1テモテ 1:7 空想に走りトラー教師を目指しながら分からないままいる パウロの嘆き | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

キリストは律法の終わりになったと不適切な翻訳されてしまっている、トラーは終わったと誤訳されるて解説される箇所ですが、終わったのだと言う意味では書かれていないです。

 

ローマ10:4 その言葉、終わりと言う意味でその文に使われているのではなく、テロス=目標。

キリストはトラーの目標。トラーの完成した姿=神が肉体を取って地上に来られて、トラーの中身を生きて人に示した。

 

私がやってみせたから、もう今まで伝え、教えてきた生き方は

もう無しね!チャンチャンで終わり?親は子供に大事な事を手取り足取り教えるでしょう。

それで、これらの教えはもう終わり〜なしね〜、全部終わりだから真似しないでね〜て、それこそ変な教えです。

You must be joking の世界。

それなら、別の事ではなくて、本当の事を始めからちゃんと教えておいてよ!て事になるでしょう。

 

つまり人間の生き方のゴール=指標=照らし合わせる基準は、

トラー=文字で書かれたトラーの実態が、そっくりそのまま肉体を取って来られたトラー=イエシュアと書いてあるのです。

 

トラーに書かれた詳細以外の、人間の生き方など無いのです。

神が書いたインストラクション。神に造られた人間のデザイン=

トラーの詳細。

人の教えで、神の顔=実態=言葉を覆っているから、別物の教えが、書いてないのに存在していると思い込んでしまうだけ。

 

WWJDと言うなら、それはトラー=婚姻契約=神の国での生き方

憲法の詳細を生きると言っていると言う事を、知らない間に

唱えていると言う事なのです。

 

神の言葉は、どこをとっても全てはイエシュアを指しているからです。神の言葉は完全=タミーンと言う意味は、神の言葉は、

永遠にフィックス=建てられている=どこも変える必要が無い、手をつけて後で修正し直す必要が無いと言う意味です。

 

トラーが終わりならイエシュアも同時に終了と言う教えになってしまいます。罪の定義も、この世界から跡形もなく消え去り、

この世はまさに無法地帯と化します。贖いも、救いも、恵も

許しも、憐れみも、愛も、慰めも、祝福、神の永遠の私たちへの

保証、約束も全て全て何もかも消えると言う事です。

なぜなら、それらの全ての詳細が、トラーに書かれて

いるからです。神の国のブリット=憲法、神の永遠の保証、約束はこの中に全部書かれているからです。

 

人は知らない間に作る憲法やルールの中に、トラーの性質が

語られている部分はあります。腹に書かれたトラーが、神に

造られた人間の内側にあるからです。どうして、それが良いか

悪いか、その判断の出どころ、基準がどこからきている誰から出た教えなのか、まことの創造主を知らない人は追求出来ない、

分からない。でも腹に書かれたトラーが人を導いている部分は

あります。それを人は、良心、道徳と呼ぶのです。

そうでなければ、この世界はソドムとゴモラそのまま。

殺人鬼、盗人、強盗、ヴァイオレーションだけで満ちる。

ノアの時代の様に悪者ばかりで満ちてしまう事になると

言う事です。

 

又誤解しているのは、イエスさまが来た後はトラーが廃止されて、今までの、古い、霊が人の内側に無い、パワー無しの教え=期限付きで廃れる、縛り付けの仮に与えられた律法は、もう

終わりになったのだ〜と人間の言う教えです。聖書のどこに

そんな事が書いてあるのか、調べればいいのです。全部誤解して読み込んだ人間の解釈が語られて流通しているだけ。使徒や、

パウロが語っているのは、生きている内容は、100%トラーに

関してなのに、全く辻褄が合わなくなります。

 

永遠から永遠にインマニュエルと言う”名”=性質の神、神ご自身の性質は永遠から永遠に変わらないのです。神共に人の間、内側に住む神とちゃんと始めからご自身の事を自ら紹介しています。ちゃんと事実に照らし合わせると、様々な矛盾が浮き上がります。

