神の時の中を目覚めて生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

過越の晩餐から始まり、種無しパンを食べる週は今日で

終わりです。ちょうど今日はシャバットで閉じる日。

ダブルシャバット。過越の後、初穂を捧げる日、同時進行で

シャヴオートに向けての、穂を数える7週の中に

今居るのです、穂を数える=新しくされた人が成長する

様子の日々を回想する7週です。

 

”過越”の祭りは、救い、贖いをそのまま表している、

語っているものです。語るだけではなく、神の記念日は実際に

繰り返し繰り返し神のされた業の出来事を追体験して行く様に

デザインされています。

 

神の暦、記念日を生きていくと必ず気がつける事があります。

”神は神の記念日”モアデイム=定めの時に福音の重要な

出来事をしていること。

ランダムな意味の無い日では無いのです。だから神の記念日が

いつであるかを知る人達は、目覚めている状態であるのです。

 

不意打ちに合わない。繰り返し、繰り返し、準備しているから。

 

春の神の祭りは、過越=出エジプト、子羊の血で守られた、

贖われ、救われ、新しい命を頂き、神に受け取られている。

そして、春の祭りの記念日に起きた出来事、

イエシュアの地上の到来、そして、”過越”の祭りに処刑され

子羊の血で復活され=新しい命にされ、<初穂を捧げる日>

神の前に傷のないものとして受け取られている。自分の新しい

身分である=シャヴオートは、花嫁である事を承認する

婚姻儀式、文字で書かれた婚姻契約書が、人類初めて、長子=

イスラエルを代表として、手渡されたのです。これらの春の祭り

で表される一連の出来事はすでに地上で起きた出来事だと気が

付いてみれば見える。秋の神の祭りは、将来起こるイエシュアの

再び到来する時の一連の出来事である事をトラーを知る人達は

知っているのです。ショーファーを鳴らす神の時を知らせる

王の戴冠式大贖罪日への10日間、そしてイエシュアの中に

永遠に住まう、子羊の婚姻の宴=仮庵の祭り。

 

神の言葉の真実の点と点をつなぎ合わせていく事ができれば、

神は永遠普遍である。神の言葉も婚姻契約も永遠普遍である

ことに必ず気が付ける時が来ます。別の教え=神の真実とは

違う教え=神の言葉、約束、契約は歴史の途中で終わったと

言う不真実な教えと繋がったら、神の言葉の真実の点と点が

繋がらないので、真相、事実が、見えて来なくなって

しまうのです。

 

気がつくと思いますが、神のデザインはサイクルです。

同じ箇所の聖書を読んでいても、読むたびに気がつく内容が

又違うことがある。どんどんどんどん理解が深く、広くなって

行く。

 

の戦いと書いてありますが、霊の戦いの本質、中核は何で

しょう?悪霊が襲って来て、具合悪くなる〜とか、悪霊に

妨害された〜大事な話をしているときに、話の腰を折られて

邪魔されたとか、色々あると思いますが、実際には何が一番の

問題なのでしょう?

 

サタンの一番の仕業は、神の言葉を否定する。違う教えで人を

騙して行く事。本物の花婿から、花嫁を奪い取る。本物の

花婿が花嫁に語る言葉をうまい具合に疑わせて、自分の言葉に

引き込むこと花婿の婚姻契約を捨てさせて、花嫁の姿を

生きることを否定させ、忘れさせ、大事な婚約日や結婚記念日を

忘れさせ、偽の花婿の要素が混じるもの、違うことをやらせる。

これが、霊の戦いの本質です。

 

ちゃんと聖書の始めに警告されている通りです。神の言葉を

知ることから、うまい具合に、はぐらかされて別の事に

一生懸命にならされてしまう事。神の言葉に基づき命を

ガードし育む生き方ではなく、誰かの作った宗教の教えを

生きさせられてしまうこと。

 

命の木からだけ食べなさい。この一言に全部が凝縮されて

詰まっています。

命の木からだけ食べてと言われて、エデンの園では、

それ以外のインストラクションが、神から伝えられなかった

と思いますか?なんでもありだよ他は〜と。

そんな事ではないでしょう。全部を一度には書けない。

詳細全体は、トラー全体で解説しているのですから。

トラーのライフスタイル、知恵=諸書、そして預言書は

トラーから離れて生きている人達への警告です。

 

