どんな人でも、もし真摯に神の言葉、トラー、預言書を、
書いてある通りに学んだら、そこに書いてあるのは置換神学ではなく、別の神々、別の神の混ざり物の宗教、教えに走り、
夫の言うことを退け捨てて、別の夫に走った姦淫の妻イスラエルにずっと誠実を行い続け、待ち続け、永遠に裏切らない神が
書かれている事に気がつくはずです。
もし、イスラエルを捨てて、異邦人に乗り換えるなら、
それこそ、異邦人もいつ何時どんな理由で見放されても
おかしくないと言う事になります。途中で神が約束を翻すなら、これからも翻す可能性があると言う事になります。
問題は、トラーを学ばない、預言書も学ばない、ほとんど読んだこともない、聞いたことも無いと言うところにあるのだと
思います。
何が書いてあるのか知らない、分からない。
妻が裏切ったら、夫は妻を捨てて別の人に乗り換えるなんて事は
聖書には、書いていない。裏切った妻を見切りをつけて見捨てて別の契約書を、別の人に渡した事など聖書には書いていない。
そして、別の契約書もこの世界のどこにも存在しない
クムランの洞窟から出て来た死海スクロールの様に
そんな別の書き換えされた契約書など、どこからも永遠に
発掘されない。その様な別の契約書など世に存在しないからです。
それが読み取れないと言う場合は、異教徒思索の人間が作り出した神学の目を通して聖書を眺め続ける、読み続ける、考え続けるから、神の語る言葉の真実が歪んで見えてしまうだけなのだと
思います。聖書に書いてある通りの事実に基づき、ずれないで
まず読んでみる。
人の教えのフィルターを通せば、神の言葉は、書いてある通りに見えなくなり、聞こえなくなり、その結果聖書とは異なる、別の教え、人造神学が生まれる一番の要因であることは明らかです。
だから、神の言葉、契約は永遠と書いてあっても、2000年前に終了したと言う人造の教えを本気で信じることが出来るのだと思います。簡単です。神の言葉ではなく、人造の教えを買ったからと言う理由です。その人造の教えが世界に浸透してしまった。
進化論を信じるからくりと全く同じ。嘘でも本当だと信じ込める思考回路。
聞いている教えが、神の言葉ではなく、人間の創作の教えや
神学である場合は5万とあるのです。中世など聖書も所有できなければ、トラーを知る教師、教父も居ない、トラーを教えられない時代があったのです。だから聖書では無い教えで膨れ上がったのです。その聖書では無い人造の教えの根はしっかり残り、世界を覆ってしまった。
聖書ではない教えが、あたかも神が言われたと伝えられ続けているのです。
これから今週の土曜日の日没、6月8日にシャヴオートが
来ます。これはギリシャ語では、50日目を表す言葉で
”ペンテコステ”と呼ばれますが、なんで50日目なのでしょう。
ヘブライ語では、シャヴオート。”週”複数を表す週です。
過越から7週、種無しパンを食べる週、そして初穂を祝う、穂を数える週を通り、7回のシャバットを祝った後に来るものが
”シャヴオート”の祭りです。50日目。これは都上りの祭りです。
もし、このシャヴオートが今でも意味がある祭りとするならば、
それは、神の造られた記念日が全て同等に意味があり、今日も
神の側には有効である事を認識する必要があるのです。
シャヴオートは3大都上りの祭りの一つです。
過越、シャヴオート、そして仮庵。どれも永遠に祝うわたしの
記念日と、神が言われた記念日です。人間が祝わなくても、神は毎年変わらずにこの日を定めの日=祭りとして定めています。
私の体は、”心臓”だけあれば事足りていますと言う事にならない
のと同じです。体の部分が全部揃って、シャローム=完全なる神の記念日のデザインのワンセットなのです。
どこも外せず繋がっているからです。そして神の記念日は、
福音の中心=イエシュアそのものなのです。義の道のサイクルを歩むとダビデが詩篇23章で言ったのは、まさにこの神の記念日のサイクルを生きていく道の事。
道=イエシュアそのものの内容を語っているのです。
ちょっと飛びまして、シャヴオートの出来事は、黙示録に書かれている内容とも繋がっています。
出エジプトした人たちが、シナイ山で初めて”トラー”文字で書かれた神の婚姻契約を渡されました。
黙示録に、7つの”カハール”が書かれています。
教会と言う造語ですと、様々な事実が隠されてしまいます。
1 教会と言う造語により、使徒以降、新しいグループ=異邦人の別グループが出現し、異邦人に別の契約が与えられ、
イスラエルに取って変わって別時代が訪れたたと言う人造神学による創作の教えが事実を覆い隠してしまいます。
乗り換える神像であるイスラエルの神は、聖書に書いてある神
では無いのです。異邦人が想像して編み出した神像です。
聖書に書いてあるのは、1大家族=初めから存在している
”残りの民” 神に呼び出され神の言葉に応答し、神の婚姻契約に参加、加えられた人々です。1つ家族の中に、加え続けられて行く過程が書かれているだけです。別物は出現しない。別の神が出現しない様に。隔ての壁を壊したとパウロが言った通り。
ちゃんと聖書に事実が書かれている。”同じ契約、同じ羊の囲い、同じ木に接ぎ木された”とパウロも解説している通りです。別々の木、別々の2つの羊の囲いに加えられたなどと聖書には
書かれていないのです。
なぜ、5つのグループは、強く非難、叱責され、2つのグループは
神が認めたグループだったのか?
一体何を基準に神はそんな事を言われたのか、書いてある通りに読めば良いのです。何が神からの”叱責”の原因でしょう?
黙示録2章にある、エペソのカハール=エクレシアに対しての
警告と同じです。テモテはエペソに遣わされました。
テモテは何をエペソで教えていたのでしょう?
”トラー”です。この事実に欠落しなければ、見えてきます。
この事実に目が開かれれば、聖書全体は、”トラー”に関して100%書かれている事に気がつけます。預言書、預言者の警告は、黙示録の2章に書かれている内容と全く同じだからです。
トラー=それ以外の神からの”テキスト”は、この世に無いからです。
エペソのエクレシアに対しての警告は、全てのイエシュアの契約の中に加えらている民への警告でもあるのです。
何の警告が書かれていますか?
”あなたは初めの愛から離れてしまった”
初めの愛の定義は聖書に書かれています。
シナイ山で与えられた”婚姻契約”=トラーです。
あなたの若き日に与えられた、あの荒野で慕い続けた神の言葉=婚姻契約の内容を生きる事をあなたはすっかり忘れたと書いてあるのです。その通りのことが歴史の中で起こり続けています。
続く