怒涛の数ヶ月が過ぎ、ようやく夏到来です。
この時期は、楽しいけれど、寂しい。なぜなら親しい人たちとのお別れの時期だからです。多くの人が転勤、進学で別の地へ移動して行きます。
でも何処へ行っても主は永遠から永遠に共に居られる。
そして何処へ行っても、主の命=言葉を生きる。
地の塩、世の光として。アバ父の言葉を世界の中で生きて
輝かせる人たち。忙しくてもシャバットになれば、止まる。
止まる。止まる。アバがそう言われたから、そうする。シンプルな事実。
もしシャバットがなければ、人はずっと活動し続け、努力の手を
止めない。神の意図からずれて生き続けてしまう。
主が止まられたから、人も第七日目に止まるよう神がデザイン
したシンプルな事実に生きれば、そこに宝の宝庫が埋まっている
事、必ず発見します。なぜなら、神の言葉は”真珠”のごとく
宝同様、永遠の価値がその中にあるから。
その全ては、私たちの命、関係の世界をガードするもの。
宗教の世界は、努力、アピール、パフォーマンスベース、
認められようと頑張る、請い願う別の世界。
神の言葉を永遠の価値、重み、何より人の命を保護するためのもの。それが分かれば、神の言われる言葉を捨てる、忘れる、破棄する、終わりにすることがどれだけ愚かなことが気がつく。
神の言葉=鎧兜。鎧兜=神の言葉を捨てれば、ガードの無い危ない生き方。
鱗の無い魚の意味が見えてくる。鱗の無い魚は、毒を全て
体内に取り込んでしまう。鱗と言うガードを身にまとっていないから。
しかも、福音書以降、黙示録に至るまで語られている内容は
100%トラー。トラーを知れば、福音書から黙示録に語られている内容の詳細は見える。100%トラーだけが語られていることに
はっきり気がつくことができる
福音書以降は、新しい教えだと言う教えを聞き、信じる場合、
多分、トラーのオリジナルの言語で書かれている中身の詳細も
じっくり読もう、知ろう、学ぼうなどとも余り考えない。
全ては、福音書以降で事足りるからと教えられているから。
オリジナルの中身が分からなければ、聖書に本当は何が書いてあるのか分からないのです。
”白ヤギさんからお手紙ついた、黒ヤギさんたら読まずに食べた、仕方がないのでお返事書いた、さっきの手紙のご用は
な〜に?”と同じになるでしょう。
この黒ヤギさんは、”あの手紙の中身は何?”と言う質問を
していますが、手紙の内容は終わり、破棄され、無効になったと
伝えられたら、それこそあの手紙の中身の意味は何?とまで
追求しないと言うことです。
全ての問題の”根”は、神の言葉を退ける、本当ではない、
又は半分しか真相を伝えていないのだと疑う、それです。
それが聖書の中に書いてある一番最大の大きな警告、預言者の警告でもあります。
神の言葉=トラーを退けて行きている人たちへの警告、それが
預言者が書き記した預言書の中身なのです。
福音書以降に書かれている、<言葉、掟、戒め、仰せ>とは
全て100%トラーの詳細を指して語っています。
父の言葉=イエシュアの言葉=トラーとヘブライ語聖書に
書かれています。古代の人たちはこれを100%きちんと理解していたのです。現代の信仰、神学の中身と、古代の世界のヘブライ人、オリジナル ヘブライ語の世界に生きていた信仰者たちの
信じて生きていた信仰の中身と内容と大きく隔たりギャップが
あるのです。
神の真実は永遠に変わらない。神がそう言われたからそれは
永遠に真実。
シャバットは、止まる日。第七日目が神の記念日。
それ以外は、人が作り出した人が願望した記念日。
ヨハネ14・23-24
わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉=トラーを守らない。
ヨハネ14・21
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現わす。
出エジプト31:12 主はまたモーセに言われた、
31:13 「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。
31:14 それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。
31:15 六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で、主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう。
31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。
イスラエル=イスラエルの国籍も、契約も無かった民=異教の神々に仕える人たちも、今は同じ国民、同じ契約の中に
加えられた。
エペソ2:11ー19
<19そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。>
31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、いこわれたからである』」。
31:18 主はシナイ山でモーセに語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち神が指をもって書かれた石の板をモーセに授けられた。
Shabbat Shalom