記事を書いている途中なのですが、長すぎてブチブチ切って
います。そして、それに伴い色々な思考が入るので、
前後左右してしまいますが、ご了承ください。
シャバットとは、止まる。神が止まれたように止まる日です。
そう聖書に書いてあります。
それはいつか?第七日目と書いてあります。
第七日目のスタートは、グレゴリアンカレンダーでは
金曜日の日没です。
神が言われた通りにしてみること。それが何より大事。
それが最大の基本です。それがいや!と言う場合なぜ
神がそう言われるのかの、詳細、意図、深い意味が
分からないと言う事でもあるのかと思います。
昨日我が家に来た来客が言いました。
ユダヤなんていや!でも、イエシュアはユダヤ人として地上に
来たのであり、ローマなどではないこと気が付いてるの
ですか?と言う話をしました。
人の言うこと聞きたくない!その語る相手の言う事なんて
聞きたくなければ、聞く耳持たなければ、その相手の言う事を
元に考える事もしないという事だから分からないまま、
真相や闇の中と言う事になるのは当然の結末です。
神の言う事なんていや!神の言葉が、以前は呪いなんて
教えられてしまえば、もうそれは完全に偽の教え、アウトです。
マタイから黙示録は全てトラーの中身以外にない事
気が付く事が出来ない不思議な世界の教えに聞き入って
いるからです。
もっとシンプルに、神の言われる事を言われる通り、
神の言葉を変形せず、途中で変えなければ良いだけのこと
なのに。
宗教の世界が、全部神の言われる言葉を変えてしまって
何が何だかわけ分からない状態になってしまったのです。
ヘブライ語聖書を捨て、神の言葉を捨てた結末なのです。
そんなむずかしいことなのか?難しくもなんともない。
聖書に書いてある通りに読む。神の言葉は永遠普遍。
シャバットは、第七日目とはっきりと書いてあるのに、
イエシュアもパウロも使徒も第七日目を祝っていたのに、
どうして他の日だと主張するのか?それ以外に様々なこと
聖書に書いてあるのに、その通りに読まないとは、
どうしてなのか。
すごい不思議と思ったら良いのです。
これが、私の信じた始めの疑問でもあったことです。
変です。完全に。聖書に書いてある通りに読まないように
教えられている。どうして?変だ〜!何でだ?と考えて!
まず疑問に思う人たちは、真実への探求が始まるのです。
イエシュアが日曜日に昇天したから、それ以降は
シャバットは日曜日?それって、完全に都市伝説。
偽の教えでしょう。聖書に基づけば。
どの日に昇天しても、”神のシャバット”は第七日目。
昇天した日も、日曜日なんて聖書には書いてない。
どうして、ローマが作り出した教えを根拠にするのか
一人一人が考え始め、聖書=神の言葉に根拠を
於けばはっきり事実が分かるはずなのです。
もっとシンプルに、神の言われる言葉その通りを
聞くと言う事に戻れば、様々な事実の発見、
神との真の出会いを体験することができる。
宗教が語るところの、複雑なことでもない。
シンプルに分かる世界がある。
本当に驚くばかりにシンプル。
子供のようになってと言われた通り、
素直に神の言葉で言われたことに聞きいれば
それだけで分かる世界。
人生色々複雑な問題山積み!でも!
とりあえず、神が言われた通り!今日
全部の問題横に置いて止まる!
Shabbat Shalom