに治める人自ら腐敗していた、

これはどの時代にも陥る過ちである事は明らかです。

私腹肥やすために、神を利用する世界、リーダー=人を導き

世話をする立場にありながら、人を虐げて、神の実態を汚す

行為をする。

 

ローマ政府と、この様に腐敗した祭司達のおかげで、

重税と、軋轢、弾圧に常にユダヤ人は直面していたのです。

 

神殿で行われる祭りの儀式関連でさえ、全部商売の元になった

のです。だから、神殿が強盗の巣と化しているとイエシュア が

言われたでしょう。不正は”コバーン”取引きなど。

祭りの時には、政府の認定したものしか認めない、べらぼうに

高い動物を買わされ、地方からエルサレムに来る人たちには、

これまた本当に悪いレートで両替を強いられた、その様な背景があります。

 

その中でユダヤ人たちは、皆、祭りのごとに”救い主”が

現れるのを待望していたのです。だから、ローマ政府は

神の祭りのたびに、エルサレムを包囲、厳重警戒していた。

民が暴動を起こすといけないからです。ユダヤ人は救い主が

神の定めの時に現れるといつも信じていたから。

 

そして、昇天後は、もう数えきれないほどのユダヤ人が、

”救い主”を信じたのです。1世紀のイエシュア 信者はほとんどが

ユダヤ人であった事実があります。異邦人なんてほんの少し

 

イエシュア=トラー、預言書に書かれたお方だと確信した人達は、救い主を信じたからです。その中で、新しい宗教の教祖様が

出現して、トラーを廃止し、新しい契約、教えを説いたのだ

なんて誰一人考える人など存在しない世界が聖書の記述なのです。なぜなら、イエシュアが教えられた、生きたのは100%

純粋にトラーだったからです。

 

でも、一方、頭の固い人、又は警戒心が強い人は、霊の目が開かれない部分盲目の人は、見えないと言うことでしょう。

現代でも同じです。ある人は救い主を信じる、ある人は信じない。あるユダヤ人は、パウロ同様、あの西洋宗教の語る

トラーを否定した教祖さまがイコール、トラー、預言書に

書かれた”救い主”とは信じられない。これは、人の教えが

福音書以降を決して読まないように妨害しているだけです。

ある人は、トラー、預言書が、イエシュアが言われた様に

イエシュア そのものと信じていない。これも部分盲目です。

 

なぜパウロの様に、1世紀当時、イエシュアを救い主だと

認める事に関して、非常に警戒していたのか、理由は分かります。トラーに基づけば、人を神とすれば、”死”に値する冒涜だからです。だから、警戒心がまず最初にあったからです。

それが妨害してしまのです。警戒心=偽の教えかな?偽の預言者だろうかと、思う。しかも自分たちのトラーの解釈とは全く違う

解説をイエシュア はしていたからです。これが福音書に書かれている、曲がった解釈をしたトラー学者たちとのイエシュア の

討論です。

 

逆も言えます。トラーは変わらないと言えば、それは違う!

イエスさまは律法を終わらせたのだ!律法にもどるのか!と

言う教えを聞き続けて来た人には、トラーなんて聞いたら、

即座に古い=悪い=霊が無い=律法主義の教え!危ない=異端

別の教え!と頭の中に一瞬でその様な考えが巡るのと同じです。

 

つまり全ては、”霊の目が開かれて確信を持った”か、持たないか

なのです。パウロは、後者ですね。でも、ある時、直接イエシュアが現れてしまって、パウロに伝えるのです。”わたしがあなたの迫害して居るイエシュアである。”と。もう、こうなった時には、はっきりとその事実=イエシュア =救い主と言う事実に

目が開かれた。同時に一時的に目が見えなくなったでしょう。

これ私自身の中の思い巡らしですが、パウロは今までの見方を

全部リセットさせられた期間だったのだと思います。

以前の考え、見方をリセット、神が見る通りを見るために。

 

その後にパウロが新しい教えの教祖になったことになっていますが、イエシュアも、使徒も、パウロも全て、100%トラーだけ

を語っているのです。ここがはっきり、見えれば、人間に造られた教えが消えて聖書が1つとして見えます。

 

逆パウロ現象もあります。イエシュアがトラー、預言者=預言書はわたしそのものと言われた意味、言葉を否定することです。

形は違えど、パウロのイエシュア を否定した要素と同じ根です。

パウロはイエシュア が見えない、そしてトラーを否定する

場合、神の言葉は永遠で、トラー=イエシュアと言う事実が見えない。

 

パウロはイエシュアを否定して、それを信じる人を迫害しましたが、世界では、イエスを信じながら、神の言葉=トラーを

否定すると言うことがずっと、古代から現代までその思想を

引きずっています。だからその誤解を解けば、人の教えを

永遠に削除すれば、聖書が、神が言う通りに見えて来る。

 

ローマ宗教の教え、行き当たりばったりな神の発言?

永遠に神も神の言葉、約束、契約は変わらないと

言いながら、2000年以降はやっぱり違いますなんて、

そんないい加減な事を言う、ご自分の言葉を自ら否定、訂正する様な神だったら信じるに値しないし、聖書=神の言う言葉は信頼できなくなります。どこからどこまでが永遠の真実でどこからどこまでが、途中でなにがしかの理由でコロコロ変えられてしまう約束なの?と不安になります。

 

ダブルバインド。こう言いながら本当は違う。裏に秘密が潜んでる〜そんな変な神?なのでしょうか、聖書に書いてある創造主であるお方は。

 

たった一回でも永遠に変わらないと、神が言われたらそれで

100%絶対、その神の言葉は真実で変わらないのです。

西洋宗教神学が語るイスラエルの神像は一貫性の無い、途中で

何かの理由で、契約、約束をコロコロ翻す性質の神と語って居るのと同じです。異教の神々の思考がふんだんに影響しているからです。トラーに根付いた、イスラエルの神を知るユダヤ人ではなく、西洋人が自分たちの哲学思想に基づき勝手に作った教えだからです。異教の神々は約束、契約などしない。

イスラエルの神は一度結んだ契約を永遠に破らないお方。

 

イエシュアの業、言葉、そしてペテロ、パウロは完全に誤解されています。新しい宗教時代の幕を開けた人達と言う大きな誤解です。この様な教えが、”ユダヤ人”達に非常に、イエシュア に関して警戒させる要素になっている事は事実です。その教えは、聖書のイスラエルの神では無いからです。

 

 

続く