アダムとエバはエデンで同じく神のトラーを全部聞いて

いたのです。だから、何の解説も脈略もなく、エデンの園

から出た後、突然コバーンを捧げている下りが書いてあります。

 

始めの箇所で全部説明していないだけ。ヘブライの世界は、

時系列にものを書いていないのです。前後左右、永遠と

この世の領域を行ったり来たり。何度も繰り返される事が

書かれていたり。歴史と言う言葉もないのです。”記憶”です。

出来事の記憶。

 

この一言で全部表されている。木=神=救い主を表す言葉でも

あり、命と書いてある。詰まり”命の源”であるお方=神=言葉

=木からだけ食べよと言われたのです。神の言われた通りだけを

生きれば安全。その命に繋がる木の実だけを食べる。

全部繋がっています。詩篇1

 

本物の主人の言う事ではなく、偽の主人の言う事の方が

本当だと思わせる、それがサタンの手口。その作戦はエデンの

園から全く同じ。歴史はそれの繰り返しの連続です。

 

簡単にシンプルに、誰にでも分かるように、本当は聖書には

書かれています。古代にトラーを聞いた人は、皆聞いただけで

何を言われているのか分かった。禅問答みたいに、何が

書かれているのか、想像してみて〜なんて世界じゃない。

 

みんな聞いたら分かった内容なのです。遥か遠く、トラーを

捨てて、中身を聞いた事も無い、

現代の異教の神々の中で、契約から遠く離れた人々には

分かった様で分から無い内容なのです。

又、分から無いと言う事の中には、ミステリーもありますね。

ミステリー=謎とは、分かった様で、説明が出来ない事。

人間の知恵では、到底理解、説明、解説不可。

人間の知恵を遥かに超えた、創造主、神の世界だからです。

 

誰もが奴隷であったことは、過越の一連の出来事と

繋がっています。

偽の主人=別の旦那=その本当の正体は悪霊、その奴隷だった。

悪霊と言うと、ドクロや、気持ち悪い画像が浮かびますが、

それもそれです。美しくない、醜いもの、怖いもの、暗闇。

おぞましい、見たからに恐ろしい、拒絶感、違和感感じる

イメージがある。それは、分かりやすいでしょうね。

 

でも、もっともっと分かりにくいのは、誰も分からない様に

知らない間に忍び込み、人々の意識を乗っ取ること。

人を偽の価値観や教えで縛り付けるもの。

意識を乗っ取る=神の性質、教えとは違うものを頭脳にしっかり

放り込まれてしまう事。そして、神に敵対しているつもりは

なくとも、実際は神に敵対する。神の権威に対して、

反抗、挑戦する。=そんなことしているなんて夢にもつゆにも

思い浮かばないまま。ダニエル7:25  マタイ7:21ー23

 

偽の主人の元で、本当の主人に繋がって生きれない日々を

送っていた。

エジプトでレンガ=虚しいものを積み上げた事と全く同じ。

命に繋がらない生き方をしていた。でもその中にはまやかしの

楽しみもあった。それが過越の晩餐で食べるハローセット。

でも本当は苦菜=マーロー、偽物に縛り付けられて苦しんで

いる自分の姿。それは、社会のシステムかもしれないし、

自分の親やその又親から伝わってしまった悪影響。

誰もが、環境の中、周りの人達から、傷や歪みや偽物の

自己像を教えられ続けてしまっているのです。

 

創造主を知らない、創造主が語る”自分とは誰か?”を知らない

人に、自分は誰かの自己像を刷り込まれ続けてきたのです。

神の目から見てくれる、神が造られた本当の自分を教えて

くれる人が周りに誰もいない。

 

もっと分かりやすく言えば、神に属するものではないとは、

気が付けないような事です。

この世の競争もそうでしょう。誰かと比べられること。

金槌と、釘を比べても、用途が違うのに、釘に金槌の

役割を強いたり、金槌に釘の役割を強いたり、

又は、皆がこの世で高く評価される様な事を出来ないと

ダメ人間と言われる。常に常に競争。誰がどれだけ

芸ごとや、色々な能力を発揮しているのか?

勝ち負けの世界。一体人は自分で自分を生み出したのか?

て事を忘れている。神が造られたそれぞれにデザイン

された本当の自分を生きる事を教えてもらえない世界。

 

本当の自分を引き出してくれる、自分を生きることを教えて

もらえる教育をしてもらえない。

 

続く