名も無い、何でもない、普通の人、しかも育った場所は、メソポタミアの異教の地、親はバリバリの異教の神を信じる異教徒です。そんなペーガン=異教徒の親に育てられたアブラハムと言う一個人、たった一人の人を全世界の国民の中からの中から取り出して、呼び出して、神は様々な約束をしました。
初めからある”神のプラン 実態”をアブラハムに示した。
それは、全世界へ示した。アブラハムを代表として、
アブラハムを通して、天と地を証人として神がアブラハムに
表明、告げた実態を全世界に同等に与えたのです。
それは、アブラハムを特別扱いするためではないのです。
アブラハムを通して、”全世界の国民を祝福するため”と
神が言われた事実があるのです。アブラハムは、全世界の
国民の”祝福の源=父”として立てられる役割を与えられたのです。
アブラハムの以前の名前は、アブラム。
アブラハムと言う名に変えられた。神の個人名である、
”ありてあるお方” 過去も現在も未来も変わらず全ての
供給を与える源、そして”世の終わりまで共に居る”と言う意味、永遠に共に居る神である意味のある言葉です。
様々な名前で神が永遠から永遠に人の内側に住むと書かれているのに、使徒2章で初めて解禁になった。人の中に神が住まうようになったと言う解説をするのです。元がギリシャローマ異教徒思索の発想だから。ヘブライ語の聖書に根付いたヘブライ思索をする人達はそんな事、微塵も考えないです。
聖書に基づけば、初めから神は人と共に住まう事がちゃんと
書かれているから、神が言われた言葉を本当に信じているから
です。
ヨッド ヘイ ヴァヴ ヘイと言うヘブライ語4文字の
”ヘイ”と言う文字を挿入されてアブラハムと言う名になった。
”あなたは神の性質を帯びている”と言う実態、証拠です。
名は体を表す。名と言う意味は、ヘブライの世界では、
”実態” ”評判” あなたは誰か、あなたの生き方は名前の通りに
生きる。実態を生きるそう言う意味です。
神はアブラハムに約束されました。
土地=国を与える事。アブラハムの子供たち=神の国の実態を
生きる人達を与える事。神の家族として、神の実態が表される
場所=神の家を与える事。
そしてアブラハムを通して全世界の国民が祝福される
そのコミッション=報酬にについて。
全世界の中に、たった一つの国民を”イスラエルの神”の命、
言葉、生き方、姿を表す代表として選び出して、神の家の子らの
生き方を世界へ知らせる、地の塩、世の光としての役割を
与えたのです。
イスラエルは、救い主の国であるのに、イスラエルと聞くと
憧れと、逆にある人は反発を感じるのです。
なぜなら、イスラエルではない!今は一つでは無い。
今は異邦人が本物の神の民に選ばれたのだと言う教えをされて来たからです。
神のプランは一つです。
”同じ1つの大家族” ”同じ1つの神” ”同じ人間” ”同じ1つの
婚姻契約を生きる”。
元の家族=イスラエルに、養子縁組をされて異邦人=異教徒を信じていた人達が加えられると書かれている事は永遠に変わらないのです。
考えたら分かるのです。元は1つです。1つの親から出てきた、
造られた全世界の人類。別々の親では無い。1つ。全部1つ。
神の国には、どこの国の人種か、どの性別か、
宗教グループで仕分けされる、様々な隔ての壁など何もない
国なのです。人間が隔ての壁=宗教の人間が作り出した教えで
人を分別、仕分け、隔たり、境界線、壁を作り続けて分裂、
空中分解を続けてきた。それを終わらせる。つまり最後は、
エデンから出たので、エデンに戻る事が神のプランだと
書いてあるのです。
あなたの中に住んでいる”イエシュア”と、私の中に住んでいる
”イエシュア” アメリカ人の中に住んでいるイエシュアと
ユダヤ人の中に住んでいるイェシュア、ヨーロッパ人の中に
住んでいるイエシュアと、アジア人の中に住んでるイエシュアは全部別のバラバラの事を言うイエシュアなのでしょうか?
錯乱、混乱、分裂、不一致、一貫性の無いことを言い続ける
不安定な神=救い主なのでしょうか?
この点を考えてみたら分かるのです。聖書に基付いて。
イエシュアが内側に住む人達は、イエシュアの実態=トラーを
生きる人達であると聖書に書いてあるのです。
イエシュアの命、実態を内側に頂いた人は、イエシュアの実態=トラーを本当の意味で生きて世界を生かす人=地の塩、世の光、光の子として世界に輝く灯台の役割になると書かれているのです。
イエシュアを信じたら一体何を生きるのでしょう?
福音書以降に書かれていることを生きる?それなら、トラーを
生きると言う事を知らずに言っているのです。内容はトラー。
その詳細が書いてあるとイエシュアは言われたのでしょう?わたし=トラーに書かれていることを知ればわたしが
分かるとイエシュアは言われたのです。
言葉=トラーが肉体を取って来られたと書かれています。
イエシュアが生きて教えたその詳細は福音書以降には細かく全部は書かれていないのです。トラーに書かれていることを読めば分かるから。
それには、神の国がどんな国なのか、神が造られた人が生きる国が必要だからです。異教の神々の習わし、生き方、教えと
一緒くたでは区別が出来ないからです。そして神の家=神の子らが人間の生き方の詳細が表れる、贖い救いの実態が
あわらされる場所である神の家が造られたのです。
天にある現実を地に映し出す鏡としての国民。
世界中が、ここを”お手本”ゴールにする様に神が決めたのです。
だから、イスラエルはずれたら”訓練”が重たい。
世界にイスラエルの神、神の子らの生き方を歪めて生きたら、
世界を危険、破壊に巻き込むからです。
今までは、イスラエルがお手本になる様な生き方をして来ませんでしたが、預言ではこの先大変革が起こる事が書かれています。
そして、異邦人=異教の神々に仕える国に生まれた人達でも、
イスラエルの神の言葉、招きに応答する人は皆同じ一つの家族、
同じ契約の生き方に加えられる事が聖書全体に書かれているのです。バラバラな2つの家族と言う教え、教会とユダヤ人と
分ける教えは、聖書とは異なります。教会と言う言葉、コンセプト自体聖書に無い造語、人間が作った教えです。
そんな事は書いてないからです。1つの家族と書いてある。
イスラエルの国籍もなく、神の契約から遠く離れた異邦人も神の只中に引き寄せられたと書いてある通りに。ちゃんと書いてある通りを信じて読めば見えてきます。何が本当に聖書に書かれているのか。
父アブラハムはたくさんの子供がいました~と言う英語の子供の
歌があります。
父アブラハム、ユダヤ人だけではなく、イエシュアに属する
全ての全世界の国民です。
神がそう言われたからです。アブラハムとて、ただの異邦人だったのです。メソポタミアと言う場所に生まれた、異教徒の父を持つ生まれの人です。
私たちは、イエシュアを信じる異邦人=異教の神々に仕える、
イスラエルの神を知らない人たちも、イエシュアを信じるなら
同じイスラエルの神の家族=アブラハムに繋がる”彼の家族”に加えられると書かれているのです。
もちろん、直接アブラハムと血のつながりのある人々も、
そして全て”イスラエルの神、イエシュアを信じる人達”も
同じ一大家族の一員だと聖書には書かれています。
二つの分裂した家族ではないことが書かれています。
続く