春の神の記念日に向かう今のシーズンは 神のオリジナル本当の福音を生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今年2019年の”過越”の祭りは、4月19日スタートです。

 

シャバット?と言う言葉を、アメリカの牧師さんでも

知らないと言うほど、どうしてヘブライの世界、ヘブライ語

ユダヤ人の書、文献であるオリジナルの聖書から

遥か遠くに離脱してしまったのか?

 

それ以前に、神の記念日や神の言葉=トラーを生きる事を

どうしてこれほどまでに悪=悪い事=恵に反することなど

と言うコンセプトを頭脳に刻み込まれてしまったのか。

生きることはハ マシア=イエシュアと書いてある意味は、

イスラエルの神を信じる人=神の言葉を神の言われた

通りに生きると言う意味なのです。

 

聖書に書かれている”別の福音”とは、トラーとは

異なる別の教えを指している事実に気がつけば

見えてきます。

 

祭りの意味を説明する前に、今も書いているのですが、

どうしても誤解を解かないとならないのです。

神の言葉に対する誤解が解ければ、神の教えではなく、

人の教えを信じていることに気がつく。

それは、どうして別の福音=誰かの作り出した、教理、

神学がどの様に出現し、混入したか知ればよいのです。

 

どうして12使徒達やパウロが悲惨な終わりを遂げたのか。

トラーを捨てたい、終わらせたい、ローマにより処刑された

からです。

 

パウロはトラー以外の別の福音など伝えてもないし、

生きてもいない事実が聖書に記されています。

書いてある通りに、読めばわかる。そこは1世紀の信者=

ナザレ派も、ヘブライ人がトラーを生きていることだけが

書かれているからです。

 

パウロが割礼を禁じたのだ、昇天以降は何でも食べても良い

ことになったのだと言ったのは神ではないし、使徒でも

聖書記者ではない。トラー=神の言葉を否定した、

西洋人教父たちの教えです。これは、文献と史実がはっきり

と残っていますし、後世にアメリカナイズ、ヨーロッパナイズ

された神学の土台=デスペンセーション神学や、置換神学が

生まれた元ともなっている教えです。

 

シャバットや神の祭りは終わり、別の祭り、記念日になったと

言う教え。聖書のどこにそんな事が書いてあるのでしょうか?

書いてないのです。。根拠の無い空想都市伝説であることは

聖書に戻れば明らかです。

 

誤解し続ける理由は、使徒に書いてある内容を逸脱して

読んでいるからです。

 

ローマの教えをする人達に、教えられたからです。

その証拠に、ヘブライ語聖書、トラーを熟知し、トラーを

生きている教師に習ったと言うのをただの一度も聞いた事

無いですし、周りにも、その様な教師を見つける方が

至難の業だと思います。聖書に書いてあるヘブライ語の

本当の意味を聞いたとしても、そう簡単には答えは得られない

ほど、ヘブライの書=原書を学ぶ、知ることからかけ離れた

世界を何世紀も通ってきてしまったのです。お家元を

抹消しようとしたからです。教師が居ない。見つけられない。

 

論点に目を留めていない読み方、プラスはじめからトラーは

終わりと言う、その教えを元に読み込んでいるから、聖書から

逸脱した、誤解した解説を作り続けていくのです。

 

パウロの書簡の論点を誤解して読んでいるだけなのです。

簡単に言うとこうです。パウロが語っている内容は、

”義”とされる、救いを得る目的で割礼を受けるなかれ。

この割礼もアブラハムの割礼ではなく、”改宗”してユダヤ人

の身分を得る儀式の事を話しているのです。

 

ユダヤ人になる儀式を通さなければ、来るべき世であなたの席

はありませんよ。歪んだ選民意識=ユダヤ人だけが神の国

に住まうと考えるずれた思想です。そんな事しなければ、

神の家に加われないと考えるそのずれた考え、ずれた目的の

ために、割礼と言う儀式をするなとパウロは言っているのです。

アブラハムの割礼に意味が無い、呪いなので、割礼をするな

など、パウロは言ってなんかいないです。

 

クリスチャンで言えば、救われるために、神の子と認められ

る、そんなずれた目的で洗礼受けるなかれです。目的がずれ

ていれば、儀式をしても意味がないのです。

信じた証でしょう?割礼も同じなのです。しかも、知らない

間に付けられている。義とされた事は100%無償のギフト

だからです。

 

アブラハムの割礼は永遠普遍です。この内容は又別の時に。

そして、神の宮である人は、神の宮に持ち込めない、ありと

あらゆる、ゴミ、毒、ウイルス、細菌を、取り込み、

消化せず内側に溜め込み、外側に排出する機能の無い、

陸の、海の掃除機の役割を持った動物は、人間の食べ物と言う

目的で神は元々造られていないのです。これも別の時に書き

ますが、それらの動物の性質を含めて書いてみます。

調べれば分かる。口には甘く、腹には苦い。

 

今日、ワニを、ネズミを食べることに対して、ゲゲ〜と

拒絶反応感じるなら、理解出来ると思います。

全て、自分の生活習慣を基準に考えて、それを元に

判断しているから見えてこないだけです。

ワニ=ネズミ=ぶた=ロブスター<ゴキブリの仲間>

鱗の無い魚、貝類。ワニもネズミも豚も同じです。

これらは、神の目から見た同じカテゴリーの動物です。

危険な毒な食べ物を毒だよ、ダメですと言う親は

律法的?厳しいのでしょうか?創造主が何より

ご自分の造られた動物、人間の食べ物に関して

ご存知なのですから。素直に聞く。安全のために。

すぐには死なない。

 

しかも、食物規定が変わったとしたい人達により、

聖書に無い文章の挿入の書き込みまで、翻訳聖書には

されてしまっていますから。鉤括弧がある場所は、原書に

無い文章なのです。異邦人は平気で神の言葉に付け足し

削除する。神の言葉をまるで無視しても平気な感覚を

持っているからです。それが聖書を一字一句神の言われた

通りに書き記したユダヤ人達の意識と異なる点です。

 

改善された翻訳聖書がなおも、100%真実であると

思い込むなら、そんな付け足し削除でさえ、

神の言葉であると信じ込んでしまうのです。

だから、元の意味=証拠に戻る必要があるのです。

翻訳聖書は変えられても、ヘブライ語聖書はそのまま、

ブレずに保存されているからです。神が保存している。

 

今一度、1世紀以降、クリスチャンと呼ばれる人たちとは?

新しい契約が出たと思っていることに関して。

クリスチャンと言う言葉は、ヘブライ語では無いです。

キリストにつくもの。キリスト=ハ マシアに付くもの。

彼らは1世紀のグループの中の一部、”ナザレ派”と言う

ヘブライ語の名前で呼ばれていたのです。

 

この道のものとか、救い主に付くものと言う言葉は

外部の人たちからつけられた言葉であり、

クリスチャンと言うヘブライ語でも無いのです。

 

もちろん、クリスチャンはイエズスを信じる人たちと

言う意味のタイトルで使っていると思いますが、

ユダヤ人には、ローマ・カトリックの別の教えを

信じる人たちと考えるのです。1世紀のイエシュア信者

の中には、トラーを捨てて生きる人は誰も居なかった

事実に目を留めて見ると分かります。

 

これらを、一旦全部リセットして、1世紀から4世紀

ヘブライ、イエシュアの教えた信仰の土台を

覆された経緯を、もう一度書いてみたいと思います。

 

事実だけ、真実だけを見て、真実だけをつなぎ合わせて、

神の言葉に照らし合わせて、自分は、信仰の土台を

何に根拠を置いているのか、点検する必要があるのです。

 

 

続く