エレミヤ10章にある様に、異教神のそれのシンボルは、
”天の万象 星、太陽”など、そして偶像を人間が作り出す。
それらのシンボルを通しての太陽神への多産を請い願い、
祈願すること、これらがヤロベアムの罪、高きところ=
異教の神々のものをイスラエルの神の中に取り入れることを
完全に削除、廃棄しない、取り除かないまま、同時に
イスラエルの神を礼拝していた意味でもあるのです。
クリスマスに付き物の、ホーリー ベリー=ひいらぎと
ヤドリギですが、柊は、窓に森の霊、妖精を呼び込む
シンボルとして置かれるものなのです。
クリスマスキャロルでは、この柊=ヒイラギが歌われます。
ヤドリギは魔術の力があるものとして表されているのです。
神々の偉大な力により地獄へ降りて、そして安全に地上に
戻る事が、その銀の大枝の意味です。
古代ローマの信仰は、太陽神。そして”勝利” ”神的永遠の
朽ちない命”を表す、緑葉樹の輪飾り。
古代ケルト人が信奉していた、ドレイド信仰の僧は、
その聖なる木、枝を掲げて、”全てが癒される”と叫ぶのは、
それらが魔法の力に繋がっていると考えられていたからです。
全ての病を癒すと同時に、家畜、生き物に多産をもたらし、
そして悪の呪いから守られ、化け物、霊を肉眼で見る事が
出来=透視、同時に悪霊に語らせる事ができる力。
ドレイド信仰は、ヤドリギに特別な儀式があって、樫の木を
育てる事を好んだのです。
カシの木はヤドリギの中で特に意味の持つものだと信じられ
ていたからです。
金のナイフでその枝を切り、そしてそれらが地上に落ちない
様に気をつける。ヤドリギは凶暴な敵をも沈めると信じられ
ていたものです。
全て迷信。そのヤドリギの下に来る人にはその”魔法”が伝授
されると信じていた。
ヤドリギを切るドレイド教僧侶
ドレイド教信仰は、このヤドリギの下で敵同士が出会う時、
互いに武器を捨てなくてはならないと言う協定があった。
その様な習わしが現在、西洋ではヤドリギの下でキスをすると
願いが叶うと言うものに繋がっているのです。
これらのクリスマス関連の儀式の裏、土台には、オカルトの
習わし、儀式がくっついている事は、由来をきちんと調べれば
明らかです。
12月の祭りは、全て春を待ち望む、”冬至”の時期、太陽神の
到来を待ち望む時期の祭りで繋がっています。
太陽神の印である、へーロー”輪っか”は、西洋宗教画や
彫刻、壁画にたくさん取り込まれているので、見ることが
できます。
これらのシンボルは、絶対にヘブライではない。と同時に、
ヘブライの世界は偶像を掘ったり、それらを神の家の中に
置いたりしないからです。
ローマの寺院にはたくさんの偶像が、壁画で、又は
彫刻で飾られています。
木を飾るのは、”ユール”という祭りに繋がるものでもあります。
これらの異教徒の祭りが背景にあり、その内容をカトリック的
キリスト教的に塗り替えたものを、17世紀の当時は、アメリカ
でもこの”クリスマス”を祝う事、そのクリスマスの裏にある
オカルト、異教徒の祭りの存在が土台であることの意味を
知っているクリスチャン=清教徒達が、これらの習わし、
祭りごとをする事を断固禁じていたのです。
彼らが神に対して不遜だから、クリスマスなるものを祝わな
かったのでは無いのです。神の言葉の真実をガードするために
敢えて異教徒の習わしに便乗、同化しなかっただけです。
神に不遜とは、神に対して神の言われる事を無視する事、
反抗すること、神の言われた言葉に付け足し、削除する事で
あると書かれています。
今日に至るまで、その意味を知る人たちは実は、それらの
儀式をやらないし、禁じているのです。
クリスチャンの家でも、世間一般の大衆の中でも、
今も継続してこれらのサタナリアの風習を引き継いで、
家を飾り付けているのです。もちろん、純粋に
イエス様を信じている。純粋にイエス様の地上の誕生を
祝っている。でも、この祭りの由来を、調べない限り、
どうして、聖書にない祭り、クリスマスと言う名で
呼ばれたものを、聖書に記述の無い日=12月25日であると
根拠にし発表し、祝っているのか。そのクリスマスの起源が
4世紀以降、いやもっとずっと後になって出現して、
人々の中に浸透、定着して行ったと言う事は知らないまま
だと思います。
クリスマスという言葉、祭りがサタナリアから
すり替えられて出現する前もこれは、2世紀に
Tertullian=”偶像礼拝に関する協定”の中で記され
ています。どんな偶像礼拝を信仰の中に取り入れては
ならないか、その内容が記されている協定が
カトリックの中にもちゃんと存在していたのです。
コロサイ2にも、繋がることです。






