地の塩 世の光として生きることは  神の記念日を生きて世界へ表すことでもある | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットは、単純に自分と夫婦、家族の絆、関係を

取り戻す日でもあるのです。家族のための日。だから、

あなたの住まいに於いてシャバットを祝いなさいと

神が言われているのでしょう。余計な事をしなくて良い日。

神の前にパフォーマンスして、お伺い立てたり、

認められよう、宗教ルール、おきてのノルマ達成しています

と、神を印象付けようと頑張っているずれに気がつく日。

神が人のために100%全てを用意してくれた事を

忘れない。100%神の業から生きる。

人間の努力で神に近づこうとする思想は、それこそが

偶像礼拝、律法主義と呼ばれている性質そのもの。

 

努力で神を喜ばせ、懺悔で神に請い続け、そして自分の願い

を、しつこく申し立てて、希望の事柄を手に入れる=これが

偶像礼拝の図式。

そして、律法主義は、自分の努力で”義”神の前に

御目に適う自分になろう<なっている事を忘れて>と

すること。義とされる目的で、神の言葉を生きる、

様々な事をやる事、それが聖書の定義する律法主義。

 

シャバットは、人の子のために造られた。

創造物含め、労働者も全て止まる日。本当は止まる日。

でも、異教徒の世界は、第七日目を止まる日とは定めない。

異教の神の世界、ローマでは休んだら怠け者とイスラエルを

軽蔑した通り。その意識は、神の前に詣でて、どれだけ

やってるか、パフォーマンスさせる世界=それが異教の

神々の意識。

 

シャバットは、止まる日。今日本で第七日目を止まる日、

仕事学校は休みがほとんどですが。中には労働日の人も

異教の国にはいます。24時間休まず店は開いて居ますから。

昔は日本の学校も土曜日は半日学校に行ったりしましたが、

今は土日が休みです。

 

家事も食べることに関しだけ、最低限。余計な掃除や洗濯、

作業、修理なんてしない日。大事な事=関係の世界、

そして神の言葉をゆっくり考える、話し合う事を

互いにのために向き合う時間を妨害されないために、

余計なことをしない。

 

神の言葉=聖書に書いてある事実だけに戻る。神がそう

言われたら、永遠普遍の意味があるので、今全部分からなく

ても、神が言われるのだから、神の言われた通りに

やってみると言う、意識、態度、選択は何より大事。

 

不思議な事に、神の記念日を生きるなら、神は約束された様

に特別な出会い、福音の真髄をこの記念日の意味を通して

ずっと教え続けてくださる。

神の言われた事を、意図通りに過ごしたら、収穫があるから

です。農作業と同じ。神の言葉通り、言葉=的を射れば、

命の木をガードすれば豊作。イエシュアの言われた通り右に

網を下ろしたら、大漁だった。自分たちが一晩徒労したのに

収穫はゼロだった様に。イエシュアが言われた通り、水を

汲んだら、水がワインに変わった体験を目の当たりにした。

神が言われた通りと言うことが基本中の基本。

この裏に、人間の知恵とは違う神の知恵、人には愚かに、

聞こえる様な事が実は神の知恵。人の生きる力、または

命の源に繋がっている事を体験をもって、イエシュアが

教えたのです。神の言葉を聞けば、言う通りにすれば、

大きな収穫がある。神の実態に出会える。

 

軌道修正、喜び溢れる状態に戻る。神の言葉の中に戻る。

神の業、6日までに全てを終了、完了終わった。第七日目に

神が止まられた。神が人のために全てを用意し、そして神で

あるお方が、人との関係の中に入った、つまり婚姻の祝宴の

日の週一度の小さいヴァージョン。記念日。預言的祝宴。

神の記念日は、福音の全てを網羅している。神は神の記念日

に特別なこと、大きな歴史の重大イベント、業をされた事を

思い出す。

 

夫婦、家族と言う単位が壊されるから、世界が破壊される。

神のデザインの麗しい喜びの関係を味わえないなら、

希薄で、形ばかりにのお粗末な関係に留まれば、たとえ

全世界を得ても虚しい、悲しい、欠乏感に襲われる。

 

神に造られた人のエッセンスは、神のデザインである

親密で究極な親しさ、向き合う関係を求めるのが

本来の姿だから。それが欠けるから、探す、空洞を埋める

ために、何かを求め続ける。

 

偽の自己像=偽の男女像=偽の夫婦像から脱出。

家族とは向き合い、ガードしあい、保護しあい、助け合い、

励まし合い、祈り合い、そして喜び楽しみを分かち合う。

単純に楽しいでしょう。神は喜び楽しみを通して、

神がどんなに良いお方が知るようにと言われたのです。

ハ ヨム=この日は主が造られた、詩篇の記者は、

神の記念日=レビ記23にある記念日を讃えて歌って

いるのです。

 

辛い現実が日々襲うけど、この日は止まる日。

日常とは違う、全ての仕事を止める。でも異教の国に

住んでいるから出来ない日もあるでしょう。

それは、異教の地に散らされていたイスラエルも

経験しているのです。でも神は異教の地に居たとしても

神の記念日をガードしなさいと、始めから散らされる

ことを前提にトラーに書かれています。イスラエルだけ

の記念日ではない。神の記念日と書かれています。

全人類=イスラエルの神の子らが祝う記念日=レビ記23章

だから。イエシュアが再び来られたら、今度は全世界が

神の記念日を祝うと言う軌道修正が起こることが書いて

あります。神の子らは、世界へ先駆けて、神の家の子らと

して、地の塩、世の光として、この記念日を生きて

伝える役割を与えられているのです。

神の記念日は、イエシュアそのもの、福音の全てを

網羅している預言的記念日だからです。

 

その預言の意味は、目覚める=神の言葉に目覚めている

人たちには、何の意味か、今がいつなのか

はっきり知ることができると書かれているから。

 

その日は勤務と言う人もいます。イスラエルでも。

でも、その日の中で、シャバットと認識して

その日をガードする。祝う。

 

どんな事があっても、今天の中、神の現実、神の顔に

出会うために、色々な道のり通過中でも、そこに実は

実際に神に出会うすごいチャンスが眠っているから。

 

アバがそう言われたから。永遠普遍の記念日と。

その日は曜日も変わらない。同じ第七日目。

 

青空=天の国の御座を肉眼で見ている事

気が付いている人はどれだけいるのだろう?

天と地、見える世界と見えない世界は1つに

繋がっている。

まっすぐに伸びるヤシの木。

 

天の現実が地上に映し出される。

海の中に命が眠っている。

外側からは見えないけれど。

 

家の窓から海が直接見える。エデンを思い出す。

そして、裏窓からは、山が見える。全部の窓から自然が見える。

都会に住んでいても、どこに居ても、今神の中=天の現実の

中に居る事を忘れないために,もしビルに囲まれて居る生活

だったら、家の中に小さい植物を置いてみる。そして、神の

言われた神の子らである記しを身の回りに置いてみる。

 

それを見る度に思い出すためにアバ父が子らにそうするよう

に教えたから。神の知恵。人の作り出した知恵より優れている。

戸口のメズサ、衣のふさ=ハンカチの四隅に青い糸を付けたり。

食べ物、飲み物、新月、満月このほかにもたくさんあります。

そして、シャバットは週一度のリマインダー。神の子らである

神の家族である印。婚姻関係に入っている、目に見える証拠、

印。婚姻指輪を、婚姻届を破棄する行為は愚かだと

誰でも知っているから。

 

 

 

Shabbat Shalom