神が創造の始めから造られたシャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

怒涛の数ヶ月が過ぎ、ようやく夏到来です。

この時期は、楽しいけれど、寂しい。なぜなら親しい人たちとのお別れの時期だからです。多くの人が転勤、進学で別の地へ移動して行きます。

 

でも何処へ行っても主は永遠から永遠に共に居られる。

そして何処へ行っても、主の命=言葉を生きる。

地の塩、世の光として。アバ父の言葉を世界の中で生きて

輝かせる人たち。忙しくてもシャバットになれば、止まる。

止まる。止まる。アバがそう言われたから、そうする。シンプルな事実。

 

もしシャバットがなければ、人はずっと活動し続け、努力の手を

止めない。神の意図からずれて生き続けてしまう。

 

主が止まられたから、人も第七日目に止まるよう神がデザイン

したシンプルな事実に生きれば、そこに宝の宝庫が埋まっている

事、必ず発見します。なぜなら、神の言葉は”真珠”のごとく

宝同様、永遠の価値がその中にあるから。

その全ては、私たちの命、関係の世界をガードするもの。

 

宗教の世界は、努力、アピール、パフォーマンスベース、

認められようと頑張る、請い願う別の世界。

 

神の言葉を永遠の価値、重み、何より人の命を保護するためのもの。それが分かれば、神の言われる言葉を捨てる、忘れる、破棄する、終わりにすることがどれだけ愚かなことが気がつく。

 

神の言葉=鎧兜。鎧兜=神の言葉を捨てれば、ガードの無い危ない生き方。

鱗の無い魚の意味が見えてくる。鱗の無い魚は、毒を全て

体内に取り込んでしまう。鱗と言うガードを身にまとっていないから。

 

しかも、福音書以降、黙示録に至るまで語られている内容は

100%トラー。トラーを知れば、福音書から黙示録に語られている内容の詳細は見える。100%トラーだけが語られていることに

はっきり気がつくことができる

 

福音書以降は、新しい教えだと言う教えを聞き、信じる場合、

多分、トラーのオリジナルの言語で書かれている中身の詳細も

じっくり読もう、知ろう、学ぼうなどとも余り考えない。

全ては、福音書以降で事足りるからと教えられているから。

 

オリジナルの中身が分からなければ、聖書に本当は何が書いてあるのか分からないのです。

 

”白ヤギさんからお手紙ついた、黒ヤギさんたら読まずに食べた、仕方がないのでお返事書いた、さっきの手紙のご用は

な〜に?”と同じになるでしょう。

 

この黒ヤギさんは、”あの手紙の中身は何?”と言う質問を

していますが、手紙の内容は終わり、破棄され、無効になったと

伝えられたら、それこそあの手紙の中身の意味は何?とまで

追求しないと言うことです。

 

全ての問題の”根”は、神の言葉を退ける、本当ではない、

又は半分しか真相を伝えていないのだと疑う、それです。

 

それが聖書の中に書いてある一番最大の大きな警告、預言者の警告でもあります。

神の言葉=トラーを退けて行きている人たちへの警告、それが

預言者が書き記した預言書の中身なのです。

 

福音書以降に書かれている、<言葉、掟、戒め、仰せ>とは

全て100%トラーの詳細を指して語っています。

 

父の言葉=イエシュアの言葉=トラーとヘブライ語聖書に

書かれています。古代の人たちはこれを100%きちんと理解していたのです。現代の信仰、神学の中身と、古代の世界のヘブライ人、オリジナル ヘブライ語の世界に生きていた信仰者たちの

信じて生きていた信仰の中身と内容と大きく隔たりギャップが

あるのです。

 

神の真実は永遠に変わらない。神がそう言われたからそれは

永遠に真実。

シャバットは、止まる日。第七日目が神の記念日。

それ以外は、人が作り出した人が願望した記念日。

 

 

ヨハネ14・23-24

わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉=トラーを守らない。

 

ヨハネ14・21

わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現わす。

 

 

出エジプト31:12 主はまたモーセに言われた、

 

31:13 「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。

 

 31:14 それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。

 

 31:15 六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で、主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう。

 

31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。

 

イスラエル=イスラエルの国籍も、契約も無かった民=異教の神々に仕える人たちも、今は同じ国民、同じ契約の中に

加えられた。

エペソ2:11ー19

 

<19そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。>

 

31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、いこわれたからである』」。

 

31:18 主はシナイ山でモーセに語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち神が指をもって書かれた石の板をモーセに授けられた。

 

 

Shabbat Shalom