異教の神々の祭り、シンボルがどの様に取り込まれ元の意味が見えないまま継続されている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ローマ皇帝アウレリアン<270-275AD>の布告で以下の様な

事が決められました。人間が決めたのです。神では無い。

 

”Dies Natalis Invicti Soilis”=無敵、征服されない太陽

の生誕日”が12月25日であると、皇帝により決定されました。

 

アウレリアン皇帝の信仰は、太陽神信仰。太陽神の強調、

その流れを デイオクレチアン、改心前のローマ皇帝

コンスタンチヌスそして、ジュリアンなどに引き継がれて

行ったのです。彼らがシーザーの暦の12月25日太陽神の

生まれた日と決めて決行していった。

”太陽信仰が異教神々の王者、チャンピオンであると支持。

 

ブルマリアなるものがどの様に祝われていたのか、詳しい

詳細は記されていませんが、歴史家達の残した書には、同じ

事が書かれています。初めはこの祭りは多くの大衆を引き

付けるためには、宗教的な要素はあまりない方が良いと

考えられていたものです。

ミトラ教の祭り、ブルマリアに繋がる付随したものなのです。

 

ミトラ教も征服されない”太陽”の神と言う祭りで知られていま

した。名前は違えど、天の万象を信仰する。特にその中で

一番影響力がある、太陽を信仰する。

古代の異教の神々の一番の大元はラー=エジプトの

太陽神でもあるからです。

 

簡単に言うとその当時の大衆に”太陽神信仰”が根強くあり、

大衆の信仰にカトリック信者たちが、取り込まれてしまうのは

危ないと西洋教父たちは考えた。西洋の世界の主流宗教として、

ミトラ教が支持されてしまっては困ると考えた、

当時の西洋人司祭、教父達が打開策、苦肉の策を編み出して、

考えたと言うわけです。

人間の対策です。神が言われたのでは無い。

 

そこで、カトリック教会は、異教の太陽神々の祭りである

12月の祭りをクリソストム<コンスタンチンノーブルの司祭

398-403紀元後>彼の説教の中の一つでも語られています。

 

”異教徒 ミトラ ブルマリアと言う汚れた祭りを人々が

行う中、ローマカトリック宗教はキリストの誕生日を後に

同じ日=12月25日に定める事に決定した。これらを清い

儀式で他の宗教の様に汚れたものとしない。

 

ミトラ教はこの祭り=12月25日を太陽神<多産の神々>の

誕生日と言うが、我らはキリストが

<The Sun of Rigteousness>”義の太陽とする。”

と宣言しました。

 

でも元々の太陽神の誕生日を、自分たちの信仰理念、

信仰色に作り変える、塗り替えようとしても、

どうしても、お家元が正しい元の位置、日にちに、主役として

君臨し続けるのは、無理も無い事なのは明らかです。

 

このブルマリア、ミトラなる太陽神信仰に加え、

もう一つの祭りが連なっているのです。

”サターン” 12月17日-24日の ”サタナリア”と言う祭りです。

この事が、ローマ教会に取って、キリストの誕生日とする

大きな要因として考えられてしまったものです。

 

サタナリアはサターンの統治、サターンは古代イタリアでは

もっとも古い、温和な”神”と考えられていたものです。

サターンは”ゴールデン エイジ”と呼ばれる

時代に、統治した神という神話です。

国が平和の時と、繁栄が人々の間にある様に、それが後に

貪欲と嫌悪に邪魔混乱されてしまうのです。

この黄金時代が、銀、ブロンズ、鉄時代に移り、

継続的な衰退、堕落にに繋がって行くのです。

 

サターンを讃えて祝う祭りはローマの平和と繁栄が存在した

”黄金時代”が戻ることへの希望と、本物の平安の信仰に繋がっ

た異邦人達が、自分達がやっていた以前の太陽神信仰の祭り

を、その土台、日にちを変えないで、それらの儀式、シンボル

に新しい意味づけをして、リニューアルせたいと考えたのは、

簡単に理解しやすいことなのです。

サタナリアは どの様に祝われたのでしょうか?

 

1 帝国全体の地域で仕事が休みの週。

2 戦争や暴動は一旦 休止。

3 公共の場は、花や灌木で飾られ

4  贈り物をするの仕来りがあった

5 規制なしに、飲んで騒ぐ無礼講パーテイ

6 偽の王がサタナリアに作り上げられ くじ引きでその

王としての権威を振るう事が許され、バカなおふれを出して、

人々に乱れた行いをする様に命令する。

無礼講、乱痴気パーテイの週。主人も奴隷も仲良く交わる

一年に一度の盛大な祭り。

 

本物の信仰を持った人達が、自分たちの以前の祭りに新しい

意味を授けて、これをキリストの誕生日として切り替えて、

彼ら=異教徒とは違う事をしようと考えたのは理解に難しく

ないのです。

ローマ教会は、この異教の神々の乱痴気祭りの代替えを

作るために、自分たちの信仰の色に、内容に塗り替える事を

したと言うのが、クリスマスと言う言葉、形、祭りごとの

始まり、起源です。

例えば、常緑樹を、教会に、家の中に飾り付ける事。

グレゴリー1世教皇、カンタベリーの皇帝アウグスチンに

対して、太陽神信仰の祭りのシンボルを、クリスチャン的

いや当時はカトリック的な意味合い、解釈でこれらの

太陽神信仰の祭りを、習慣を変えてしまいましょう

アドバイスしたのです。

教会と、家にこの常緑樹を飾りましょう。

 

なぜ木が飾られる仕来りがサタナリアと他の真冬の祭り中

でされたのか説明がつきます。

アウガステインは、サタナリアの風習と同じく、緑葉樹を

飾る事は自分の家に霊や妖精を呼び込む、葉の無い木々を

霊が乗り移る、これは、これから来る春への支配を表して

いるからです。

 

これらは、大衆に満足を与える習慣となり、教会はこの

オカルトのシンボルでもあるものを今日までその起源、

由来の意味を、多くの人は知らずに取り入れてしまった

という事です。

 

 

続く