 

神の霊が人の内側に初めて入ったから、今度は神の言葉、

聖書ではなく、霊にみちびかれて、自分のインスピレーションに沿って、全部行動思索すればいいと言う教えもあります。

 

神の言葉が不要、終わりなら、人の基準が判断の中心になって

しまいます。しかも、聖書に書いてある生き方は、全て100%トラーです。完全に辻褄合わなくなります。

 

でも神=言葉=霊=一体です。神の霊により書かれた神の実態=

神の言葉=トラーだからです。言葉により世界が造られた、

創造物が出現した事を考えるのです。神の言葉に、常に照らし合わせなければ、一体何の霊に導かれているのは知る術は無いのです。自分の悟りに頼るなと言う警告がある通り。常に神のトラー=永遠普遍の神の言葉を基準に思い巡らしなさいと神が教えています。

 

福音書以降も全て、トラーを語っています。それが見えないのは、昇天以降は、別物の教えになったと思い込んでいる、

そう教えられてしまったからです。トラーを知れば、申命記の、民数記の、レビ記の、出エジプト記の、創世記のどの箇所のどの内容の事を、イエシュアが話されているのか、見えるはずです。

福音書以降トラーに相反する、矛盾する事など話してなどいないと言うのが神の言葉の事実です。

しかも、寝ても冷めてもトラーから、意識をそらすなとは

人間は自分の考えに簡単にスリップするから、神の言葉

インストラクションに必ず照らし合わせて、祈る事をしないと

ダメだよと教えています。

 

宗教の作り出した教え。人は神の言葉を生きる必要がなくなったと言う教えなら、一体神の子の生きる詳細は、どの書物の、

どこに書かれているのでしょう?福音書以降など、聖書のほんの三分の一しか占めておらず、それらはトラーの本当に短い

コメンタリーで、人間の生きる全ての詳細など繰り返して書かれていないのです。トラーの中に語られている教えの何かを短く端折って書かれているだけなのに。

 

人間の作り出した不真実な教えを元に聖書を考えていくと、

聖書とは必ず辻褄合わなくなり、その教えは聖書とは異なる事に気が付きます。

世間で流通の教え、大多数が支持している、有名な先生が語るから、神学校で使う教科書に書いてあるから、何世紀に渡り伝統的な教えだから、それられの理由により、その教えが真実である根拠とはならないです。

全ては神の言葉に書かれてあるのか?無いのか?それだけが、

信頼、根拠に値する証拠なのです。

 

1テモテ 1:6

ある人々はこれらのもの<トラーに語られた目標の生き方=愛>からそれて空論に走り、

 

1:7<トラー>の教師たることを志していながら、自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。

 

律法の教師とは、トラーを教える教師の事です。律法を教える

人ではありません。又は、聖書=トラーを書き写す人です。

 

トラーを書き写す人は、トラーの内容をちゃんと熟知していないとならないから、トラー学者とも呼ばれるのです。

そして特殊な訓練を受けてトラーのスクライヴになるのです。

 

トラーを否定する場合、トラー教師とも呼ばれないのが聖書で

語られている世界なのです。偽預言者とか、偽教師と聖書に書いてあるでしょう。もし神の言葉に一点一画でも変化させるなら、

いや、捨てるように教える事をするなら、その結末は死と書いてありますから。それほど神の言葉は永遠に重い。厳重な警告を

もってずっと警告しているでしょう。神ご自身が。

 

神の言葉を否定し、違う教えを語る人達の事です。神が言われていないのに、”神がこう告げた”と人に伝える、語る事をする人達もそうです。

 

トラー=神の言葉=聖書を教えようとして、志ながら、実は自分の言っていること=トラーの内容を知らずに、自分が主張している事も、わからないでいるとパウロが警告、嘆きとも聞こえます。

 

知識の木と命の木=契約の箱=イエシュアが言われた、一点一画も差し引き、付け足しするなかれ、全部同じ事を話しているのです。エデンの園、命の木への道をガードするチャラビム。

 

8節以降に続く