たとえ嘘でも、似てれば良いさ、コピー、紛い物でも?
最終的に人にイエスさまが伝われば良い?でも、それでは
聖書に書かれている本当の神の実像とは違う、似て非なる
神を人に伝えてしまうことをしているのです。違うお面を
被ったイエシュアを伝えてしまう。
自分に関しても、自分とは無関係なことを人に噂されたら
それは断固拒絶したいと思うのでは無いでしょうか?
そんな事私は言ってないのに、そう言ったと言われて
しまっていると言う理不尽を体験したことがあるなら
分かる世界です。
真実を語る事は、必要な事なのです。でもむやみやたらに
語ること=今の言葉で言うところの空気読まない、いやもっと
掘り下げると、神の指示なく自分勝手に、しかも人間の編み出
した神の言葉とは異なるあれこれの教えを勝手に言う、
語るのはロー トーヴです。批判ではないのです。
神がしてはならないと言われた事はしてはならないからです。
真実が語られる事は絶対に必要な事なのです。
そして、正しい情報を元に、一人一人、自分で考えれば
良いのです。その情報が嘘か真実か一人一人が調べ、
吟味し、深く思索する必要があるのです。
その大元の問題は、”正しい情報”に触れていないかもしれない
と気がつく事です。一方的な教えが蔓延している中、
今や逆流の流れがあります。神の言葉のオリジナルに戻る。
太古=永遠から語り継がれた同じ福音を再び聞くときが
来た。
誰かの流す情報を聞いて、それが嘘だ!と思うならとことん
嘘である事の根拠を、事実にだけ基づいて掴むまで、
しっかりくまなく調べてみれば良いのです。
それをほとんどの場合していないのだと思います。
聞いたことをそのまま鵜呑みに信じる。
そして、正しい情報を発掘しないとならない。神が何と
言われているのかだけを根拠にして考える。
誰かの考え、教えを変えようとか、この様にしなくてはと
言う事は、人に強要することは誰も出来ないのです。
してはならない。でも、正しい情報を聞く、知る人は
正しい情報を伝える必要がある。
世界に反乱する情報、その中で神の言葉に基づいた真実な
情報にアクセスする必要がある。そうでなければ、神の言葉
とは異なる教えを、神の言葉を根拠とする真実であると
信じこんでいるだけなのかもしれないからです。
そして、その内容を調べた人達が、それぞれ自分はどう
生きるのか?の選択をする自由があるのです。
それは個人、一人一人と神との間の対話、相談、決断で
あるべきなのです。誰かの一方的な教えを、調べもしないで
信じ込まされる事はやめないとならない。危機感感じた方が
良いのです。
誰かの教えを押し付けられ、強制されて、考えると言うことも、
やめないとならないのです。神に造られた人は神の真実の中=
生ける水の中にしか存在出来ないからです。成人は自分で
しっかり神の言葉を読んで神の前に考えて、神の意図通りを
生きる選択をする。それだけだと思います。
これから書くこと全て、以前の記事も含めて、誰かを批判する
目的ではなく、事実だけに目を開いて、正直に自分で考える
チャンスが必要であると信じているので、書きたいと思います。
今や、世界の多くの人々の中には、12月25日はキリストの
誕生日ではないのだと明らかに知る人が大勢います。
しかも、東方教会では、誕生日が1月の6日と言うことに
なっています。2回も誕生日なんてあるわけないです。
どうして?正しい情報にアクセスして、それが事実ではないと
事実を元に調査、確認済みだからです。なぜなら、イエシュア
が誕生した日は、聖書に書かれてないからです。そして12月で
あるなんて100%あり得ないことだからです。
クリスマスやイースターと言う言葉を聞いて、これらの言葉が
ヘブライ語ではないと気が付いてみると分かります。
ヘブライ語では無いなら、ではこれらの言葉はどこから来た
ものなのか?誰かの造語?又は、別の宗教から来たもの?
私たちが聖書的であると考えてやっていることが、シンボル、
行事が、実は聖書的=神の仰せではないこと、いやもっと
複雑なのは、別の宗教の神々の名や風習、しきたり、シンボル
偶像が混ざりこんでいることが、たくさんあると言う
事実があるのです。
偶像、混ぜ物、紛い物に満ちた家は、イスラエルの神の家の
姿とは違います。
こんなのは解りやすいですが。完全に偶像と異教の偶像の
混ぜ合いだから。見た目にも分かる。
イスラエルの神に関連する偶像を作り出そうと言う発想をした、
その土台は”異教の神々”の教えを土台としているのです。
神の言葉を変えてしまった、紛い物の宗教の創設者の元の
信仰の土台があるからなのです。
神は、異教の神々の世界と聖別する事をとても強調しています。
どうしてなのか?それは、混ざれば不純物になって
しまうからです。
ブループリント=青写真、神が言われた設計図に手を加えたら
神の意図通りの”家”が建てられないのです。
ヤロベアムの罪とずっと書かれているその内容は、紛い物、
異教の神々の混ぜ物、そして自分が発明したものを
神の家に取り入れ、神の子らに同調、同化させるように
教える罪のことです。
神は真実な方であるので、人に紛い物を生きることを
禁じるのです。
私は自分でしっかり神の言葉を読んで、神の言われる事だけを
基準にしたい。それは、以前は神の真実ではない教えに
聞き入って、訳が分からない事を信じていたからです。
狭き門=この世の混ぜ物の教えではなく、神の真実だけを
通り、狭き門=イエシュア=トラーを通してアバ父を知る。
だから、人間の教えと神の教えの区別を、神の言葉を元に
して知りたいのです。
事実だけをたぐり寄せて考えることをしない限り、本当に
空想幻想の世界に留まってしまいます。
歴史の史実を調べていくと、21世紀に近い17世紀、
アメリカでも、クリスマスを祝うことをクリスチャン教会に
より禁じられていた時期があります。
どうしてなのでしょう?ハロウイーンを祝うことを反対するの
と同様に、クリスマスも同じカテゴリーの扱いで、祝うことを
反対されていたのです。どうしてなのか?クリスマスと言う
言葉も祭りも4世紀以前には祝われていないものです。
ヘブライ語聖書の中には無い言葉です。
聖書を読めば、パウロも使徒たちも誰も12月25日のクリスマス
なる祝い日を祝っていない事実が在ります。
どうしてなのだろう?と考えて自分で調べて行けば、その真相や
背景が見えてきます。
では、どの様にクリスマスと言う祝いが出てきたのか?
いつからその様な行事が行われる様になったのか?
それよりずっと以前から、クリスマスと言う名ではなく、
別の宗教の神々の記念日=誕生日=祝いが12月の同じ時期に
祝われていた歴史の事実があるのです。ではどうしてそれが
クリスマスになったのだろう?と言う”事実”だけを書いて
いきたいと思います。<私が書く必要もなく、ネットで調べて
いけば日本語でも情報があります。英語では、多彩な方面からの
数多くの詳しい、細かく調べたデータが在ります。
続く