主の晩餐 セーダーの晩餐の実際の流れ 3 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2回目の 手を洗う儀式をします。その後に、祝福を祈り、

マーロー=苦菜=わさびや大根おろし代用でも良いです。
苦菜を食べる。マッツア=種無しパンと共に食べる。
無ければ、小麦粉と水で薄いパンケーキを作る。
マッツアに苦菜を一緒に乗せて食べる。

そして ハローセット=甘いジャムを、マッツアと一緒に

食べる事をしてエジプトの奴隷であった事の、苦みと騙しの

甘みと本当の姿の自分=マッツア=パン種が削ぎ落とされた人

でありながら、自分の本当のIDを見つけられず、苦役、

苦悩の中で悩んでいた事を思い出すのです。

その後に寸劇をしても良いですし、おなかがすいている場合は、

先きに羊肉 メインコースを食べても良いです。自由に。
食べながら寸劇や質問をしても良いです。

その時に子供達を集めて、ある質問をさせます。
居なければ、いる人達に質問、お互いに考える時を持つのです。

イエスさまが祝った過ぎ越しの晩餐のユダヤ人の伝統的な

祝い方です。聖書の中から2つの神からの仰せがあります。

この夜は 全ての物を目に見える形、物にしなさい。
この夜が来たら、目覚めてていて、何が起きているのか 
気づきなさい。
神が何をされようとしているのか、目覚めて見ていなさい。
ガードしなさい、見ていなさい。神が、あなた方のために
すべてのことをなそうとしている事、あなたの人生の中で 
成し遂げようとしていることを見なさい。

今晩集中して、考えるのです。以前はエジプトに居たが、

今は自由である。でも私達の肉はまだエジプトにいるのですが
今晩自由になるのです。今までこの晩餐の中でした事は 
奇妙であり普段しないことです。

これらのことは,普段にはない奇妙な事なのです。
これがこの晩餐の夜ずっと続くのです。

目的は出エジプト12章の主の仰せによります。

過ぎ越しを祝う時、子供たちが来て、何故これをしているの?

と聞かれると書かれています。
この祝いの晩餐の中でする事は奇妙であると、子供に疑問に

思わせるためにそうするのです。子供達の中から質問が何も

なければ、答える事は出来ませんが、子供の中で誰かが

質問すれば、真実を答えてあげるのです。

つまり、子供たちに色々質問を出して、このエジプト=

奴隷の王国=サタンの国から神が引き出して下さった、

脱出劇を子供に考えさせ、答えを彼らの中から引き出す時間を

造るのです。

何を聞いて良いか分からない場合、その質問の数々を予め、

色々聖書からの質問事項を大人が考えておくのが良いと

思います。

何を思い出すためでしょう?神があのエジプト=闇の王国の

王の支配者の奴隷状態から、私達を救い出して下さった事を

思い出すのです。力ある御腕でこの世の闇の力から、一方的に

引き出して下さった事を、皆で思い出すのです。

過ぎ越しの楽しい晩餐をしながら、これを皆で思い出す。
神の救出、助けの手、突然に救い出し、神しか出来ない不思議

な方法で、不思議な手順で助け出して下さった事を、皆で

思い出す時、私達はより一層強い印象を持って、過越の

出来事を思い出す事が出来るでしょう。

私達全て誰一人もれなく、この世の闇の支配者の奴隷で

あったのです。主の中=エデンの中ではない、外側に居て、

ズレて生きていた。罪人と言う言葉ではなく、この世の偽の

主人、支配者の奴隷であったのです。本来あるべき場所に

存在していなかったのです。
本当の姿ではない姿で、生きて来たと言う事なのです。
当時
の中東付近で、エジプトは最も力ある国だったのです。
その支配者は、すなわち闇の王国の支配者を表しています。
でも、イスラエルの神は神の自由、私達の本来の姿に戻す

ために、乗り込んで来て下さった。
私達は、もう二度と人間の奴隷 この世の闇の奴隷になる

必要はないことを知る必要があるのです。

塩水=血を表すものです。そしてパセリ、セロリの葉でも

良いです。ヒソプを表すものです。
パセリを塩水に付けて、テーブルの上に振りかけます。
これは、”過ぎ越しの屠られた子羊”の血が、鴨居にヒソプで
塗られた事に繋がります。
 

続く