2019年に入り、今やっと日常生活に戻りつつあります。
今日は週の第一日目、イスラエルの神の暦では活動日の
初日です。イスラエルにいると顕著に体感出来ますが、
日曜日は、労働、学校に行く週の初日で普通の日なのです。
今年は色々な意味で激動、激変、又在りて在る永遠に約束を
翻さないお方との新しい出会いに希望、期待を膨らませる
年になりそうです。
一年の始まりは、ユダヤ暦では春の過越からです。
新しい命が生まれる。新しい出発が始まる。
新しい命の復活が在る。全て、春の過越のイスラエルの神の
造られた祭りの中で、福音の中身を生きて追体験できる様に
神がデザインされています。
ある説では、イエシュアの地上での誕生はこの春だったのかも
とする説があります。少なくとも、極寒の冬ではない。
日本人とて、冬に野外キャンプなどしないのが常識。
しかも、イスラエルの遊牧には、冬には野宿などしないのです。
日本人なら、いつ田植えをして、いつ稲刈りが知っているのと
同じ位誰でも知る常識なのです。
春にイエシュアが生まれたのかどうか、検証する手がかりが
必要ですが、少なくとも過越に救い主が現れるとイスラエルの
人たちは皆知っていた。仮庵も将来来たる救い主の再臨そして、
救い主の統治する王国に入る、子羊の婚姻の祝いの時でも
あります。
過越では、既に歴史の中に起きた事実があり、救い主が
過越に現れ処刑、昇天された。預言の通りにその通りに
なりました。
過越で、出エジプトした事=奴隷状態から救い出され、
そして、偽の神々の教えから切り離され、
イエシュア=子羊の血で贖い出され、復活=新しい命に
生れ変り、そして、神御自身の元に神の子らが引き寄せられた
事実が、この春の時期に起きた出エジプトの一連の出来事と
そして、神が始めからデザインされた祭りの中で
追体験し続ける様に祭りがデザインされているのです。
イエシュアが木にかけられる以前から、永遠の中から
同じ同質の、救い贖いが人々に与えられていたのです。
時空を超えて、何も変わりない。
歴史の途中で”イースター”と言う異教の女神の名前が
付けられてしまった”復活”を記念し、祝う祭りも実は
単独で祝う祭りでは無いのです。神の祭りには、神の暦、
デザインがあります。神のデザインされてスケジュールが
あるのです。
必ずシャバット=曜日に関わらずシャバットで始まり、
シャバットで閉じる。曜日に関わらず、決まった月の
同じ日に始まる。そして満月が来る。
過越からシャヴオートまでの一連の長い祝い、祭りの中の
一つとして祝うものなのです。
その本物の復活を祝う、初穂を捧げる日は、永遠の中から
始めから存在していて、イスラエルとイスラエルと共に脱出
した異邦人たちは皆”復活の事実”を祝っていたのです。
もちろんイエシュア昇天以前も、以降も、復活の命を過越の
祭りの一連の中でイスラエルは祝っていたのです。現在も。
初穂を捧げ祝う日、そしてそれに続く”穂を数える7週間”。
7回のシャバットを7回繰り返す回想の中で、
新しくされている命=新しい人の事実を深く頭脳に刻む様に
デザインされているのです。
全ては”エデンの園”で語られていた内容なのです。
口頭で神から直接トラーの中身の全てを語られていたのです。
モーセがファラオにエジプトを去らせてくださいと要求して
いる時も、”神の記念日”を祝うために、皆で荒野に行かせて
くださいとモーセが懇願した下りが書いてあります。
創世記の中にも捧げ物をしている事、祭りをしている事が
書かれています。出エジプトした人たちも神の祭りを祝おうと
言いながら、金の子牛の偶像の仲介役を作り、神の祭りを
混ぜ物をして祝っているのです。
そのずっと前、エデンの園を飛び出した後、
カインとアベルがコバーンを捧げている下りが、
何の前触れの解説も無く書かれています。突然書かれています。
それがヘブライ思索。ギリシャローマ思索の様に、線上に考え
る思索ではないのです。ヘブライ思索は、円。同じ事が繰り
返される、永遠から語られている。行ったり来たり、どの点
からも同じ福音を見る様に書かれている。
その詳細の全部が文字として初めて書かれたのが、シナイ山で
与えられた”婚姻契約”トラーです。人のために、神が証拠と
して文字で書かれ、全世界の人がそれを知るために書かれた
永遠の婚姻契約なのです。
契約の箱の中に入れられた神の10の言葉=命を生み出す場所
として、絵画的に表されています。
この神の言葉=トラーを多くの場合誤解されているのです。
”仮の教え”であると。その教えを真実とするならば、神の
言葉は、神の業は不完全と言っているのと同等なのです。
そして人には生きられない教えを神が与え、イスラエルが
神の言葉に生きる事が出来ずにつまずいたため、
新しい代替え作を編み出した。それがイエシュアの木に
かけられた処刑=昇天と言う教えです。
でも、子羊の血の贖いは始めからあるのです。
歴史の途中で有効になったのでは無いこと、聖書を
読めば、いやヘブライ語聖書には書かれているのです。
人の編み出した考えが真実だとすると、本当に聖書に
書かれている事が、全部辻褄が合わなくなって
しまうのです。合わないジグゾーパズルのピースの様に、
絵がめちゃくちゃに歪んで見えてしまいます。
神が嘘つきになってしまうのです。神の言われた言葉と
人の教えがマッチしないからです。
合わない隙間を、神学と言う人間の解説で
埋めて行く事が起きているのです。
聖書をちゃんと読めば、ちゃんと学べば、そして歴史の中で
何がどう起きて、神の言葉を抹消する事件がいくつも幾度も
起きたのかを知れば、どうして神の言葉が終わった事に
された教えが出現したのかクリアーに確認出来ます。
全ては、反キリスト=反イエシュア=反トラー=
反イスラエルの神の言葉=反イスラエルの神と繋がって
行きます。
誰が、何をどう信じようと、神の真実が変わる事など無い。
神の言葉を曲げることはできない。真実、事実=神の言葉は
永遠に堅く立つと神が言われたからです。この一言で100%
十分確証する真実です。
人の信条により、神の言葉が曲げられるとするならば
それは、偽物、神の言葉ではないです。
神の言葉で世界の全てが創造された。
その遺伝子組み換えが出来る=別の生物を人間の手で
出現させる事が出来ると言っている事と同じです。
続く